平素より筑波大学硬式野球部へのご支援、ご声援ありがとうございます。
第8回は佐藤耕平(体育4・弥栄)と鈴木康平(教育4・山形東)です。
是非ご覧ください!
こんにちは。
4年の佐藤耕平です。
日頃より筑波大学硬式野球部へのご支援・ご声援のほど誠にありがとうございます。
正直なところ、どんなことを書こうか迷っているのですが、今回は自分の性格について少し掘り下げていきたいと思います。
自分のイメージを部員に聞くと、「何を考えているかわからない」、「独特の世界観を持っている」といった印象を持っているという返答がよくあります。
あながち、間違ってないなと自分でも思っています。これは自分の性格が不器用だけど、こだわりが強いからだと思います。
1・2年生の頃はどうやったら上手くなるのかがわからず、質より量でボールが暗くて見えなくなるまで自主練していたのを覚えています。遅くまでノックを打ってくださったり、トスを上げていただいたりした当時の学生コーチの方々には本当に感謝の気持ちでいっぱいです。あの時はありがとうございました。
そんなこんなで、2年生の終わりから3年生になるにかけて、自分の野球史上トップに近い挫折を経験をしました。この時は練習しても上手くなるイメージが見えない。
なんでこんな辛い思いをしてまで野球をやっているのか。
人生で今までにないくらい野球が精神的に辛い時期でした。しかしながら、この時期に野球と自分に向き合えたからこそ不器用なりに考えることの重要性について理解できました。
僕は全国大会の出たこともなければ、大学でレギュラーとして試合に出続けてこられた選手ではありません。
そんな僕であっても必要としてくれる人のために、ワンプレーを不器用に泥臭く一生懸命にやりぬくことが唯一自分にできることだと思います。一人では到達することのできない全国の舞台、またその先にある日本一という目標を今の筑波大学硬式野球部のメンバーで成し遂げたい。
本気でこの目標を持った同期が近くにいたからこそ、今でもこの目標を実現したいと思えています。記憶だけではなく、記録に残る結果をこの秋シーズンに創りましょう!
家族へ
5歳から現在まで野球を続けさせてくれてありがとうございます。
これまでの支えがなければ、大学まで野球を続けてくることはできませんでした。
最後のシーズンを1日でも長くグラウンドに立っていられるように、一生懸命頑張るので応援よろしくお願いします。
最後に、こんな自分と野球を共にやってきてくれてありがとう。
リーグ優勝して日本一まで駆け抜けよう!
拙い文章とはなりましたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。
体育専門学群4年 佐藤耕平
弥栄高校
みなさんこんにちは。筑波大学硬式野球部4年の鈴木康平と申します。
キャンプ移動中のバスで、隣の席がブログの編集者の一井君だったので書かなきゃいけないことを思い出しました。
普段皆さんにどう見られているかわかりませんが、それなりに熱いを思い持ってる気がするので表現できるように頑張ります。
「ラストシーズンにかける思い」というものがテーマだそうです。重たいですね。僕の野球人生でラストシーズンは小・中・高の3回あったかなと思います。試合の前日は素振りの最後の一本がなかなかしっくりこなくて終われなかったりなんかしてた記憶があります。
この度のラストシーズンは今までとはだいぶ様相が違うみたいです。どうやら野球人生的にラストシーズンみたいです。しかも選手ではなく、主務・マネージャーとして。
死ぬまで真剣に野球にかかわる人間なんてほんの一握りです。
解説の仕事が引っ張りだこなレジェンド野球選手か野球研究の第一人者川村卓先生くらいです。そのような方々の野球愛は本当に尊敬できます。
そうじゃない普通の人はみんなどこかで必ず引退することになると思います。
今まで一緒にプレーしてきた友達の中にも、中学で陸上部に入った友達、高校で応援団に入った友達、大学でお笑いサークルに入った友達、僕よりも少しだけ早く大学野球を引退した友達といろいろいました。ついに僕の番が回ってきたかという感じです。
初めて父とキャッチボールをしたのが3、4歳ぐらいだったそうですが、後ろに転がったボールを取りに行くのが嫌だったみたいですぐに飽きたそうです(この時もっと根性があればもっとマシな野球選手になれたかもしれないですね)。そんな野球との出会いを思えばよくこんなにも続けてこられたなと思います。もちろん、家族や先生、友達など非常に多くの人の助けがあったからだと思います。とても感謝してもしきれません。もう少しだけ応援していただけると嬉しいです。
ここまでが「ラストシーズン」についてです。ここから「かける思い」を書いていきたいと思います。
こんな感じで人より少しだけ長く続けてきた野球人生ですが、僕は野球を見るのも好きでしたがすることがなにより好きでした。バッティングも守備も走塁も好きでした。筑波大学で野球をしようと思ったのも、川村先生の本を読んだり練習を見学したりして、今までよりも高いレベルで野球をプレーしてみたいと思ったからです。
しかし今は野球というスポーツを見るでもするでもなく支える側にいます。
大学で野球をするまで考えてもみませんでした。今でも好き嫌いでいえば野球をする方が好きです。
それなのに僕がマネージャーをやっている理由は単純に言えば僕が下手だったからでした。
だからと言ってマネージャーが選手よりも価値が低いわけではありません。
選手が試合で活躍したりミスしたりするのと同じようにチームに責任を持っているからです。責任をもってチームに関わっているからこそ、勝ったらプレーしている人と同じようにうれしいし、負けたら悔しいです。好き嫌いを超えたからこそ得られる感動的なやつです。
また、マネージャーになったからこそ、僕の憧れだった筑波大学をみんなが憧れる筑波大学をにすることに少しでも貢献することができた気がします。
マネージャーを選んだ理由はもう一つあります。
私が入部した年はコロナが流行り始めた年で、最初はオープン戦どころか練習もできませんでした。僕が大学生活を通して出場した対外試合は4試合です。多分。9イニングあったかないかぐらいだと思います。スポーツをしている以上試合をやるのが一番楽しいと僕は思うので、後輩には少しでも多く試合をしてほしいと思ってマネージャーになりました。コロナが落ち着いたこともあって試合だけでなくキャンプなどもできるようになったことはチームにとっては価値のあることだったと信じています。
いろいろ書きましたが、この秋リーグの試合の結果(勝ち負けだけじゃなく、応援も局活動、そのほか様々な活動も含めた)こそ、自分のやってきたことの成果だと思います。それが少しでも良いものになること目指し、後悔のないよう一日一日を過ごすことがラストシーズンにかける思いです。
最後に、死ぬまで野球を真剣に続ける人はほとんどいないといいましたが、これからも草野球をしたり、プロ野球を見たり、子どもがやりたいといえば野球チームに連れて行ったりはあるかもしれません。そういう意味では誰しも死ぬまで野球に関わり続けると思います。
がむしゃらに白球を追うだけではなく支えるという経験を通して野球に対する愛的なものは深まったかもしれません。
僕の友達よりちょっと長く続けてきた野球ですが、このチームでどの大学生よりも長く野球を続けたいですね。
リーグ優勝、日本一絶対達成しましょう!!
人間学群教育学類4年 鈴木康平
山形県立山形東高校