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春. 夏. 秋. 冬. 河童の散歩

八王子の与太郎河童、
つまづき、すべって転んで、たちあがり・・。
明日も、滑って、転んで・・。

塗師・石原一喜、向拝の化粧。

2018-10-11 22:09:09 | 社寺

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

イメージ 5

 https://blogs.yahoo.co.jp/xpointx07からお借りしました。


 

黙して語らずに嬉しそうに一言、
ヤブカがすごかった。
家の合間、姉も手伝ってくれました。
10月9日、この日で彩色の仕事を終わらせた、
石原一喜さん。
大変だったのは、☝この模様だったと。
成した仕事に奥さんが、云います。
初めての仕事、「心配でした」と、笑顔。
資料の無い上での仕事、塗色の調べは雲をつかむよう!
多くを語ってくださったのが、
お母さん「よくここまで仕上げてくれました」と。

氏子総代が、ぽつり。
氏子の皆さんの、出し合ったお金、
市にも協力してもらいたかった・・・。

安中城の鎮守、熊野神社に459年を経て、
彩色を蘇らせた、塗師、石原一喜さんは、
素木の洗い出しは大切なことでした・・と

目くるめく思い、
古葉の隙間の射す陽へ、
ふと・・・口角を緩めた姿、
仕事を成し終えた安堵に、
彩色に独自の観念、揺るがず決断した、
彼の姿勢。

高速の窓、安中の黒い山のシルエットに、
拝殿で手を合わせる塗師・石原さんの姿が、
浮かんだ、熊野神社での、出会いでした。

 


平成の塗師 石原一喜

 

名称      熊野神社
御祭神     大穴牟遅命、少名毘古那命、櫛御気野命
創建      永禄二年(1559年
所在地     群馬県安中市安中3-689
最寄駅     JR信越本線 安中駅
最寄IC    上信越自動車道 松井田妙義IC、富岡IC

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マラソンの発祥地、安中市の熊野神社。

2018-10-10 19:53:51 | 社寺

 

群馬県安中市、50歳以下の家臣は、
明け六つ(午前6時頃)の太鼓を合図に安中城を出発し、
中山道を碓氷峠の熊野権現まで、
7里余り(約29キロメートル)を走った。
1855年のこと。

到着には凡そ3~4時間程かかったようで、
熊野権現には班毎に初穂料が奉納され、
代わりに餅や切り干し大根、キュウリ、御茶などの昼食が与えられ、
小休止した後に安中城に帰還したそうです。
(往復約58キロメートル)。
出発は「安中城」
マラソンの始まりは安中市と知りました。

実施したのは、
安中藩主板倉勝明。
古文書「安中御城内御諸士御遠足着帳」に書いているそうです。

その安中城祉から歩いて10分ほど、
碓氷川と九十九川の間を走る、国道18号、
「城下」の信号を曲がって、細い道に、小さな鳥居、
1000年の、けやきの木と熊野神社があります。
昔は大権現様。
熊野神社になったのは、明治の初め。

👇絵馬は「狩野法源永秀知信の筆」1861年のもので、
熊野神社の起源は永禄2年(1559年)
安中城の鬼門の守護神として建てられた社殿。
いずれの彫刻師の文献は無いものの、
本殿の胴羽目は花鳥のデザイン、
上州花輪彫刻の系統ではない、そう思えます。

 



1000年のけやき。
白い建物の方から撮れば、目を見張るのですが、
撮ってないと、おでこをゴツンです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 拝殿の向拝は極彩色で、
本殿は白木の彫刻・・・・?
ここで北群馬郡吉岡町の家族と、
感動の話を聞くことになりました。

 

 

 
👇このファイルは、午前榛名神社の、鳥居の側で見た、トリカブトです。

 

 写真2018.10.9 

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吾妻川、流れの傍で咲いていた!

2018-10-08 23:43:30 | Extra

 

もともと、頭の中、知識の収納スペースが狭く、
いろんな方に教えて頂いたのに、
収納スペースを超えてしまうと、途端に眠くなり、
寝たら最後、入らなかった知識が、しばらく戻ってこない。
あそこも、ここもと、時間惜しさに宿をとって、訪ねてみるものの、
計画の半分も物にできない始末。
電話の向こう「年」です、はっきり言われます。

今日は、群馬中之条町「吾妻川」沿い、
鳴く水音を追って送り、岩を見つけて川風に朝の一服、
きょうは、いい日でした。

👇こんもりした岩井堂山の下には、岩井堂が、洞穴の中に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

朝、一番蛇を見た後の、タイムスリップ。
とうとう、幻想まで見るようになったかと・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

吾妻川、河原の傍に咲いていた花!

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群馬県、鏑川に響く、諏訪神社の踊り!

