春. 夏. 秋. 冬. 河童の散歩

八王子の与太郎河童、
つまづき、すべって転んで、たちあがり・・。
明日も、滑って、転んで・・。

日の出山荘・②-① 日米首脳会談記念館。東京都西多摩郡。

2022-10-15 22:20:19 | 散歩

西多摩・日ノ出町にある、日の出山荘。
故・中曽根康弘さんの別荘で、
受付を出ると、👆金木犀が休憩場所の湿った小道に、
落とすまいと、蜘蛛の巣が絡めていて、

👇なんで ?
1850年頃に建てた農家の母屋に、
誰も住んでいなかった
1961年(昭和37年)中曽根さんは買い、
ここを別荘にして改修した後、
政治家の集まりの場所にして、
青雲堂と名付け・・



👇土間に入ると、
股旅小説、渡世人・木枯し文次郎
笹沢佐保さんの軽快な文体で、
1971年、赦免花は散った、で登場、
「あっしは面倒なことに、
関わりを持ちたくねえんでございます」
竹の楊枝で吹く音は、木枯らし模様・・。
飢饉で苦しむ庶民を目を剥き、
宿場の厄介ごとの、悪を懲らしめる、
楊枝は人を刺す武器にも・・。



👇昭和58年には、アメリカ大統領、
故・レーガン夫妻らとここで食事をする。



宮沢喜一さん、安倍晋三さんのお父さん晋太郎さん、
竹下登さんら、鱒を焼きながら一杯飲んでる。



イギリス、鉄の女と揶揄された、
サッチャー首相が彼となら一緒に仕事ができますと、
言われた、ゴルバチョフさんも訪れてた。
一国独裁主義の民衆に押しつぶされた悲運の男。
奥さんが見ている方角は、竹の林。





👇記念館に向かって、


👇、中曽根さんが、俳句を詠み、座禅を組んで、
ラジオを聞いて、奥さんとお茶を飲む、
天心堂は、寝床でもあって、
レーガンさんと、首脳会談をしたのが👇













高崎市、材木屋の家に生まれた
中曽根康弘元首相
風貌といい、一刻の気性は
101歳で亡くなるまで
衰えることなく
書院に入れば
私はあなたの意見には反対だ
だけど、あなたがそれを主張する権利は
命を懸けても守る・・ヴォルテール
の言葉が芽生え
身体に染みこむとは
思いもしなかった







コメント (4)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 床に漫画、剣客商売。 | トップ | 日の出山荘、中曽根康弘書院 ... »
最新の画像もっと見る

4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (1948of)
2022-10-16 07:52:30
貴重な写真を拝見出来ました。
有り難うございます。
ゆっくり振り替えれば時代の移り変わりを感じました。
その後、目の症状は変わりないですか?無理をしないで下さいね。
返信する
Unknown (とよ)
2022-10-16 08:07:48
1948of さん おはようございます
時代は流れましたね・・。
こじんまりして、個性がなく、世知辛く・・・
中曽根さんをあらためて知った、
私にも貴重な絵になりました。

金曜日に別の病院での血液検査の結果が出て、
全くの正常で、施術後の処置が甘かったかなと、
反省です。

ゴロゴロ感は片目だけなのですね。
それが取れるといいですね。
返信する
日の出山荘 (サッチー)
2022-10-17 09:39:51
聞いたこともありますが、遠い・・そんざいでしたが、こうして拝見すると、確かに和の心が溢れていますね。
外国人を招待するのは格好の場所ですね。
中曽根氏の大物の印象はどこも表れていますね。
返信する
Unknown (とよ)
2022-10-17 18:24:51
祥子さん こんばんは
中曽根さんは、裕福な材木商に生まれ、
きっと、幼いころ身体に染みこんだ木材の感覚に、
居心地が良かったのかもしれません。

このころ私は中曽根さんは好きではありませんでした。
けれど、山荘で見知る中曽根さんの真摯さに、敬意の念を持ちました。
返信する

コメントを投稿

散歩」カテゴリの最新記事