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機能不全家族

2015-10-10 17:48:01 | Diaries
機能不全家族(きのうふぜんかぞく)とは、家庭内に対立や不法行為、身体的虐待、性的虐待、心理的虐待、ネグレクト等が恒常的に存在する家庭を指す。機能不全家庭(きのうふぜんかてい)とも称され、その状態を家庭崩壊(かていほうかい)、もしくは家族崩壊(かぞくほうかい)と言われている(英語ではfamily breakdownと表記されている)。また、家族が散り散りになって暮らすようになる(天涯孤独になる)様を一家離散(いっかりさん)とも言う。

目次
1 概要
2 主要原因
3 家庭内の特徴
4 家庭内での子供の役割
5 子供の数と機能不全家庭
6 子供への影響


1 概要

機能不全家族とは、「子育て」、「団欒」、「地域との関わり」といった、一般的に家庭に存在すべきとされる機能が、健全に機能していない家庭の問題を指す。そしてこの機能不全家族で指摘される問題は、家庭内での不健全な事象よりも、その機能不全家族の中で育った子供への悪影響を問題として指摘する場合が多い。つまり、機能不全家族内で育った子供は、機能不全な環境や考え方が当たり前であるかの様に認識して成長するケースが多く、また幼少期の重要な人格形成において愛情を得る機会が非常に乏しい事などにより、自己愛・自尊心、他者への共感、他者の苦しみに対する理解等に欠けた人間にもなりやすい。こうして、機能不全家族の中から「社会と健全な関係を築くことができない大人が輩出されてしまう」という結果が生じることになる。しかし、機能不全家族に生まれ育った者が全て必ず社会不適応な人間になるとは限らない。

機能不全家族となる要因としては、代表的なものとして、家族構成員のアルコール依存、虐待(子供への暴言や威圧的態度も含まれる)、共依存などが挙げられる。更に、このような機能不全的な家庭となっている場合は、その家庭を構成する親、または祖父母などが、機能不全家族で育った経歴がある可能性も高い。

この機能不全家族において最も被害者となるのは、自らに生活力が無いため、その家庭から脱出することができない子供である。生活能力に乏しい子供は、このような不幸な状況から逃れることができず、歪んだ思想・観念を全身に受けながら生活しなければならない。そして、子供としての時期に学ぶべき社会規範や愛情を学ぶことができず、「親の奴隷」のような生活を強いられ、歪んだ思考を身につける事が多い。結果として、子供社会での適合ができにくく、様々な問題を引き起こす場合がある。周囲の児童が何故自由奔放に振る舞えるかが理解できず、他の児童の目から見れば非常におとなしかったり、他者とは異なる価値観や思考・行動パターンが原因でいじめの対象にもされやすい。

親から虐待を受けた子供は、幸運にも家庭から脱出できた場合、年老いた親を殊更に冷遇したり、または暴力的支配におよんだりなどして、「親への復讐」を始めるケースも見られる。酷い場合には、自分の親と同世代の老人全てに対して理由も無く憎悪や敵対心を抱くこともあり、「老人虐待」といった別の問題を惹き起こすことにもなる。

このような家庭問題(家族問題)の中で育った子供が、育った環境の不健全さに気づいた場合、過去に学んだ不健全な生活習慣からの脱却に向けて、莫大なエネルギーを費やして、回復の努力をしなければならないことが多い。しかしながら、機能不全家族の一番の問題点としては「(1)機能不全家族の中で育った子供が、育った環境の不健全さに気づかない場合に、自己の配偶者としても同様の歪んだ価値観をもったパートナーを選んでしまうこと」や「(2)親は無条件に正しく、全てを子供の原因だと決め付けて子供を泣き寝入りさせること」などが非常に多い。

凶悪犯罪などで犯人の精神鑑定を行ったり、生い立ちを探っている際に犯人の家庭や育ての親の思考、家庭教育が非常に歪んだものであることが発覚するケースが多い。しかし、個人情報・プライバシーの保護という名目や、「親は無条件に正しい」という風潮が原因で、家庭環境のこうした側面はほとんど報道されないことが多い。

