平素より筑波大学硬式野球部へのご支援、ご声援ありがとうございます。
広報部局の一井です。
この度、4 年生がラストシーズンを迎えるにあたって、4 年生にラストシーズンに懸ける想いを綴ってもらいました。
4 年生のそれぞれの想いをぜひご覧ください。
第1回となる今回は阿部誠洋(応理4・土浦第一)です。
こんにちは。
4年投手コーチの阿部誠洋です。
平素より筑波大学硬式野球部へのご支援、ご声援をいただきありがとうございます。
初めての長文投稿で、文章がまとまっていない部分もあるかもしれませんが、どうぞ暖かい目でご覧ください。
コロナで思い描いたスタートとは違った大学生活が始まり、あっという間にこの「ラストシーズンに懸ける思い」を書く時期が訪れました。名前の順での投稿なので、注目が集まる1番最初になってしまったことは、面白いことも言えないし深いことも言えない理系陰キャラの自分にとって大きなプレッシャーになっています、、
いきなりですが、このチームでは2年生の時にスタッフになるかどうかを話すミーティングがあります。
入学した頃は、自分はスタッフになるなら辞めるとずっと思っていたのに、スタッフになりました。この時なぜ学生コーチになったかと言えば、正直これといった明確な理由がある訳ではなかったです。周りのみんなの後押しがあったことと指導者ってどんな視点で見えてるんだろうという興味、これだけだったと思います。
そのため、この場では学生コーチになった理由などを書かれることが多いと思いますが、自分はこの2年で変わったことを書きたいと思います。そのために大学に入る少し前からの話をさせてください。
中学の頃、人1倍努力しそれなりに良い経験が出来たので、高校に入っても同じように活躍出来ると思っていました。
そんな思いとは対称に、上手くなるどころか、頑張れば頑張るほどどんどん下手になっていきました。秋、春と試合を壊し、夏大には1度も出ることなく高校野球を引退します。
引退してからは、思い通りに上手くいかなかったことが受け入れられず、辛くなる時間が増えました。筑波大学で野球を続けることを決めたのは、いい環境で自分が上手くなればこの辛さから解放されるからかなと思ったからでした。
大学に入ってからは、周りのレベルの高さに圧倒されながらも、選手としては自分の中で大きく成長したと思います。ですが、辛くなるが無くなることはありませんでした。
チームに貢献するってことをあまり考えてこなかったので、学生コーチになってからは、とりあえず全力でやろうとしました。
トレーニングを1から考え直したり、フォームについて学んだりして、色々とメニュー増やしたり新しいことをしようとしたりしていたので、篤樹と飯長(見てるかな?)には大きな負担をかけました。すみません。
知識があれば、すぐに選手が成長できるだろうと思っていたのですが、なかなか上手くいきません。
そのため、どうしたら選手が成長できるか少し時間が出来たら1人1人について考えるようになりました。ピッチャーだけでもかなりの人数がいるので、課題はそれぞれですし、それぞれの性格や考え方に合わせて伝え方にも工夫がいることを知りました。
伝え方を工夫していく中で、前の自分だったらどう受け止めるか考えるようになり、そのため、高校時代の自分を振り返る機会が増えていきます。
色んな性格の選手を見ていく中で、高校時代の自分は監督やチームメイトからどのように見られていたのか、少しずつですが理解できるようになっていき、同時に高校時代の自分を受け入れられるようになっていきました。
他者に関心を持てば自分を見つめるきっかけになること。自分のことしか考えられないし、周りが見えなくなっている自分には気がつけませんでしたが、学生コーチとしての時間が教えてくれました。
学生コーチという選択肢を取ったことは、今では自分にとって「大正解」だったと思います。自分におきたこの変化と、なにより選手のみんなが成長した姿を見せてくれることに本気で喜びを感じること、これらはこの先なかなかできる経験ではないと思うからです。
ここまでご覧いただきありがとうございました。
最後に、今まで野球ができたこと、たくさん応援してもらえたことに感謝して最後まで駆け抜けます。
後輩のみんな、僕ら4年にもう少しだけ力を貸してください!
「リーグ優勝」「日本一」
掴み取りましょう!
理工学群応用理工学類 阿部誠洋
茨城県立土浦第一高等学校