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平素より筑波大学硬式野球部へのご支援、ご声援を賜り、誠にありがとうございます。
広報部局の本間暁登です。
昨年と同様に、「1年生ブログ~先輩、私の話聞いてもらってもいいですか~」というテーマのもと、我々1年生31人がそれぞれブログを書きました。
筑波の未来を担う私たちの熱い意気込みや野望、目標をぜひご覧ください!
本日の1人目の担当は、濵野晃太郎(体育1・石橋)です。
皆さんこんにちは。
広報部局の本間暁登です。
昨年と同様に、「1年生ブログ~先輩、私の話聞いてもらってもいいですか~」というテーマのもと、我々1年生31人がそれぞれブログを書きました。
筑波の未来を担う私たちの熱い意気込みや野望、目標をぜひご覧ください!
本日の1人目の担当は、濵野晃太郎(体育1・石橋)です。
皆さんこんにちは。
体育専門学群1年の濵野晃太郎です。
初めてブログを書くにあたり、今までの振り返りや、今後の目標について書かせて頂いたので、温かい目でご覧いただければ幸いです。
私は、2006年1月10日に栃木県上三川町で生を授かりました。
物心ついた時には野球をしていました。
小学2年の時に、小学校のクラブチームに入部してから、約11年間野球を続けてこれたのはいつも支えてくれた両親を始め、家族みんなのおかげです。本当に感謝しています。
また、この11年間辛いことも沢山ありましたが、高校3年の春に21世紀枠で憧れの甲子園にも出場することができ最高の体験をすることができました。
また私は、小、中、高とチームメイトに恵まれました。
優しい先輩に頼りになる同級生、とても元気な後輩に、たくさん助けられました。ありがとうございます。
前置きがやや長くなってしまいましたが、本題に入ろうと思います。
私が筑波大学を目指したきっかけは、父親からの勧めでした。
高校の恩師の福田先生は、「文武不岐」ということをよくおっしゃり、部活だけでなく勉学にも力を注げとよく指導してくださいました。
同校の先輩で成績も常に学年トップクラスだった亀井湧希さんとは違い私は、常に学年で最下位で対照的な存在でした。その影響もあり、湧希さんと同じ筑波に行くと言った時には、9割以上の人に無理だと言われ、バカにされました。
それが悔しく部活を引退したあとは、めちゃくちゃ勉強しました。
しかし、共テ直前の最後の模試までずっとE判定でした。それでも諦めず本番では奇跡のC判定をとることができました。
そこからは楽しい2次対策が始まりました。毎日身体を動かしたり、キャッチボールをしたりと、とても充実していました。
そして、筑波の合格を勝ち取ることができました。改めて、国谷先生を始め、一緒に励ましあい頑張った、藤巻くん、近藤くん、林くん、手伝ってくれた横松くん、大金くん、(石川くん?)そして石高のみんなにほんとに感謝してます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6a/6f/8a442ebc0e9432364bacd31a83eb4478.jpg)
念願の筑波大学硬式野球部に入部してからは苦悩の連続でした。
家事を全て1人でこなすことの大変さや、大学野球のレベルの高さを痛感しました。
また練習内容を自分で考え、全体練習を動かすことの難しさも実感しました。
日々自分の力不足を実感し、心が折れそうになることも何度かありました。
そんな時にいつも言い聞かせる言葉があります。
「たった一度の成功で得た自信はたった一度の失敗で不安に変わる」という言葉です。
これは湧希さんの受験体験記や、ブログに書いてある言葉で、何度もこの言葉に救われました。
目の前の結果に一喜一憂するのではなく、長い目で見て、失敗と向き合うことで、自分の理想像に少しずつ近づけると私は思います。
まだまだリーグ戦の戦力になるには程遠いですが、ひとつひとつの課題に向き合い努力し続けたいと思います。
いつもアドバイスや、指導をしてくださる頼もしい先輩方や、同級生のみんなと切磋琢磨しながら日々精進していきたいと思います。
最後まで読んで頂きありがとうございました。
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体育専門学群1年 濵野晃太郎
石橋高校
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