2018-10-07 22:54:05 | 社寺

 

 

参拝の後、ご利益いただく本殿の彫刻を眺める足元から、
川の流れが伝わってきます。
群馬県下仁田町、諏訪神社真下を流れる鏑川。

10月6日、7日はお祭り。

諏訪神社・社殿の棟梁は、
宮大工大隅流の流れの、矢崎房之進、善次郎、
彫刻は矢崎善次郎、房之進の次男坊。
宮大工で彫刻にも優れていたといいます。
上州花輪彫刻集団には名は無く、
新しいページが作られて・・・。
創設は1836年から10年かけた1846年。
現存する資料が無いのは残念ですが、
彫物大工の腕の跡が、残っているのは嬉しいことです。

山車の上の女性の珍しいクネクネの理由も探せません、
何時か、折に触れて・・・。

下仁田銀座通り、祭りの見ものは、
待っている山車に、正面によって10センチばかり。
囃子を競うのも、珍しく、
山車止める、男衆の技には拍手を送ってしまいます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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群馬県下仁田、諏訪神社の祭り

2018-10-06 23:48:02 | 社寺

 

群馬県大仁田諏訪神社のお祭りが、今日と明日7日。
ひと段落した仕事の開放感が、
車を飛ばさせました。
大通りにどっしりした、大崩山(467m)が見えて、
山あいの風情があります。
ここの山車は女性がメイン、
山車に乗る女性は、引手をあおるのではなく、
くねくねと腰を左右に振り、後へ突き出す踊りで、
官能的でもあります。
それでも、女性、なかなか上手とは・・・。
狭い道路で、勾配もあり、引手は大変。
それでも、静かな町は囃子と山車の上の女性で、
すこぶる賑わっていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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越生、聖天宮だった、大宮神社へ。

2018-10-03 21:47:28 | 社寺

 

 

埼玉県越生町、八王子から高速で1時間足らず、
大高取山山麓に、徳川家光から代々10石の御朱印を賜っていた、
簡素な神社が、なだらかな丘の中腹に葵のご紋を輝かせている。
「大宮神社」
1853年、本殿は焼失し、
再建の宮大工棟梁は地元、中島久蔵藤原長義、
彫物は上州花輪彫刻集団、石原吟八郎の流れ、
初代小林源八、2代小林源太郎の息子、小林丑五郎が、
彫っている。
2代目小林源太郎で眼に引くのは、
榛名神社、双竜門の扉の龍。

親父に引けを取らない、鑿さばき。
1863年、2代目が亡くなって2年後の神社。


 



 

胴羽目の、八岐大蛇退治は・丑五郎が彫り、

 

 

大巳貴命の大鷲退治も・丑五郎、



天の岩戸の神話も丑五郎。


縁下にはカメ、


 


龍の彫物もあった筈ですが、撮り忘れている。

 
本殿扉は、意外とシンプル。

 

拝殿の向拝

 


度々修理の記録が残っている「大宮神社」
彫刻の割れを気にしながら、9月24日、
いい月見ができると、思いながらでした。


 

 


10月のやまぶき、見たのは1輪、
太田道灌、村の娘さんに、
無知を知らされ、猛勉強をしたという越生町の花。

 

 

 

 

 

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小江戸 川越の店。

2018-10-02 22:41:48 | Extra


八王子の夕暮れは、灯りが消えて、
人通りが少ない、一日の終わりと、思うだけだけど。
川越、夜空に浮かぶ蔵の屋根のシルエットを眺めていると、
寂寥感が漂ってくる。
きっと私らの前に生きていた日本人の、
生活が、建物の姿に移って、
浮かんでくるからなのかも知れない。



👇ここは昔デパート。

山吉デパート、設計はりそな銀行を設計した「保岡勝也」氏

 

 

トルコ人が経営する装飾ガラス店

 


日本で85番目にできた八十五銀行・「りそな銀行]
1918年にできた、川越ではランドマーク的な建物。
設計は「保岡勝也」氏。

 

 

 

 

 

 

 


エジソンが、電球のフィラメントに竹を選んだのは有名な話、

ゴリラの竹炭、店内は竹炭だらけの店なのに、
電気屋、旦那は電柱をなくし電線を地中に埋設するために、
苦労をし、その流れで炭をることに・・。
この努力が観光客をいい気分にさせてくれる。

 

 でかぁ~! シャボン

 

 

 

 



ぽ・・・着物店の看板・・・ぽ。

毎月8の付く日、8日・18日・28日は着物文化を盛り上げる
「川越着物の日」

おわり

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川越-蔵の街ぶらり・・。

2018-10-01 19:13:43 | Extra

 

川越、今、小江戸のキャッチフレーズに、
観光客が同じ日本であって、エキゾチックな雰囲気に、
沢山の人が訪れる町。
私も2年前?観光で数人と闊歩し、
楽しいひと時を過ごしました。
9月24日、越生の神社2社を訪ねた後の、
帰り道、寄りました。
うだつがあり、幾度も塗り重ねただろう蔵の造りを、
見ていると、形容しがたい「といき」が、ぽッ・。

明治には町内3分の1の1300軒が、
焼失したのに、死者が出なかった町。

1849年竣工した川越氷川神社本殿は、
10分ほどの場所にあり、
担当した彫物大工、飯田岩次郎や、島村俊表
らは、
蔵の扉を開け、酒を買い、惣菜を、一杯飲みながら、と、
・・・訪れたに違いないと思うと、
2年前の観光とは、
また違う感慨に胸が厚く
熱くなります。

腹ごしらえはここだった、

 

 

 

 

 

 
👇豆のお菓子、あっちも、こっちにも。

 

 



☝ 👇1630年ごろ建てられ、幾度か焼失し、
この時の鐘は大火の後の翌年、
明治27年に建てたもの。




 

 




 


ぶたの酔っぱらい、自分の姿、どこか似ている・・。
明日は出かけますので、


いたします。

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