鳳凰図目貫 後藤顕乗


鳳凰図目貫 後藤顕乗
後藤宗家七代顕乗と極められた作。時代は江戸期に入っているも、もちろん桃山文化の影響下にあり、比較的華やかな作風とされている。美術工芸の分野では、「桃山時代」という言葉を使うことがある。社会科で習った安土桃山時代のことではなく、戦国時代末期から江戸時代初期の寛永頃にかけて隆盛した特異な文化の様態を指す。為政者が豊臣から徳川へと変わったとはいえ、文化や流行は、年代や年号と無関係であり、禁止されるまで続いた例である。この頃に製作された無銘物には、どうしても年代の判断ができないものが多いため、歴史的に特異な桃山文化の影響を強く残している江戸時代初期の作まで、桃山時代の作とするのである。専門家であれば、製作年代の判断は可能であろうという方もおられるが、そんな簡単なものではない。桃山文化が隆盛し、流行している中で、先人が備えていた拵に憧れて同様の拵を作らせると、年代の異なる同種の作が複数出来上がる。しかもそれぞれが四百年以上を経ているわけだから、容易には二十年三十年の差異の判断ができない。だから年代を広くとって桃山時代と呼んでいるのである。
長くなってしまった。この目貫は、古典的な題材を、華麗に表現している。祐、光、顕と呼ばれるように、後藤家の中では特に上手な金工の一人であり、細部まで丁寧な鏨が加えられており、その技術が良く判る。裏面の観察により、際端が高く仕立てられており、打ち出しの様子も外へ内へと複式に打ち込みが加えられている様子が分る。


鳳凰図目貫 後藤顕乗
後藤宗家七代顕乗と極められた作。時代は江戸期に入っているも、もちろん桃山文化の影響下にあり、比較的華やかな作風とされている。美術工芸の分野では、「桃山時代」という言葉を使うことがある。社会科で習った安土桃山時代のことではなく、戦国時代末期から江戸時代初期の寛永頃にかけて隆盛した特異な文化の様態を指す。為政者が豊臣から徳川へと変わったとはいえ、文化や流行は、年代や年号と無関係であり、禁止されるまで続いた例である。この頃に製作された無銘物には、どうしても年代の判断ができないものが多いため、歴史的に特異な桃山文化の影響を強く残している江戸時代初期の作まで、桃山時代の作とするのである。専門家であれば、製作年代の判断は可能であろうという方もおられるが、そんな簡単なものではない。桃山文化が隆盛し、流行している中で、先人が備えていた拵に憧れて同様の拵を作らせると、年代の異なる同種の作が複数出来上がる。しかもそれぞれが四百年以上を経ているわけだから、容易には二十年三十年の差異の判断ができない。だから年代を広くとって桃山時代と呼んでいるのである。
長くなってしまった。この目貫は、古典的な題材を、華麗に表現している。祐、光、顕と呼ばれるように、後藤家の中では特に上手な金工の一人であり、細部まで丁寧な鏨が加えられており、その技術が良く判る。裏面の観察により、際端が高く仕立てられており、打ち出しの様子も外へ内へと複式に打ち込みが加えられている様子が分る。
