平素より筑波大学硬式野球部へのご支援、ご声援ありがとうございます。
第4回は川原雄大(体育4・済々黌)と木口広大(体育4・小平)です。
是非ご覧ください。
みなさんこんにちは。
筑波大学硬式野球部4年、環境整美局長を勤めさせていただいています川原雄大です。
伝えたいことや自分自身の思いが色々あり、上手くまとまらずブログの提出が遅くなってしまいました。寺澤ごめん。
今回のブログでは、最後のリーグ戦にかける私の思いについて書かせていただこうと思います。
私は大学の4年間で怪我や病気に長いこと苦しみました。
振り返ると、スタッフミーティングにて島さんにデブすぎるとお叱りを受けたことをきっかけに、2年の冬に寺原と冷たい雨の日もほぼ毎日エニタイムに行き、食事にも気を使って自分でも理想に近い体になることができました。
寺原、島さんありがとう。けいごにも肩痛いのにハウスで特打に付き合ってもらい、支えてくれる人たちに応えたい思いで、とにかくがむしゃらにやっていました。
お陰で3年の春先には自分でも驚くぐらいに打撃が成長したのを覚えています。
しかし、3年の4月、22歳の年に病院でもらった抗生剤が原因で体調を崩し、約半年間入退院を繰り返した時期は本当に辛いものでした。
寺原とのトレーニングで80キロ近くあった体重も60キロ前半しかなくなり、コロナの影響で面会は禁止。スタッフミーティングでは、怪我や病気には気をつけて頑張ると言っていたのに、このような結果になってしまったことに、大きな罪悪感を抱いていました。
何度退院しても病気がぶり返し、いつ治るかわからない状況に、その当時はみんなを裏切ってしまった、もう野球を続ける資格はないのではないか、もういっそこのまま消えてしまいたいという気持ちに支配され1人で悩んでいました。
そんな中、夏に少しだけ症状が回復し練習に顔を出す機会がありました。
正直部活に行くことが本当に怖かったのを覚えています。しかし、その時に周りからは、選手として活躍することを期待してくれる声や、私の退院を喜んでくれる人がいて本当に嬉しかったです。
ちーくん企画の誕プレもめちゃくちゃ嬉しかった!最近は布団よりもヨギボーで寝ることが多いかも笑
だからこそ、私のことを期待してくれている人のため、野球を続けることを支えてくれたこのチームのために、全力で頑張りたいと思っています。
また、私が小堀に背番号を22番でお願いしたのは、1番辛かった歳、そして支えてくれる人達の大切さに気づかせてくれた歳を忘れないようにするためです。
最後に、下級生に伝えたいことは、1人で抱え込まないでほしいということです。
筑波大学の野球部に所属する下級生は本当に素直で真面目でめちゃんこ可愛いです。あ、成沢にはいじられっぱなしなのでいつかやり返したいと思っています。
ただ、真面目で素直すぎるがゆえに、必要以上に悩み、1人で抱え込んでしまい周りが見えなくなってしまう人が少なくないように感じます。
どうしようもない悩みもあると思います。ただ、誰かに打ち明けるだけでも、心は軽くなるはずです。悩んでいるときは辛いことばかりに目がいくものです。ですが、そんな時こそ周りにしっかりと目を向けて欲しいです、仲間に頼って下さい。
ジンベエも言ってました。
拙い文章でしたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。
最後優勝して、グラウンドでビールかけしよう!
体育専門学群4年 川原雄大
熊本県立済々黌高校
筑波大学野球部4年の木口広大と申します。
平素より筑波大学硬式野球部へのご支援・ご声援誠にありがとうございます。
「ラストシーズンに懸ける想い」というテーマですので、自分の大学生活を振り返りながら書きたいと思います。「アメリカ人」や「海外かぶれ」といわれているとおり、日本語はあまり得意ではないので、大目に見ていただければと思います。
自分は高校まで野球エリートとはかけ離れた野球人生を送ってきましたが、プロ野球選手になりたいという夢を追って筑波大学硬式野球部に入部しました。
入部当初は、自分が今までテレビでしか見たことのない強豪校出身の方々と同じチームになることに興奮し、高校時代の友人たちに自慢していたことを思い出します。
1年生の頃は、ポテンシャルを見込まれてなのか、春リーグ終わりからAチームに合流しました。今思うとなぜあの実力でAに呼ばれたのか不思議ですが、多くの貴重な経験ができ、当時のスタッフの方々には非常に感謝しています。
迎えた秋リーグでは、東海との最終節で初めて帯同に選ばれ、2試合目ではベンチ入りも果たしました。(誰も覚えてないと思うけど…)
1年生の秋でリーグのベンチ入りしたこともあり、期待をもって臨んだ2年生でしたが、寮の同じ階の先輩のマッサージや洗濯に追われていたこともあり、(非常に貴重な経験をさせていただきありがとうございます!感謝しています!)目立った活躍をすることはできませんでした。
3年生になると、主力のピッチャーが3人抜け、やっと訪れたチャンスを逃すまいと、リーグ戦登板を目標意気込んでいたのですが、練習会であの村木さんに返事をせず無視したことで有名な北爪君や、寮の風呂でよくバタ足をしている山田君などとの競争に負け、あと少しのところでリーグ初登板は叶いませんでした。
そこからはケガなどもあり、AとBを行ったり来たりの日々が続き、最上級生となった今は悔しくもBチームでリーグでの登板を目標に練習を積んでいます。
このように、自分の大学野球生活は思うようにはいかず、納得のいく成果を上げることができていませんが、ここまでくじけずに頑張ってこれたのは、自分を支えてくれた家族、そして同期のおかげだと思います。
単身赴任でフィリピンにいても自分の野球について気にかけてくれる父、日々の他愛もない話を通して安心感を与えてくれる母、自分のことを驚くほど慕ってくれている弟、今までたくさん迷惑をかけてきたけれど、自分の夢を応援してくれて本当にありがとう。
同期との日々のコミュニケーションも自分にとっては頑張る糧になっています。特に、愛してやまない西舘君やひねくれコーチの中塚君には感謝しています。
「あれ、お前Aじゃなかったっけ?」とよくやられるいじりは、「早くAに上がってこい!一緒に野球やろうよ!」という励ましの言葉だと自分は認識しています。(後輩の一井君には「辛かったらいつでも相談してくださいね。」と心配されていますが…)
支えてくれる人への感謝を忘れないことは野球人なら誰もが小さいころから言われていて、当たり前のことだと思いますが、学生野球のラストシーズンである今だからこそ、改めて大事にしていきたいと思います。
そして、応援してくれている皆さんに恩返しできるよう、リーグで登板し、チームの目標であるリーグ優勝・日本一に貢献したいと思います。
拙い文章だったとは思いますが、最後まで読んでいただきありがとうございます。
今後とも筑波大学硬式野球部への応援の程、よろしくお願いします。
体育専門学群4年 木口広大
都立小平高校
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