新・空と鷹と鉄の間に

ヒコーキ、ホークス、鉄道好きのブログです。

233号蒸気機関車重要文化財指定へ

2016-03-15 20:16:44 | 鉄道

本年4月29日に開館予定の京都鉄道博物館に保存展示される予定の230形233号蒸気機関車が2016年に国の重要文化財に指定されることになりました。
233号機は1903年に逓信省鉄道作業局によって発注されたタンク式蒸気機関車で、汽車製造会社にて製造されました。230形は我が国初の量産型蒸気機関車で、それまで輸入に頼っていた我が国の蒸気機関車の転換点ともなった形式です。西日本地区に配置され使用され、わかっているだけでも米子、舞鶴、浜松と転々としています、1960年代はじめに稲沢を最後に廃車されました。廃車後は大阪の交通科学博物館に長く展示され、2004年に鉄道記念物に、2007年には機械遺産に指定されました。そして今回重要文化財に指定されました。
鉄道車両としては大宮・鉄道博物館に保存されている150形150号蒸気機関車、一号御料車、京都府加悦SL広場に保存されている120形123号蒸気機関車に次いで4例目となります。 


新幹線を撮っていたら…

2016-03-13 19:08:06 | 鉄道

大井川鐵道のSLの後は菊川市の東海道新幹線撮影スポットで撮影です。蒸気機関車の後に270km/h以上の新幹線を撮るとはギャップがありすぎですかね。

まずはやや高い位置から撮ります。下り列車ですがN700Aです。

今回は上り列車を中心に撮影を試みました。iPhoneに入れてあるJR東海の東海道新幹線時刻表アプリで、掛川駅に停車するこだま号の時刻から通過列車を類推するのですが、のぞみの運転本数があまりにも多いので、訳が分からなくなりました。

JR西日本の700系も比較的多く通過しました。ほとんどが東海区間で運用されているのでしょうね。
上り列車はトンネルを抜けてくるのが見えてくるのでわかるのですが、下り列車は近づいてくる音を頼りにカメラを構えていました。やがて一本の下り新幹線が近づいてくる音が…。
700系かな、N700系かな…なんて思いながらカメラを構えていると、ファインダーに黄色が飛び込んできました。 


予想外のドクターイエロー通過です。とりあえず270km/hであっという間に通過してしまうので、冷静にシャッターを切ってから友人と驚きの声をあげていました。予想外の出来事だったのですぐにiPhoneで調べると、どうやら博多総合車両所で開かれる新幹線まつりに参加するために回送される途中だったようです。定番撮影地でドクターイエローを撮影できるなんてなんと幸せなことでしょう。ちなみにこのポイントにいたのは我々だけでした。
1時間ちかくここで新幹線を撮影してから、富士山静岡空港へ向かい、飛行機を少し撮ってから帰路につきました。 


大井川鉄道EL列車とSL重連列車

2016-03-13 08:43:24 | 鉄道

3/12に大井川鉄道でEL牽引の客車列車とSL重連列車が走るので、友人を誘って撮影に行きました。目的地は比較的広範囲で撮影できる道の駅川根温泉そばの大井川第一橋梁。深夜に出発して東名・新東名を走って9時半過ぎに現地に到着しました。

まずは普通電車を練習がてら撮影。元南海の21000系が金谷方面へと走って行きました。

EL牽引の客車急行はE10形電気機関車が客車3両を牽いてやってきました。大井川に吊り掛けモーターの重々しい音を響かせて走って行きました。

本番のSL重連はC11 190号機とC56 44号機の重連運転。C11 190号機は門鉄デフ装備です。SLの両機にヘッドマークが付いているのは終点千頭で行われるSL3両並びのためでしょうか。2台とも煙突から煙を激しく出してやってきました。

多くのギャラリーが待ち受ける川岸に差し掛かると、C11 190の機関士が手を振っていました。
撮影後は昼食を仕入れてから、友人のリクエストで地名駅へ。定期SL急行を撮影するのですが、地名駅には電鐘式踏切警報機が残っているので、その音色とともにiPhoneで動画を撮りました。SLを撮った後は菊川市の新幹線撮影スポットへ向かいます。 


大井川第一橋梁

2016-03-12 09:54:47 | 鉄道
今日は大井川鐡道でSL重連運転があるので友人を誘って、道の駅川根温泉そばの大井川第一橋梁にやってきました。

定番スポットですが、道の駅の駐車場に車を止めておけるので、手軽にこれるスポットです。
大井川のSLは雨の時が多いのですが、今日は晴れ間も見えて撮影日和です。

5年

2016-03-11 17:58:07 | 日記
東北地方太平洋沖地震発生から5年目となりました。


あの日と同じ金曜日です。


激しく長く続く揺れ、何度も襲う余震。そして変わり果てた我が街。


昨年9月に津波被害を受けた三陸地方の鉄道に乗り、被災地も歩きました。復興は進んでいるようですが、まだまだ道のりは長いと感じました。
浦安も液状化被害を受けた地区は幹線道路は修復が進んでいますが、住宅地の道路はまだまだ段差のある状態です。

震災から5年。あの日のことは決して忘れることはありません。