2 主要原因

機能不全家族は不健康な家族文化、歪んだ家族システムを持つ家庭であり、その背景となる原因はさまざまである。

機能不全家族を生み出す家庭内の主要な原因としては、アルコール依存症、ギャンブル依存症、薬物依存症、親の自殺、親の死亡、親の浮気、両親の離婚、親の再婚、親からの見捨てられ行為(ネグレクト)、精神的な児童虐待、肉体的な児童虐待、性的な児童虐待(児童性的虐待)、家庭不和、家庭内の暴力、サラ金地獄、生活困窮、生活苦を伴う家族の病気(難病、介護)、望まれない出生、不遇な里子体験などがある。また、親が宗教にのめり込む場合も機能不全家族に陥ることがある。

精神科医の廣瀬久益は「家庭内に問題のある子供は、大人同士の諍いなど未成熟な幼年者には理解できないものばかり見せつけられて感受性のアンテナが対人関係にばかり向いてしまい、自分の気持ちと向き合う機会が減る。そういった子供は20代前半頃までは、豊かな社会性で友人間の仲裁役を行うなどリーダーシップを取ることができるが、誰もが社会性を身につけ他人ばかり気にしていられない大人世代になると、自分の気持ちに対する感受性の弱さから感情調整や自己信頼能力などの不安定さが問題となる」というモデルで説明をしている。

3 家庭内の特徴

機能不全家族で育った者は、その家庭内での経験のため、共通の傾向、行動パターンが見受けられる。

スティーブン・ファーマーによると、機能不全家庭は家庭内にいくつかの兆候が見られる。
拒絶
矛盾
家族への無共感
家族間の境界線の欠如
役割の置換
社会からの孤立
曖昧なメッセージ
極端な論争・対立

またDan Neuharthも、機能不全家庭について説明する。彼は機能不全の要因として、健全でない親の8つの兆候を示している。
条件付きの愛情
非尊重
発言の抑圧
感情の強制
嘲笑
過大なしつけ
内面の否定
社会に対する機能不全、または社会からの孤立

彼はさらに、機能不全家庭を引き起こす8つの親のパターンについても説明している。
窒息(子のアイデンティティーの侵害)
利用
虐待
混乱
完全主義
カルト信仰
剥奪(子の欲するものを奪う)
精神的な幼稚(虐待を排除しない)

インターネット掲示板などで、こういった親のことを「毒親」と呼ぶことがある(語源はスーザン・フォワード著「毒になる親」から)。

4 家庭内での子供の役割

機能不全家庭で育った子供は、病的な家庭で生き延びるために役割を背負っている。役割を背負った子供は、子供として楽しい子供時代を過ごすことが出来ず、自分の感情を押し殺し、傷つきながら生きていく事となる。

ヒーロー(Hero)、優等生
「優秀な子」「しっかりした子」でいることで評価されようとする。親から頼られ信頼される事によって家族のバランスを保とうとしている。しかし目標を達成しても更に上を期待されてしまう為、常に不全感や失敗感を持つ。

スケープ・ゴート(Scapegoat)、問題児
家でも学校でもトラブルを起こす。攻撃的に振る舞い存在を主張すると共に家族の中の本来の問題から目をそらす役割を果たす。傷つきや罪の意識が深い。家庭外でもいじめのターゲットになりやすい。

ロスト・ワン(Lost One) 、いないふり
家族の争いの火の粉が自分に降りかかるのを防いだり自分が受けるべき注目や愛情を他人にまわして家族を安心させる。周りは「あの子は放っておいても大丈夫」と安心しているが、内面的には「自分は重要でない」「どうでもいい」とひどく孤独感を味わう。

ピエロ(Clown) 、ひょうきんもの
おどけて家族の緊張感を和らげる。問題を分散させるために注意をそらす役割。落ち着きの無い行動をとり情緒不安を抱える。親のペットのような存在。

リトル・ナース(Little Nurse) 、お世話やき
家の中の問題を何とかしようと奔走する。「優しい子」「思いやりのある子」として、親の愚痴を聞いたり面倒をみる。混乱の中でうまく調整役をこなす。自身の事はそっちのけで家族のために何かをしようと常に考えている。自分を失っている状態で、自分のしたいことや感情を認知することができない。

