西多摩・日ノ出町にある、日の出山荘。
故・中曽根康弘さんの別荘で、
受付を出ると、👆金木犀が休憩場所の湿った小道に、
落とすまいと、蜘蛛の巣が絡めていて、
故・中曽根康弘さんの別荘で、
受付を出ると、👆金木犀が休憩場所の湿った小道に、
落とすまいと、蜘蛛の巣が絡めていて、
👇なんで ?
1850年頃に建てた農家の母屋に、
誰も住んでいなかった
1961年(昭和37年)中曽根さんは買い、
ここを別荘にして改修した後、
政治家の集まりの場所にして、
誰も住んでいなかった
1961年(昭和37年)中曽根さんは買い、
ここを別荘にして改修した後、
政治家の集まりの場所にして、
青雲堂と名付け・・
👇土間に入ると、
股旅小説、渡世人・木枯し文次郎
笹沢佐保さんの軽快な文体で、
1971年、赦免花は散った、で登場、
「あっしは面倒なことに、
1971年、赦免花は散った、で登場、
「あっしは面倒なことに、
関わりを持ちたくねえんでございます」
竹の楊枝で吹く音は、木枯らし模様・・。
竹の楊枝で吹く音は、木枯らし模様・・。
飢饉で苦しむ庶民を目を剥き、
宿場の厄介ごとの、悪を懲らしめる、
宿場の厄介ごとの、悪を懲らしめる、
楊枝は人を刺す武器にも・・。
👇昭和58年には、アメリカ大統領、
故・レーガン夫妻らとここで食事をする。
故・レーガン夫妻らとここで食事をする。
宮沢喜一さん、安倍晋三さんのお父さん晋太郎さん、
竹下登さんら、鱒を焼きながら一杯飲んでる。
竹下登さんら、鱒を焼きながら一杯飲んでる。
イギリス、鉄の女と揶揄された、
サッチャー首相が彼となら一緒に仕事ができますと、
言われた、ゴルバチョフさんも訪れてた。
一国独裁主義の民衆に押しつぶされた悲運の男。
サッチャー首相が彼となら一緒に仕事ができますと、
言われた、ゴルバチョフさんも訪れてた。
一国独裁主義の民衆に押しつぶされた悲運の男。
奥さんが見ている方角は、竹の林。
👇記念館に向かって、
👇、中曽根さんが、俳句を詠み、座禅を組んで、
ラジオを聞いて、奥さんとお茶を飲む、
天心堂は、寝床でもあって、
レーガンさんと、首脳会談をしたのが👇
ラジオを聞いて、奥さんとお茶を飲む、
天心堂は、寝床でもあって、
レーガンさんと、首脳会談をしたのが👇
高崎市、材木屋の家に生まれた
中曽根康弘元首相
中曽根康弘元首相
風貌といい、一刻の気性は
101歳で亡くなるまで
衰えることなく
101歳で亡くなるまで
衰えることなく
書院に入れば
私はあなたの意見には反対だ
私はあなたの意見には反対だ
だけど、あなたがそれを主張する権利は
命を懸けても守る・・ヴォルテール
の言葉が芽生え
身体に染みこむとは
身体に染みこむとは
思いもしなかった
有り難うございます。
ゆっくり振り替えれば時代の移り変わりを感じました。
その後、目の症状は変わりないですか?無理をしないで下さいね。
時代は流れましたね・・。
こじんまりして、個性がなく、世知辛く・・・
中曽根さんをあらためて知った、
私にも貴重な絵になりました。
金曜日に別の病院での血液検査の結果が出て、
全くの正常で、施術後の処置が甘かったかなと、
反省です。
ゴロゴロ感は片目だけなのですね。
それが取れるといいですね。
外国人を招待するのは格好の場所ですね。
中曽根氏の大物の印象はどこも表れていますね。
中曽根さんは、裕福な材木商に生まれ、
きっと、幼いころ身体に染みこんだ木材の感覚に、
居心地が良かったのかもしれません。
このころ私は中曽根さんは好きではありませんでした。
けれど、山荘で見知る中曽根さんの真摯さに、敬意の念を持ちました。