新笠通信 奄美電信版

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わたしの弾き語りの下にひれ伏せ わたしの詠唱を受け入れよ 唄者がまつりごとを支配下においたという誤解

2015-11-17 21:32:45 | Diaries
私は母方の祖父、叔母が奄美大島の島唄を三味線で弾き語りしてきた姿を見てきているから、彼らがどういう勘違いをしているかといったことはよくわかる。

絶対に、NHK歌謡コンサートをはじめとする、各種歌番組に出演させてはならない。

この地域でも特に彼らは、弾き語りをしている自分は、政治家や何者をも超越する身分だと信じて疑わなくなっているおのれをさらけ出してしまうことがあるからである。教養の程度、知見の程度を。

ほかにも大勢の出演者が顔を揃える中で、自分だけは違う、いっしょにするなというオーラがあまりにも強く出すぎてしまうのである。

地域の外の、その道を代表するような人たちとあなたには存在意義があるという敬意を示せ合わせる、認め合えるほどの、余裕がないから、ひたすら、必死でいまそれどころではないというふうに、社交辞令すら成立しないのである。

外の、その道を代表するような人たちの活動、成果物に触れているどころではない、自分をみせることで精一杯、外国で有名な文芸作品賞を受賞される人が毎年出るが、そんな才能に気づいたり、認めたりしている余裕が今はないということといっしょです。

あの地域の人間とチームが組めるものかということを受け継いでいるわけで、チームワーク・コンビネーションが成立するなど最初から思っていない。過去から受け継いできた伝承を永遠に語り継いでいこうということなんですね。

政治そのもの、局地戦そのものなんですね。

お互いよいところ、能力を引き出しあう、高めあうといったことからは正反対のなにかをもたらしかねない、いや意図的に、分断、不理解を助長しようという方向に持っていかれてしまうのです。
使い勝手の良い、使い捨てのアーティストとして、政治利用されている。私はいったい何を代弁しているのだろう?私の使命とはいったい何なのだろう。どうして私はこういう台本を読まされているのだろう?

ほかの多くの共演者とはいったい何が違うのだろう?私だけ、歌謡番組で、地域の代弁をはじめてしまっても許されるのだろうか?
ほかの地域の人がそれ以上に苦しい過去を持っていたとしても、耐えて、それを、何かにかえて今を頑張っている姿をみんなに示しているのではないだろうか?

どんな都市、地方であっても心を病んでしまった労働者、失業者はいつになってもいくらでも供給され続けます

2015-11-17 17:59:52 | Diaries
10歳から15歳くらいの頃に、復讐してやる、後悔させてやるといった具体的な強い思い、動機を持ってしまうような境遇で育ってしまうと、

あとから、なにひとつ報償を求めることを放棄しなさい。そのことを忘れてしまいましょう。と言われたとしても、導かれたとしても、相手が何十年後も挑発、無神経な言動を繰り返し続けているそのたんびに、再び、復讐、後悔といった報復に向かうことで、自らを慰めようとする方向に持っていってしまうでしょう。

あなたの身近な労働者や失業者が過激的グループに心身を開け渡してしまおうとしている、巻き込まれて、逃げられなくなって、誰にも相談できなくなっている。そういうことを知ったあなたは何をすべきでしょうか。