平素より筑波大学硬式野球部へのご支援、ご声援ありがとうございます。
第7回は小林哲春(体育4・都立昭和)と榊原慎太郎(体育4・島田)です。
是非ご覧ください!
こんにちは。
筑波大学硬式野球部4年の小林哲春です。
「ラストシーズンに懸ける想い」も12人目となり、人によってはそろそろ全員分読むのを諦めている頃でしょう。自分が下級生の頃はそうでした。先輩方すみません。自分と投稿日が同じである「熱い男榊原君」に負けないような熱い想いを綴ろうと思うので、ぜひご覧ください。
部員のみなさんは自分に対して、年明けの駅伝でMVP賞を取ったり、スタッフなのにウエイトの時一番声を出していたり、1時間ぶっ続けでバッティングピッチャーをしたりと「脳筋」というイメージがあるかもしれません。9割正解です。高校時代から垣間見え始めた脳筋さは、大学で賢いみんなに囲まれ開花しました。ここからは野球人生を振り返りながら筋肉で考え、筋肉で文を書いていきたいと思います。
高校2年生の夏休み。チームで遠投を1番飛ばしたことをきっかけにピッチャーを始めました。それまではピッチャーとは無縁でした。
当時はサイドスローでピッチャーをやっていましたが、常に肩と肘に痛みを抱えながらプレーしており、試合の日の朝は起きることが怖くて苦痛な日々を送っていました。オーバースローで投げると痛みは軽減したものの、チーム事情やサイドスローでの成績が良いこともあり、なかなか転向できず、最後はボロボロの状態で不完全燃焼のまま引退しました。高校時代の最速は128キロでした。
ただ、痛みを感じるということはその分投げ方が悪く、しっかりと力の伝達ができれば140キロ出るのではないかというあてのない自信だけはありました。この不完全燃焼と将来の自分への期待が筑波大学で大学野球をやるという原動力になりました。
大学野球はコロナ禍で迎え、部活が無い時期の1人での練習や再開後の筑波のトレーニングにより8月の初ブルペンでいきなり140キロを投げてしまいました。130キロもまともに投げたことがなかった自分にとって140キロは雲の上の存在であり、そこに到達したことがたまらなく嬉しく、ワクワクの大学野球生活がスタートしました。ここでの球速爆上げ法は長くなるので割愛しますが興味のある人はぜひ直接聞いてください。
しかし、150人の部員と素晴らしい投手ばかりの同級生の中で、Aチームからは程遠く当然のごとくBチームからのスタートでした。
そんな中、1年生の12月。気温5度を下回る極寒の中、ブルペンで140キロ越えを連発。これをきっかけに年明けからAチームに呼ばれることができました。止まらぬワクワクと緊張感の中、ここからが自分の本格的な大学野球の始まり
と思いきや、1ヶ月も経たないうちに腰を疲労骨折してしまいました。
そこから約1年間復帰できず、野球人生の中で1番つらい経験となりました。かなり追い込まれていたのか、プライベートを含めこの時期の記憶だけがあまり思い出せません。
その後、復帰し始めでスタッフミーティングを迎えました。約半数がスタッフになっていく中で、怪我とAチームでの経験を活かし、学生コーチになる方がチームは強くなるのではないかと思い、現在の投手コーチになりました。プロや社会人、独立など上でも野球をやりたいという思いで始めた大学野球でしたが、その夢はここで途絶えてしまいました。今でも怪我をしていなかったら、選手を続けていたらどこまで自分は成長できたのかを考える時があります。
でも、そんなの考えたところで何にもなりません。だから、選んだ道を正解にすべく、自分にしかできないことを模索してきました。ライブ配信課にもデータ活用局にも部内企画課にも入りました。
投手コーチとしては、コロナで制限も多かった中、Aキャンプに3回も行くことができ、ヘッドコーチではないのに運よく昨年の秋リーグにも今年の春リーグにもベンチに入ることができました。選手時代には味わえなかった最前線で戦うことができてとても嬉しく楽しかったです。
同期のピッチャーへ。選手を続けた人の活躍している姿や必死に練習する姿、スタッフのチームを第一に考えどんどん新しいことに挑戦していく姿。それが自分を奮い立たせてくれました。ありがとう。
最後に。
「本気で優勝したい」「本気で日本一を獲りたい」です。
1.2年生の頃はコロナもあり、リーグ下位を争っているチームでしたが、昨年の秋リーグでは2位、今年の春リーグでは3位と、自分にはこの秋リーグで優勝するための順位であったようにしか思えません。
今年のチームは本気で優勝したいと思える、本気で優勝できると思う、本気で優勝のために何でもしたいと思えるチームです。
筑波の野球部が、みんなが大好きです。勉強頑張って筑波に入って良かった。
あとは結果だけ。
