筑波大学硬式野球部のブログ

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ラストシーズンに懸ける想い③(人文4・小川慶悟/市立浦和、体育4・小川柾/札幌第一)

2022年08月12日 07時29分06秒 | 2022年 ラストシーズンにかける想い

平素より筑波大学硬式野球部へのご支援、ご声援ありがとうございます。

 

第3回は小川慶悟(人文4・市立浦和)と小川柾(体育4・札幌第一)です。

 

 

 

 

平素より筑波大学硬式野球部への熱いご支援、ご声援、誠にありがとうございます。

 

投手トレーナーの小川慶悟と申します。

 

 

ラストシーズンに先立ちこのような機会をいただいたので、ひとまず普段は伝えることのない両親の感謝を書きしたためてやろうかなと思います。父さん母さん、見てなかったらドンマイ。

 

 

はじめに、ここまで自分を大切に育ててくれて本当にありがとうございます。

 

 

野球も勉強もできて要領の良かった兄と比べて、自分は育てるのに苦労を掛けたと思います。たいして実力もないのに理想ばかり高く掲げる私の姿を見ていつもヒヤヒヤさせていたのではないでしょうか。

 

 

あとなんか考古学に興味持っていて思想強めだし。

 

 

そこまで荒くれものではなかったとは思いますが、別の意味で手のかかる息子だったと自覚しています。

 

 

極めつきは、現役で入った大学に通いながらの筑波大学の再受験です。

 

 

どうしても野球を続けたかったこと、当時専攻していた民俗学に対し昔を知る学問としての限界を感じて考古学を本気で学びたいと考えたこと、私にとっては重要なことでも父と母にとっては一見理解しづらいものであったと思います。

 

しかも他大学へ通っていた1年の間に、母は大病を患い数週間にわたる入院と手術を経験しています(無事成功して今は元気です)。

 

これも私の受験生活を通じたストレスが一因となってしまったのではないかと感じています。

 

 

「家族にここまで迷惑をかけるなら」と本気で夢を諦めようと悩みました。

 

しかしそんな状況でも「夢に向かって頑張れ」と応援してくれたこと、本当に感謝しています。

 

 

ちなみに母は呼吸器をつけていたせいかこのやり取りは口頭ではなく、LINEで文面として残りました。

 

このLINEは目いっぱいにスクショして、お守りとして「お気に入りフォルダ」に鎮座しています。きもいですかね。きもいですよね。

 

 

 

とまあ、本当に両親をはじめとしたいろいろな人たちに支えられてこの野球部で活動して来ることができました。

 

「支えてくれた人への感謝!」といったよくある美談めいた話になってしまうのですが、こと私に関しては他の人よりも支えられている比重が大きいと思うのであえてこのようなことを書かせていただきました。

 

 

さて、話変わりますが、本当に頼りない先輩ながら後輩(特に選手)に伝えたいことがあります。

 

野球部の中でいろいろ辛いことあるだろうけれど、野球を精一杯楽しんでほしいということです。

 

 

みんな小さい頃は単純にボールを投げるのが、打つのが、走るのが楽しくて野球をしていたのだと思います。しかし少年時代とは違い、大学野球にまでなると組織力がより求められ、しがらみが増えてくるのだろうとも思います。

 

 

辟易して何で野球なんかやっているのだろうと考える時もあるでしょう。

 

 

そんな時こそきっかけの部分に着目してみてほしい。

十何年も野球を続けてきた本質が見えるかもしれません。

 

 

なんでこんなことを伝えたいのかというと、シンプルに一先輩として、一スタッフとして後輩が辛そうに野球をやっている所を見るのが心苦しいからです。せっかく野球が楽しくてここまで続けてきて、恐らく多くの部員にとって集大成となる大学野球が辛酸ものになってしまっては非常にもったいない。

 

 

できないことよりも昔と比べて何ができるようになったのかに目を向ける。そうすることで自身をモチベートしたり、今後何をすべきなのか見通しが立てられることもあります。

 

 

ぜひ君たちが自信満々、溌溂颯爽とグラウンドで躍動する姿を目に収めるラストシーズンにしたいです。一緒に頑張りましょう。

 

 

以上、長くまとまりのない文になってしまいましたが、私のブログの結びとさせていただきたいと思います。

 

ここまで読んでくださり本当にありがとうございました。

 

今後ともぜひ弊部への応援の程、よろしくお願いいたします。

人文・文化学群人文学類4年 小川慶悟 

市立浦和高校

 

 

 

 

 

 

 

皆さんこんばんは。

体育専門学群4年の小川柾です。

 

現在原稿の締め切りが過ぎました。すみません。母が国語教師なのですが、文章を書くこと、漢字を読むことが苦手なので、なかなか書く気が起きませんが、所属する広報部局(ほぼ何もやってません🙇‍♂️)の為になんとか知恵を絞って書きたいと思います。

 

拙い文章ですが、お許しください。

 

私は小学校3年生で野球を始めました。実家の部屋はなぜかコンクリートで出来ていて、物心付いた時から壁当てをしていた記憶があります。

 

 

ここで守備の基礎が身につけられたと言っても過言ではありません。

 

 

所属していた西岡ボルテージというチームは区内ではまあそこそこくらいのチームで、とにかく楽しく野球をやっていました。

 

本質ですね。先日、清川孝監督にご挨拶に伺いましたが、現在も沼田公園でバッティングピッチャーをやられてました。お身体に気をつけてください。

 

 

中学は札幌真駒内シニアに入団しました。土日しか練習がないチームで野球やるのが待ち遠しく、毎週暗くなるまで自主練習をしてた記憶があります。

 

 

冬場の練習場は雪道の中1時間半かかるところにあり、毎週送迎してくれた両親には本当に感謝です。

 

激アツ野球少年龍健太君とはここで出会いました。大学でもよく対戦したし、飲みにも行きました。引退したらまた行こう。

 

高校は札幌第一高校に入学しました。中学生の頃は成績が良かったので、強豪校かつその後の進路も考えた上で高校を選択しました。

めでたい事に甲子園と神宮大会に出場したのですが、甲子園では今井副キャプテン率いる健大高崎に、神宮大会では濱内キャプテン率いる履正社に負けました。

 

 

高校は練習もキツく監督も怖かったので絶対に戻りたくない3年間です。監督から電話が来ると今も冷や汗かきます。

 

 

大学はご縁があり、筑波大学に推薦で入学しました。同期に出会ったことや、お酒を教えて下さった先輩、可愛げのある後輩など、様々な人と多くの思い出がありますが、長くなったので割愛させていただきます。大学生活楽しいです。

 

 

ラストシーズンは、これまでの野球人生でお世話になった方々に良い結果を報告ができるようように神宮球場で引退したいと思います。特に父と母と姉には野球中心の生活を送ってきてもらったので、何か少しでも成長した姿をみせたいです。

 

 

頑張ります。優勝☝️

体育専門学群4年 小川柾 

札幌第一高校

 

 


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