春. 夏. 秋. 冬. 河童の散歩

八王子の与太郎河童、
つまづき、すべって転んで、たちあがり・・。
明日も、滑って、転んで・・。

東堂夫人が亡くなってた。高崎市松山寺。 

2025-02-26 12:33:58 | Extra


群馬県、
榛名山麓に水資源に恵まれた町、箕郷町。
1512年から始まる、
戦国時代に、上州の西側中心に箕輪城があり、
地元長野氏に、武田氏、織田氏と北条氏、井伊氏が、
領地争いを繰り返した。
1590年には、前田利家・上杉勝景連合が、
80年の歴史を瓦解し1598年、箕輪城を開城する。

戦続きで、疲弊する領民。
重なる、榛名山からの水害はあっても、
五穀豊穣の地1597年、境内800坪に建つ、
然室玄廊大和尚が、釈迦牟尼仏を本尊に、
開基した、松山寺しょうざんじは焼失し、
以降、松山寺の記録は鐘楼だけになった。


歴史ある松山寺の東堂夫人が、
亡くなったと昨日知りました。
東堂夫人は、私が勝手に、

山の師匠と呼んでた女性のお姉さん。

師匠は、松山寺の天井に格子絵を描き、
お兄さんは100号?近くの絵を描いてた。
その格子絵を拝見するのに、
昨年、1月と3月に松山寺を訪問しました。
ご住職の案内で、沢山のことを知り、
感慨も深くしました。


亡くなった東堂夫人とは、療養中だったので、
お会いしたことはなく、
ブログで拝見した、仏壇の写真を見ると、
師匠のブログで見た、姉妹弟で榛名山でよく、
バーベキューをしていた方ではなかったかと・・・
自由闊達な方ではなかったかと・・・









師匠の格子絵
4ninnomamanjun👈検索を
兄妹二人になっても元気で


お兄さんの絵
👇






👇箕輪の豪家・下田利左衛門が、
1727年、当時九代和尚に寄進したもので、
子持山、双林寺の石梁大和尚が銘を打つが、
18年後1744年、火災で焼け落ちる。
1783年の50年近く、
時報を知らせる鐘の音は無くなった。
悲しんだ、下田家の孫・下田理太夫政広が、
栃木佐野市の、鋳工・小島安左衛門と
地元、下田市太郎休理と塚越富左衛門に鋳造を依頼したもの。

鉄が不足した太平洋戦争、
地元の人たちの浄財で、供出を免れた梵鐘。

戦禍の憎しみに、計らいは餅の温かさだったでしょう・・・。


歴史的記録は、以前のブログを一部改訂して投稿してます


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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (たか)
2025-02-26 17:51:16
有難うございます
姉との思い出は数限りなく
末っ子だった私を特に可愛がってくれた姉でした
とよさんが写された桜の咲く時期ももうすぐです
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Unknown (だんだん)
2025-02-26 19:02:35
たかたかさんは、こんなにステキな心休まる絵を描けるアーティストなんですね。引き出しをたくさんお持ちの、なんて楽しい方でしょう!!
返信する
Unknown (とよ)
2025-02-26 20:00:42
たかさんへ
もうじき、桜が咲きますね‼
いろんなことが浮かんできます。
いつまでも気丈な、たかさんで居てくださいねッ‼
いつかまた・・・。
勝手に載せました。懐の深さに感謝しています。
返信する
Unknown (とよ)
2025-02-26 20:14:44
だんだんさん こんばんは
たかさんは、30年近く子供たちに絵を教えてたそうです。
感性豊かで、博学で、くよくよしない女性。
50年前に知り合ってたら、間違いなくプロポーズしたでしょう・・・。
もちろん、断られますが・・‼
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