そのためにも自分はピッチャーとして投げまくります。バントピッチャー1時間耐久や週2000球もこなしてきました。選手時代よりも圧倒的に投球数が多く、きつい時もありますがなんやかんや楽しくて投げています。Aチームでなくても、下級生でも大歓迎です。自主練で投げてほしい人がいたら投げるので気軽に声かけてください。
鉄腕ならぬ哲腕でラストシーズン突っ走りたいと思います。
体育専門学群4年 小林哲春
東京都立昭和高校
皆さん、こんにちは。
筑波大学硬式野球部4年榊原慎太郎です。
平素より多大なるご支援ありがとうございます。
決して読みやすい文章ではありませんが最後まで読んでいただけると幸いです。
あと少しで秋リーグが開幕します。泣いても笑っても最後のリーグです。優勝したいです。
野球部のみんなからしたら本当に思ってんのかよと思うかもしれませんが、本当に優勝したいです。優勝して全国に出たくて筑波に入ってきました。
4年生がもっと1つの方向に向かえば優勝できると本気で思っています。
全員で優勝に向かっていこう。
1.2.3年生のみんな本気で優勝目指して4年生についてきて欲しい。理由はなんでもいいから一緒に優勝目指していこう。
甲子園に出たことがあるわけでもないし何かの大会で優勝したことがあるわけでもありませんが「勝つ」これは何にも代え難い素晴らしいものだと思います。だからリーグ戦はもちろん、オープン戦も紅白戦でも勝ちたいと思ってます。勝ってみんなと喜びを共有したいです。
話は変わりますが、僕は、必死に喰らいついて泥臭く生きることが好きです。理由はかっこいいからです。僕はこんな自分が好きです。チャンスがある限り諦めたくないです。あの時やっておけばという後悔はしないように人生を生きたいです。
今までの人生でそんな人たちとしか出会ってこなかったからということもあると思います。僕は今までの人生で僕と関わってくれた人に本当に感謝しかないです。ありがとうございます。
それともう1つ、間違いなくこの自分に育ったのは両親のおかげだと思っています。
高校の時から少しずつ気付いていたけど恥ずかしくて言えなかったありがとうという言葉、今では普通に言えるくらいに成長しました。2人のもとに生まれて良かったと思ってます。ありがとう。今までずっと野球でどこかに旅行に行ったり出掛けたりすることがあまり出来ていなかったので家族みんなで出掛けて思い出を増やしたいです。30周年ライブ以来行っていないサザンオールスターズのライブに家族で行こう。
僕には弟もいます。弟は大学2年生で今も野球をやっています。いつも弟の代は強くて羨ましい気持ちが強かったです。そんな弟の活躍には嬉しい気持ちと自分も頑張ろうという刺激を貰い続けています。ぜひ、日本一になってください。
先ほども述べましたが、僕は泥臭く一球に喰らいつき我武者羅に野球をやりたいです。
僕は去年はCチーム、今年はBチームのヘッドコーチです。スタッフになってから「必死」「執念」「勝負」というようなことを選手のみんなに伝えてきました。
ですが、去年のCチームの時はもちろん、春先くらいまで全く伝わりませんでした。Cチームの時はやれると思って本気で4:15からメニューを組みました。初日で遅刻し、その後1週間に1回のペースで遅刻して信頼なんてものは無くなりました。大変申し訳ありませんでした。
春先はみんなが何をやっていいかわからないし、やらされてるような練習をやっている日がほとんどだったと思います。
そんな日々を送っている時はこんな野球をみんなとやりたかったわけじゃないのになんでこんな風になるんだとずっと思っていました。
みんなもきっと、いつもより野球に来るのが億劫だったと思います。申し訳なかったとめちゃくちゃ思っています。ですが、何が変わったのかわかりませんが、最近のBチームは僕が伝えたかったことをみんながわかってくれて少しずつできるようになってきている気がして嬉しいです。
Bのみんなが好きです。このチームで勝ちたい。この文章を読んでくれた関甲新に行く選手、スタッフ、みんなで絶対に優勝しよう。
今津、竹本、岸、夏目
今まで下のチームにいることが多く、たまにAの試合に行っても弾き返されてまたBでの日々を送ることが多くて苦しかったことがほとんどだと思うけど、いつも練習では助けてくれてありがとう。残された最後のチャンスを掴んで絶対にリーグに出てほしい。バッピ、ノックやらせてください。
いつも慕ってくれてる後輩
Bで試合して勝って喜ぶことも嬉しいけどやっぱりリーグに出てプレーするのが1番。みんながリーグに出てる場面を見たいです。練習するか迷ったらやろう。付き合うし、付き合わせてくれ。
最後は勝って泣いて胴上げされたい。
最後になりますが、秋リーグ1.2.3.4年生全員で優勝を掴みにいこう。
体育専門学群4年 榊原慎太郎
静岡県立島田高校