プリンス・プリンセス(Prince・Princess) 、人形
自分の意思を無視されまるで人形のように溺愛される。溺愛と言えば聞こえはいいが、実際は親にとって都合のいい人格や意思を持つこと以外は許されず、常に人格を否定され続ける存在。役割を背負った子供は自由に楽しい子供時代を過ごすことが出来ず、「親の望んだ通りにしないと嫌われる」という恐怖心に苛まれている。

兄弟が居る場合はそれぞれが役割分担をし、一人っ子の場合は一人で全てのタイプを背負うこととなる。

5 子供の数と機能不全家庭

子供が一人っ子の場合、様々な要因により複数子供がいる場合に比べ更に問題が密室化・深刻化しやすく、危険な状態に陥りやすいとされている。
複数の子供が居れば自然と生じる機能不全家庭の役割分担が存在しないため、全ての役割またはいくつもの役割を一人きりで背負う事となる。
離婚家庭や金銭的問題、過剰に厳しい教育を一人に集中させるため、兄弟の死亡、子に愛情は無いが世間体や親の老後のために一人だけ産む 等、そもそも家庭や夫婦に良くない事情や背景がある場合も少なくないため、子供が産まれる以前から既に機能不全家庭に陥っている、またはその危険性を孕んでいる場合が多い。
人間関係が「大人達」と「子供達」ではなく、大人達対子供一人のため、圧倒的に大人の権力が強く尊大になってしまい、子供一人が複数の大人達の無茶な幻想・矛盾した要望・理不尽な命令に振り回され続ける。
子一人に全ての家庭の負担・親の目線・役割・大人から子に対する被害等が一切反れずに集中砲火するので逃げ場が無く、より一層子供に対する被害が直接的で激しいものとなる。関係や被害が密接で窒息的になりやすい。
「子が一人なら親は可愛がるだろう」「余裕がある筈だから金や愛情をかけて貰えるだろう」「一人っ子なら甘やかされ恵まれている筈だ」というような、それぞれの家庭事情や親の性質、背景の差を全く無視した一般的な偏見により問題そのものが気づかれにくい上、何か問題が起きた場合「一人っ子だから甘やかされた」等と周囲の差別的で的外れな見解で片付けられる場合も多いため、その背景にある深刻な家庭問題や子供が抱える闇を黙殺されやすい。機能不全家族において子供を追い詰める原因となるのは周囲の固定的な価値観の押し付けや偏見であり周囲の人間やカウンセラーは、「この子供は〇〇だから恐らくこうだろう」というような固定観念を捨てる必要がある。

6 子供への影響

機能不全家族で育った子供は、一般的に5つの傾向を持つようになる。
良き子供を演じる
問題のある子を演じる
家族の管理的役割を持つ存在を演じる
自分が存在していないように演じる
現実逃避する

さらに、以下のような特徴もある。
自己愛が発達していない。子供の頃に健全な発達ができなかったため、他者と擬似的親子関係を形成する。
他者を信じることができない。他者の苦しみに対する理解ができない。
自尊心が低く、ポジティブな自己イメージを持てない。
人間関係に常に問題が発生する。
怒り、不安、絶望の感情になりやすい。
他者と孤立しやすい。
無慈悲。
常に真面目で、子供らしさを持ち合わせない。年齢以上に早熟する。
機能不全な関係を他者と築く。
機能不全家族の行動を自分の子供に実行し、機能不全家族の世代間連鎖を引き起こす。

参照
Diaries / 2012-02-19
http://blog.goo.ne.jp/tsuchi00/e/5c53ce28de085f70152698bb922d207e

共依存

2015-10-10 17:23:14 | Diaries
共依存(きょういそん、きょういぞん、Co-dependency)とは、自分と特定の相手がその関係性に過剰に依存しており、その人間関係に囚われている関係への嗜癖状態(アディクション)を指す。すなわち「人を世話・介護することへの依存」「愛情という名の支配」である。共依存者は、相手から依存されることに無意識のうちに自己の存在価値を見出し、そして相手をコントロールし自分の望む行動を取らせることで、自身の心の平安を保とうとする。

