鐔鑑賞記 by Zenzai

鍔や小柄など刀装小道具の作風・デザインを鑑賞記録

牡丹図目貫 古金工 Kokinko Menuki

2014-09-10 | 鍔の歴史
牡丹図目貫 古金工


牡丹図目貫 古金工

 山銅地を容彫にし、表面全体に金の色絵を施し、あたかも金無垢目貫であるかのように見せている。ところが長年の使用によって表面が擦れて地金が出てしまった。隠していた嘘やボロが露見してしまったことを、このようなことから「地金が出る」などと言うも、この目貫ではむしろ面白い景色に変じていると言える。実は、江戸時代すで既に好まれていた金工作品の魅力の一つ。金ぴかの作風も確かに美しいが、こうして眺めてみると、何とも味わい深い。地造りは薄手で、打ち出し高く、透かしも丁寧に施されている。名品である。

群兎図二所 古金工 Kokinko Hutatokoro

2014-09-09 | 鍔の歴史
群兎図二所 古金工



群兎図二所 古金工

山銅地を打ち出して高彫にし、金の色絵を施した作。目貫と小柄は同作ではない。似た作風だが、仔細に観察すると、表情が異なっている。色絵の手法も異なっているようだ。色絵の端部の観察により、目貫の金層より、小柄の金層の方が少し厚手に見える。拵に装着されているうちに手ずれによって金の色絵がはがれてゆく。その風合いが古色を帯びて好まれたものである。


山葵図笄 古美濃 Komino Kogai

2014-09-08 | 鍔の歴史
山葵図笄 古美濃



山葵図笄 古美濃

 室町時代の笄。山銅地を極端に深く彫り込んで図柄を高く浮き出させている。題材は樋定規と呼ばれる直線構造と、薬種とされていた山葵の花葉。山葵を唐草状に構成している。高彫部分に古風な金色絵を施している。
装剣小道具における色絵の手法はいくつかある。古くは、大仏などにも採られていたように、水銀に金を解かし込んだアマルガムを金属の表面に塗り、後に加熱して水銀を蒸発させることによって表面に金の薄層を残すという手法である。最も多いのは、高彫した表面に、薄い金の板を銀鑞などで焼き付け接着する手法。やはり高彫した表面に、金の薄板を被せ、銀鑞で接着することなく、図像の端部に埋め込むようにして固定させるうっとり色絵もある。現代では電気メッキがあるも、それらよりはるかに厚手の処理とされている。
 さてこの笄だがどのような手法だろうか。色絵は高彫された上部のみであることから、うっとり色絵ではない。擦れている部分の観察では、金板を焼き付ける手法よりもかなり薄手であるが、金層に厚みが感じられる。アマルガムを利用した技法とは思われず、焼き付けの古法と推考したい。

放れ馬図目貫 後藤通乗 Tujo-Goto Menuki

2014-09-06 | 鍔の歴史
放れ馬図目貫 後藤通乗



放れ馬図目貫 後藤通乗

 後藤宗家十一代通乗の作と極められた目貫。赤銅地をふっくらと打ち出し、表面には毛彫を加えて胴体の丸みと動きを表現している。表目貫の頭部の裏面の様子は、今回度々紹介しているような、背後までの彫刻が行われている。通乗の作総てがこのような仕立てになっているというわけではないが、鑑賞の一つの要素と捉えておきたい。

猛虎図目貫 後藤程乗 Teijo-Goto Menuki

2014-09-05 | 鍔の歴史
猛虎図目貫 後藤程乗




猛虎図目貫 後藤程乗

 宗家九代程乗も上手な金工である。この虎の目貫は、身体の丸みを巧みに表現しているが、上からの写真を見て判るように、腰が高い割に際端の絞りが少なくなりつつあるようだ。地造りも、古作に比較して肉厚感がある。金という素材をたっぷりと使うことにより、贅沢感を強調するようになるのであろうか。因みに、程乗(七代顕乗なども)は加賀前田家に出仕した。程乗の頃まで、桃山文化の影響が残されているとも言え、もちろん古作写しを手掛ける場合もあるが、多くは次第に時代に応じた作風へと移り変わってゆく。

鳳凰図目貫 後藤顕乗 Kenjo-Goto Menuki

2014-09-04 | 鍔の歴史
鳳凰図目貫 後藤顕乗



鳳凰図目貫 後藤顕乗

 後藤宗家七代顕乗と極められた作。時代は江戸期に入っているも、もちろん桃山文化の影響下にあり、比較的華やかな作風とされている。美術工芸の分野では、「桃山時代」という言葉を使うことがある。社会科で習った安土桃山時代のことではなく、戦国時代末期から江戸時代初期の寛永頃にかけて隆盛した特異な文化の様態を指す。為政者が豊臣から徳川へと変わったとはいえ、文化や流行は、年代や年号と無関係であり、禁止されるまで続いた例である。この頃に製作された無銘物には、どうしても年代の判断ができないものが多いため、歴史的に特異な桃山文化の影響を強く残している江戸時代初期の作まで、桃山時代の作とするのである。専門家であれば、製作年代の判断は可能であろうという方もおられるが、そんな簡単なものではない。桃山文化が隆盛し、流行している中で、先人が備えていた拵に憧れて同様の拵を作らせると、年代の異なる同種の作が複数出来上がる。しかもそれぞれが四百年以上を経ているわけだから、容易には二十年三十年の差異の判断ができない。だから年代を広くとって桃山時代と呼んでいるのである。
 長くなってしまった。この目貫は、古典的な題材を、華麗に表現している。祐、光、顕と呼ばれるように、後藤家の中では特に上手な金工の一人であり、細部まで丁寧な鏨が加えられており、その技術が良く判る。裏面の観察により、際端が高く仕立てられており、打ち出しの様子も外へ内へと複式に打ち込みが加えられている様子が分る。

牛馬図目貫 後藤光乗 Kojo-Goto Menuki

2014-09-02 | 鍔の歴史
牛馬図目貫 後藤光乗




牛馬図目貫 後藤光乗

 桃山時代を活躍期とし、初代祐乗に次ぐ高い技量の持ち主として評価されている四代光乗と極められた目貫。馬と牛を並べて阿吽の構成としている。頗る動的であり、活力に満ちている作である。裏面の観察では、実際に拵に装着されていた故に汚れてはいるが、所々に強く打ち出した痕跡がみられる。即ち、表は頗る高く打ち出されていることになる。この表面に様々な彫刻を加えているのである。

宇治川先陣図目貫 後藤程乗 Teijo-Goto

2014-09-01 | 鍔の歴史
宇治川先陣図目貫 後藤程乗



宇治川先陣図目貫 後藤程乗

 後藤宗家九代程乗の作と極められた、源平合戦に取材した図の目貫。裏からの打ち出しは目貫製作の基本だが、桃山時代以前の作に比較して地造りが厚手になってきているのが判る。古式に則った製作より、彫刻する上において、表現の幅を広くするため、即ち、表面からの鏨の打ち込みや切り込みなど、多くの彫刻手法を駆使するため、薄手の地から厚手の地へと変えざるを得なくなったのであろうか。やはり、薄手の地では工作には軟らかすぎると考えて良いのだろう。


古い目貫で、裏面に力金と呼ばれる小さな金属片が接着されている場合がある。特に地金が細い部分を補強するため、あるいは地が割れてしまった部分を修復するために合着させたものである。下に参考で紹介する目貫が、蟹の足の先端に力金が備わっている例。表からは全く見えない。裏面の観察で漸く判る程度のもの。それが故に、作品というより、実用のものとしての面白さが一層強まっている。赤銅地片容彫、古金工。□