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群馬県、
榛名山麓に水資源に恵まれた町、箕郷町。
1512年から始まる、
戦国時代に、上州の西側中心に箕輪城があり、
榛名山麓に水資源に恵まれた町、箕郷町。
1512年から始まる、
戦国時代に、上州の西側中心に箕輪城があり、
地元長野氏に、武田氏、織田氏と北条氏、井伊氏が、
領地争いを繰り返した。
領地争いを繰り返した。
1590年には、前田利家・上杉勝景連合が、
80年の歴史を瓦解し1598年、箕輪城を開城する。
戦続きで、疲弊する領民。
重なる、榛名山からの水害はあっても、
五穀豊穣の地1597年、境内800坪に建つ、
重なる、榛名山からの水害はあっても、
五穀豊穣の地1597年、境内800坪に建つ、
然室玄廊大和尚が、釈迦牟尼仏を本尊に、
開基した、松山寺しょうざんじは焼失し、
以降、松山寺の記録は鐘楼だけになった。
開基した、松山寺しょうざんじは焼失し、
以降、松山寺の記録は鐘楼だけになった。
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歴史ある松山寺の東堂夫人が、
亡くなったと昨日知りました。
東堂夫人は、私が勝手に、
山の師匠と呼んでた女性のお姉さん。
亡くなったと昨日知りました。
東堂夫人は、私が勝手に、
山の師匠と呼んでた女性のお姉さん。
師匠は、松山寺の天井に格子絵を描き、
お兄さんは100号?近くの絵を描いてた。
お兄さんは100号?近くの絵を描いてた。
その格子絵を拝見するのに、
一昨年、1月と3月に松山寺を訪問しました。
ご住職の案内で、沢山のことを知り、
感慨も深くしました。
感慨も深くしました。
亡くなった東堂夫人とは、療養中だったので、
お会いしたことはなく、
お会いしたことはなく、
ブログで拝見した、仏壇の写真を見ると、
師匠のブログで見た、姉妹弟で榛名山でよく、
バーベキューをしていた方ではなかったかと・・・
バーベキューをしていた方ではなかったかと・・・
自由闊達な方ではなかったかと・・・
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師匠の格子絵
4ninnomamanjun👈検索を
兄妹二人になっても元気で
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お兄さんの絵
👇
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👇箕輪の豪家・下田利左衛門が、
1727年、当時九代和尚に寄進したもので、
子持山、双林寺の石梁大和尚が銘を打つが、
18年後1744年、火災で焼け落ちる。
1727年、当時九代和尚に寄進したもので、
子持山、双林寺の石梁大和尚が銘を打つが、
18年後1744年、火災で焼け落ちる。
1783年の50年近く、
時報を知らせる鐘の音は無くなった。
悲しんだ、下田家の孫・下田理太夫政広が、
栃木佐野市の、鋳工・小島安左衛門と
時報を知らせる鐘の音は無くなった。
悲しんだ、下田家の孫・下田理太夫政広が、
栃木佐野市の、鋳工・小島安左衛門と
地元、下田市太郎休理と塚越富左衛門に鋳造を依頼したもの。
鉄が不足した太平洋戦争、
地元の人たちの浄財で、供出を免れた梵鐘。
戦禍の憎しみに、計らいは餅の温かさだったでしょう・・・。
地元の人たちの浄財で、供出を免れた梵鐘。
戦禍の憎しみに、計らいは餅の温かさだったでしょう・・・。
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歴史的記録は、以前のブログを一部改訂して投稿してます
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たかさんは、30年近く子供たちに絵を教えてたそうです。
感性豊かで、博学で、くよくよしない女性。
50年前に知り合ってたら、間違いなくプロポーズしたでしょう・・・。
もちろん、断られますが・・‼
もうじき、桜が咲きますね‼
いろんなことが浮かんできます。
いつまでも気丈な、たかさんで居てくださいねッ‼
いつかまた・・・。
勝手に載せました。懐の深さに感謝しています。
姉との思い出は数限りなく
末っ子だった私を特に可愛がってくれた姉でした
とよさんが写された桜の咲く時期ももうすぐです