共依存という概念は、医療に由来するものではなく、看護現場サイドから生まれた。共依存と呼ばれる前は、Co-alcoholic(アルコール依存症の家族)と呼ばれ、当初は「アルコール依存症患者との関係に束縛された結果、自分の人生を台無しにされてしまっている人々」らの特徴を説明するために使われていた。アルコール依存症患者を世話・介護する家族らは、患者自身に依存し、また患者も介護する家族に依存しているような状態が見受けられることが、以前より経験則的にコメディカルらによって語られていたからである。

共依存にある状況では、依存症患者がパートナーに依存し、またパートナーも患者のケアに依存するために、その環境(人間関係)が持続すると言われている。典型例としては、アルコール依存の夫は妻に多くの迷惑をかけるが、同時に妻は夫の飲酒問題の尻拭いに自分の価値を見出しているような状態である。こういった共依存者は一見献身的・自己犠牲的に見えるが、しかし実際には患者を回復させるような活動を拒み(イネーブリング)、結果として患者が自立する機会を阻害しているという自己中心性を秘めている。



目次
1 アルコール依存以外への概念の広がり
2 現象と問題点
3 パターンと人物像 3.1 ロマンチック蟻地獄の関係
3.2 機能不全家庭
4 管理 4.1 援助の方針

1 アルコール依存以外への概念の広がり

これはアルコール依存症だけではなく、ギャンブル依存症の家族、ドメスティックバイオレンス(DV虐待)などにも見られる現象であると言われている。現在では、単にアルコール依存症患者家族との関係だけでなく、「ある人間関係に囚われ、逃れられない状態にある者」としての定義が受け入れられている。

例えば、暴力をふるう夫とそれに耐える妻の関係、ギャンブル依存者の借金を穴埋めする家族、支配的な親と愛情を受けたい子供の関係、相手から愛されることが目的となっている恋愛関係などがある。この観点から、自立できない子供のパーソナリティ障害・恋愛における自己愛的な障害・ストックホルム症候群にまで共依存の概念が検討され、使用されるようになっている。

共依存関係は、一見すると献身的に見え、共依存者は「だってあの人は私が見捨てたら生きていけません」などの発言をすることが多い。しかし行き過ぎて他人の世話をすることは、当人の能力を奪い、無力化し、その人の生殺与奪を自分次第とする支配になり得る。愛情という名に「完璧に支配しているという快感」を得たいという自己中心性が隠されている。

共依存という概念は、正しく使えば他者と自己との分離、精神的な自律に役立つ。しかし、共依存に対する誤った認識を持つと、「自分が共依存であるからいけないんだ」という考えにより自らを追い込む可能性があり、注意が必要である。そもそも人間関係において誰かに依存するということは病理とは認定されておらず、あくまでも当事者自身が関係に苦痛を感じていることが問題とされる[1]。

2 現象と問題点

共依存者には以下の特徴が見られる。

他人の面倒を見たがる
自己の価値を低く見る
抑圧的である
強迫観念にとらわれやすい
相手をコントロールしたがる
現実を直視できない
何かに依存せずにはいられない
コミュニケーション能力に乏しい
他人との境界があいまいである
信頼感を喪失している
怒りの感情が正常に働かない
セックスが楽しめない
行動が両極端である

共依存の二人は、自己愛の未熟な人間が多いと言われたり、パーソナリティ障害であるケースが多いと言われているが、これはアルコール依存症やアダルトチルドレン、それにパーソナリティ障害の精神病理から導かれたところが多い。その理由として、共依存者も被共依存者も、他者の価値に依存する傾向が多いということが言われている。

例えば、アルコール依存症の家族では患者のアルコール依存を認めるような家族の傾向が認められ、それが患者のアルコール飲酒をさらに深める(イネーブリング)。共依存者パートナーは、アルコール依存者が依存の直中にある時はエネルギッシュでパワフルであるが、患者がアルコールから回復すると逆に抑うつ状態に陥ったりする。

