筑波大学硬式野球部のブログ

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1年生ブログ~先輩、私の話聞いてもらってもいいですか~星勇輝(体育1・仙台第二)

2024年12月06日 19時00分00秒 | 2024 1年生ブログ
平素より筑波大学硬式野球部へのご支援、ご声援を賜り、誠にありがとうございます。




広報部局の本間暁登です。




昨年と同様に、「1年生ブログ~先輩、私の話聞いてもらってもいいですか~」というテーマのもと、我々1年生31人がそれぞれブログを書きました。




筑波の未来を担う私たちの熱い意気込みや野望、目標をぜひご覧ください!




本日の2人目の担当は、星勇輝(体育1・仙台第二)です。












こんにちは。筑波大学体育専門学群一年の星勇輝です。

平素より弊部への応援、誠にありがとうございます。

文章力がなく冗長な文章になっていますが、読んでいただけると嬉しいです。







私は、宮城県の仙台市で生まれ育ちました。仙台は人が多すぎず少なすぎないという点で、住みよい街だと思います。
でも観光地はありません。








野球は中学から始めました。

常に部員不足で、公式戦では一回しか勝てませんでした。当時は肩が強かった(足も速かった)のでピッチャーをやったりしましたが、制球難のために早々にクビになり、キャッチャーとなりました。

中学一年の時に見に行った仙台二高一高定期戦に憧れたのと、文武両道を実現したいと思い、仙台二高に進学しました。







二高の野球部は、「フィジカルや技術が劣っている中でも、工夫や思考力を駆使して強豪私学に勝つ」ことを目標に掲げていました。

ただ投げるだけ打つだけの野球をしてきた自分にとって二高での野球は刺激的で、今の自分の根幹となっています。


チームメイトにも恵まれ、23年ぶりに秋県ベスト8を達成するなど、充実した高校野球生活を送れました。ですが、目標だった強豪私学を倒すことはできませんでした。










大学進学に関して、当初は周りの同級生と同様、地元の国立大を目指そうと考えていました。

しかし高校三年の時、高校の先輩の酒井捷さん(東京大学3年)が東大で2年生ながらレギュラーとなり、早稲田大の投手から本塁打を放ったり、ベストナインに選出されるなど大活躍を見せました。

一緒にプレーしていた方が神宮の大舞台で、甲子園経験者を相手に躍動している姿を見て、自分もこうなりたいと思いました。

そこで、国立大でありながら強豪大学と渡り合い、ハイレベルな環境がある筑波ならば上達できると思い、筑波大学を目指しました。








入学から、リーグ戦はおろか上のチームに上がることすら出来ていない自分ですが、無力な自分を諦めずに応援し続けてくれる方々や、指導してくれた方々に報いるためにも、自分の課題から逃げずに取り組んでいきたいと思っています。





大学に入ってから老けていることを指摘されることが増えたので、今後はより若々しさを意識して、目標に向かって突き進んでいこうと思います。


最後まで読んでいただき、ありがとうございました。








体育専門学群1年 星勇輝
仙台第二高校
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1年生ブログ~先輩、私の話聞いてもらってもいいですか~濵野晃太郎(体育1・石橋)

2024年12月06日 19時00分00秒 | 2024 1年生ブログ
平素より筑波大学硬式野球部へのご支援、ご声援を賜り、誠にありがとうございます。




広報部局の本間暁登です。




昨年と同様に、「1年生ブログ~先輩、私の話聞いてもらってもいいですか~」というテーマのもと、我々1年生31人がそれぞれブログを書きました。




筑波の未来を担う私たちの熱い意気込みや野望、目標をぜひご覧ください!




本日の1人目の担当は、濵野晃太郎(体育1・石橋)です。











皆さんこんにちは。
体育専門学群1年の濵野晃太郎です。






初めてブログを書くにあたり、今までの振り返りや、今後の目標について書かせて頂いたので、温かい目でご覧いただければ幸いです。






私は、2006年1月10日に栃木県上三川町で生を授かりました。

物心ついた時には野球をしていました。
小学2年の時に、小学校のクラブチームに入部してから、約11年間野球を続けてこれたのはいつも支えてくれた両親を始め、家族みんなのおかげです。本当に感謝しています。





また、この11年間辛いことも沢山ありましたが、高校3年の春に21世紀枠で憧れの甲子園にも出場することができ最高の体験をすることができました。





また私は、小、中、高とチームメイトに恵まれました。

優しい先輩に頼りになる同級生、とても元気な後輩に、たくさん助けられました。ありがとうございます。










前置きがやや長くなってしまいましたが、本題に入ろうと思います。



私が筑波大学を目指したきっかけは、父親からの勧めでした。


高校の恩師の福田先生は、「文武不岐」ということをよくおっしゃり、部活だけでなく勉学にも力を注げとよく指導してくださいました。



同校の先輩で成績も常に学年トップクラスだった亀井湧希さんとは違い私は、常に学年で最下位で対照的な存在でした。その影響もあり、湧希さんと同じ筑波に行くと言った時には、9割以上の人に無理だと言われ、バカにされました。


それが悔しく部活を引退したあとは、めちゃくちゃ勉強しました。

しかし、共テ直前の最後の模試までずっとE判定でした。それでも諦めず本番では奇跡のC判定をとることができました。





そこからは楽しい2次対策が始まりました。毎日身体を動かしたり、キャッチボールをしたりと、とても充実していました。

そして、筑波の合格を勝ち取ることができました。改めて、国谷先生を始め、一緒に励ましあい頑張った、藤巻くん、近藤くん、林くん、手伝ってくれた横松くん、大金くん、(石川くん?)そして石高のみんなにほんとに感謝してます。











念願の筑波大学硬式野球部に入部してからは苦悩の連続でした。
家事を全て1人でこなすことの大変さや、大学野球のレベルの高さを痛感しました。



また練習内容を自分で考え、全体練習を動かすことの難しさも実感しました。
日々自分の力不足を実感し、心が折れそうになることも何度かありました。
そんな時にいつも言い聞かせる言葉があります。



「たった一度の成功で得た自信はたった一度の失敗で不安に変わる」という言葉です。




これは湧希さんの受験体験記や、ブログに書いてある言葉で、何度もこの言葉に救われました。


目の前の結果に一喜一憂するのではなく、長い目で見て、失敗と向き合うことで、自分の理想像に少しずつ近づけると私は思います。






まだまだリーグ戦の戦力になるには程遠いですが、ひとつひとつの課題に向き合い努力し続けたいと思います。


いつもアドバイスや、指導をしてくださる頼もしい先輩方や、同級生のみんなと切磋琢磨しながら日々精進していきたいと思います。



最後まで読んで頂きありがとうございました。





体育専門学群1年 濵野晃太郎
石橋高校
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