平素より筑波大学硬式野球部へのご支援、ご声援ありがとうございます。
第6回は桐本貫太(体育4・新潟)と河本逸聖(体育4・岡山城東)です。
是非ご覧ください!
こんにちは。4年の桐本貫太です。
一井君からブログの依頼が来て早1か月、熟考に熟考を重ねた結果、普通の文章が出来上がってしまいました。興味のある方はぜひ最後まで読んでいってください。
まずは、自分のことについて紹介します。
僕は母の故郷である山梨の病院で爆誕しました。そこからは東京、鹿児島、福岡に2年ずつ住んだあと、新潟に引っ越し、高校卒業まで過ごしました。ちなみに現在実家は広島にあります。
見ての通り、たくさん引っ越しをしている経験があるので、人間関係を構築する能力が鍛えられ、とても社交的で明るい好青年に育ちませんでした。
もともと人見知りで、今でも本当に気を許した友人か、お酒が入っているとき以外は、何しゃべるか考えてから話すような人間です。
好きなものは漫画とお笑いとあと、野球です。周りにはお笑い好きと豪語していますが、小学生レベルの下ネタとダジャレに1人だけ大笑いし、自分のお笑いレベルの低さに落胆しています。
好きな言葉は「迷ったら難しい方を選べ」です。
これを実際に体現するというのはかなり難しいことだと思いますが、最近では自炊した後の食器を今洗うか、明日の自分に託すかで迷ったときは今洗うようにしています。これは余談ですが、自主練行くか迷ったときも行くようにしています。
もちろん、この程度のレベルでは満足していません。練習後の水筒もすぐに洗うようにします。
さて、本題に入りますが、僕の人生の中心にはいつも野球がありました。
ただ、小中高のエピソードを書いても何の伏線にもならないので、やはりここは大学に入ってからのことを振り返ってみようかなと思います。
正直、大学での野球は目を覆いたくなるようなことばかりでした。
1年生の頃から期待はされていたものの、怪我と不調の繰り返しで全く結果が出ず、悔しい思いをしてきました。
そんな自分が嫌で、3年生以降は高校以前の友達とは会わないようにしているくらいです。人生上手くいってないやつが同窓会を欠席するみたいな感じです。あ、名誉のため、言っておきますが、友達はそんな僕を馬鹿にするような人たちではありません。会ったら気にせずいつも通り接してくれる大好きな人たちばかりです。
そして、さらに悔しいことに選手をあきらめざるを得ない状況になってしまいました。
しかし、目標は変わらずリーグ優勝、日本一です。そこに対してできること目一杯やって、少しでも勝ちに貢献できるように頑張っていきます。
また、僕の言葉が多くの人たちに届くせっかくの機会なので感謝の気持ちを書かせてください。子供のころから母に言われて親戚に書いていたお礼のお手紙は気持ちがこもらず、書くのが面倒でしたが、今回は心をこめて書きます。
お父さん、僕の夢を信じ、応援し、最大限の協力をしてくれてありがとう。まだまだこれからです。
お母さん、いつも気にかけて、心配してくれて、そして応援してくれてありがとう。ちょっと素直になれなくて、不愛想な返事をしてしまいますが、いつも感謝しています。
SMITのみなさん。やっかいなケガをもった僕を見捨てず、4年間も診てくれてありがとうございます。時にいらいらが態度に出てしまうこともあり、ご迷惑をおかけしました。野球をやめずにやってこれたのはみなさんの力がとても大きかったと思います。
そして、同期のみんな。スタッフミーティングで選手として選んでくれたのに、結果が出せない中、それでも対等に扱ってくれてありがとう。正直、こんな性格なので、時間が過ぎればすぎるほど肩身が狭くなる思いでしたが、みんなが普通に接してくれることがとてもありがたかった。特に投手スタッフのみんな。感謝しかありません。
大学野球最後のリーグ戦、手段は問わず、チームのリーグ優勝、日本一に最大限貢献していきます。
最後に、
父母会の前日、父に「筑波に入ってよかったか?」と聞かれました。当然ですよね、大学野球を始めてもう4年目だというのに、一度も良い報告がないんですから。
確かに、筑波大での4年間はつらいことの方が多かったように思えます。
しかしまだ、「この経験をしてよかった」といつか思える選択肢が残されています。
それは今後の自分の行動次第なのですが。ブログで森口ヘッドの「勝っても負けても官軍」を読むと僕の言いたいことが伝わるかと思います。
また、それが無くても僕は筑波大硬式野球部に入部してたくさんの尊敬できる仲間に会えました。この出会いは間違いなく僕にとっての財産です。
いけない、いけない、視界がぼやけてきました。改めて質問に答えましょう。
お父さん、俺、筑波大で野球やっててよかったよ。
体育専門学群4年 桐本貫太
新潟県立新潟高等学校
こんにちは。4年外野手の河本逸聖です。
日頃より筑波大学硬式野球部へのご支援・ご声援のほどありがとうございます。
大学野球を振り返ってみると、常に大きなケガとの戦いでした。
1年生の3月に右肩のインピンジメントを発症して離脱、二ヶ月に一度注射を打つ生活が始まりました。
3年生の5月には右膝の内側側副靭帯損傷で1か月半の離脱、9月には左膝の後十字靭帯を損傷しました。
この影響で足が遅くなり、走り方もおかしいです。(元からあまり速くないという意見をたまに頂きますが、そのような意見は受け付けておりません。)
そして現在は、春リーグ東海大学との第3戦で帰塁の際に右肩を完全脱臼してしまい2か月野球ができていません。そろそろ3か月に突入します。
大学野球ラストシーズンの前に一番大きなケガをしてしまいました。
脱臼をして病院の先生からもう選手として続けていくことは難しい、何なら運動自体厳しいかもしれないと伝えられた時は、頭が真っ白になりました。
病院からの帰り道、公園のベンチに座って父に電話をして号泣したことを覚えています。
野球ができなくなる悲しさ、応援を裏切る形になってしまった申し訳なさ、運動ができないのに体育教師になることに対する将来への不安、様々な感情が入り混じっていました。
それでも現在は復帰を目指してリハビリをしながら練習に参加しています。
一度は選手をやめてサポートに回ることを考えました。しかし監督さんや森口(4年野手ヘッド)からお前の気持ちを尊重するという言葉をかけていただき、選手復帰を目指すことを決めました。
本当に感謝しかありません。
わずかな望みにかけてくれていること、まともに練習参加できないのにAチームに置いていてくれること、感謝してもしきれません。
他にも毎日リハビリに付き合ってくれるトレーナーのみんな、事あるごとに声をかけてくれる航大(3年外野手)と真也(3年外野手)、何を考えているのかわからないけどどんな時も普段通り接してくれる耕平(4年内野手)、野球以外でお世話になりすぎている絃(4年投手ヘッド)、ほんとうにありがとう。
いつも感謝を伝えられていない両親へ。ここまで野球を続けさせてくれてありがとう。もう少しだけ応援してください。
最後に野球部のみんなへ。
僕は卒業後、地元へ戻って体育教師になります。
筑波大学でみんなと出会い、みんなと経験してきたことは素晴らしかったと生徒に伝えるつもりです。
大学野球ラストシーズンの結果が中途半端だったなんて話はしたくないです。
リーグ優勝してビールかけしましょう。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。
体育専門学群4年 河本逸聖
岡山城東高校