またアダルトチルドレンにおいては、両親が自分の評価のために子供を利用し、そのため子供は大人になっても両親からの自立に困難が生じるようになり、自分自身の力のみで自立ができないのである。また、パーソナリティ障害においては、そもそもの親が子供に依存的なケースであることが多い。アダルトチルドレンと同様、大人になると子供は他者に依存して、その他者に自分の要望を過度に期待するケースが見られる。

共依存の問題点は、被共依存者が回復する機会を失うことだけでなく、共依存に巻き込まれた者がストレスを抱え込み、精神的な異常を訴えたり、さらには関係性に悩み、自殺する場合もある。よって、共依存を引き起こさないためには、医療関係者、専門家、援助者が、共依存を引き起こす者と接する場合には一定の距離を取り、個人的な関係にならないことが必要である。

3 パターンと人物像

共依存は、家族、職場、友人など様々な関係において確認され、ロマンチック、対等、コミュニティ関係などで見られる。

3.1 ロマンチック蟻地獄の関係

共依存関係において、そのパートナーの欲求を果たすために極端な自己犠牲を行うことが共依存者の目的となっている。共依存関係は不健康な関係であり、本人は自律性・自給自足することができず、自分の充足を果たすことを最愛のパートナーに依存している。自分よりも他人の人生を無意識的に優先するというのは、多くの場合では自分の価値を他人に依存しているのであり、それは誤った考えである。

特に問題となるペアには、以下が挙げられる。
パーソナリティ障害者-共依存者のペア 境界性パーソナリティ障害。BPD患者の恋は自分の世話をしてくれる人への寄生である傾向があり、共依存者は自分の問題よりもBPD患者の問題解決が生活の中心となってしまう。この関係は非常に多く見られ、共依存者は「正常である」「責任を持つ」ことに価値を見出してしまう 。
自己愛性パーソナリティ障害。ナルシストへの共依存者は、コ・ナルシスト(co-narcissists)と呼ばれることもある。ナルシストは、自分の理想を受け入れその実現を支援することのできる能力があり、自己よりも他者の要求を優先するパートナーを求め、引きつけようとする。ナルシストにとって共依存者は、自分に熱い視線を送り舞台を称賛する、理想的な観客・サポーターである。二者は互いに引きつけ合うため、この関係から、ナルシストは自分が重要であり特別であるというパワーを得ることができ、共依存者は他者を援助したいという欲求を満たすことができる。
共依存かつ(もしくは)不規則衝動的な個人-共依存者のペア 注意欠陥・多動性障害 (ADHD).
強迫性障害
躁状態の双極性障害

3.2 機能不全家庭

詳細は「機能不全家庭」を参照

機能不全家庭においては、子供は両親の欲求・感情を汲み取ることを学び、親子関係の役割が逆転してしまう。

育児においては、ある種の自己犠牲奉仕が必要であり、子どもの欲求に答えることが必要となるのだが、しかし養育者や保護者の自己奉仕が不健全・破壊的なレベルに達していると、その親子の関係は共依存関係となる 。一般的に、子どもの(感情的・身体的な)欲求をくみ取って世話する親はよい養育者とされるのだが、共依存の親の世話は実際の効果が乏しく、また子供にとって有害にもなり得る。子どものニーズをくみ取ることは必要であるのだが、それは子どもの成長において一定期間のみであり、共依存の親はそれを継続してしまう。

その一方で、自己中心的な共依存の親も多くおり、それらは子どもの感情やニーズを無視し、虐待し、辱め、共依存に至らしめる。

4 管理

共依存関係が治療されないと、さらなる深刻な問題を招き、それにはアルコール依存症、薬物依存症、摂食障害、性依存症、心身問題、自己破壊行動、自己敗北性パーソナリティ障害などが挙げられる。

共依存者は、アグレッシブな人々や、さらにストレスフルな仕事・関係に引きつけられる傾向があり、将来さらなる問題を起こすことが多く、医療が必要であっても自ら受診することは少なく、キャンペーンを行っても反応せず、また非共依存よりも所得が低い傾向がある。

共存者の社会が安全でないという認識は、社交不安障害などに発展することがあり、たとえば社会恐怖、回避性パーソナリティ障害、苦痛的な人見知りが挙げられる。ほかストレス関連する障害もあり、たとえばパニック障害、大うつ病、心的外傷後ストレス障害が挙げられる。

共依存関係は、機能不全家族などで育った人々が陥りやすく、また医療者と患者といった関係においても出現する。また自分自身は健全であると思っていても、他者を操作する被共依存者との共依存関係を改善させるのは容易ではない。よって専門家のアドバイスを受けるのが望ましい。

4.1 援助の方針

全ての専門家が同意する標準的な治療手法はない。共依存からの回復のための手法には様々なものがある。認知行動的な心理療法が選ばれることもあれば、抑うつ症状に対して薬物療法が選ばれることもある。

共依存関係に陥っている場合、当事者は共依存関係について自ら判断するのではなく、第三者である専門家を交えて共依存について対処が望まれる。

対策は、アルコール依存症やアダルトチルドレン、それにパーソナリティ障害などの対策と重なるところがある。正確には共依存への対策は存在せず、それから派生する精神病理への対策が行われる。ただし、その依存性の問題を正面から取り組む場合には、個別のいくつかの対策がカウンセリングなどを通して行われる場合がある。

集団精神療法、自助グループなども活用できる。共依存アノニマス(英語版)(CoDA)、アラノン・アラティーン(英語版)、ナラノン(英語版)、アダルトチルドレン・アルコホーリクス(英語版)などの自助グループは、アルコホーリクス・アノニマスが開発した12ステップのプログラムをベースとしている。また共依存を対象とした多くのセルフヘルプ書籍がある。

共依存者については、何が最善の結果なのか、自らが本来の援助の目的と異なった依存関係を必要としていないか、依存関係が自らの生きる目的となっていないかを再確認する必要がある。イネーブラーの立場から降り、パートナーに暴力を振るわれたら家を出る、警察に通報するといった態度も必要である。

共依存の原因となるパートナー(被共依存者)への対応としては、一定の距離を置きながら援助される。被共依存者は、援助が少ないことに見捨てられた気持ちを抱く可能性もあるが、「自分の人生は自分で切り開いていくしかない」と気づかせることが、結果として被共依存者の回復につながる(底付き、直面化)。被共依存者は支援を受けることに感謝し、関係者を操作することなく、自分自身の置かれている境遇を受け入れることが、回復の第一歩である。

長渕剛 - 航空自衛隊松島基地 隊員激励ライブ_乾杯

2015-10-10 07:57:27 | Diaries
長渕剛 - 航空自衛隊松島基地 隊員激励ライブ_乾杯



2011年4月16日 関東大震災から36日しかたっていないのに、繋いでくれる人がいてよかったですね。

小学校4年生と5年生のときは女の担任の先生で、2年続けて同じ人でしたが、機会があるごとに
しつこく「乾杯」という歌をクラスの生徒達に唄わせていたので、今でもみんなとても上手に歌えるのではないかと思います。

みんな最期の最期まで競わさせられていて、その中で、それでも誰か、ほかの人の事を祝福できるというのはそう簡単なことではないのですよ。

祝える、祝えない、たとえ祝えなくても、それは全然恥ずかしいことではないのですよ。

祝えなくても、笑顔を失わずに我慢して祝うことができたのなら、あなたはよくがんばりました。あなたは立派な大人になることができました。自分の成長に自信を持ってまた生き生きと生きていくことができるでしょう。

誰もが望んだ到達点と違うところで生活のために生きていっている。その中で、選ばれたあなたは、望んだ地点で生活を送るスタート地点に立つことができた。誰もが到達できない幸運な地点からスタートを始めようとしている、
そこで誰が祝福してくれるのだろうかとまわりを見渡してみることになるでしょう。

今日ここに集まってくれた人たちはみんながみんなこのように盛大な祝福を経験したという人ばかりではないというのが見えますか?それでも祝ってくれた彼らに私は何ができるだろうといった考えが頭をよぎったりしますか?

誰もが当然、当たり前のように、この舞台の上にたって生活の新たな門出、区切りを迎えているというわけではないので、これが当たり前だと思ったりしているあなたはいつか、誰かを傷つけてしまうことになるかもしれません。

40年前のあなたへ

乾杯 長渕 剛