新・空と鷹と鉄の間に

ヒコーキ、ホークス、鉄道好きのブログです。

JAL がんばろう日本特別塗装機

2016-04-27 19:18:03 | 航空

JAL日本航空では、今回の熊本地震の復興支援の一環として、熊本県のくまモンと大分県のめじろんを機体にデザインした復興支援特別塗装機を就航させます。


(画像はJALサイトより)
今回就航する機体はB767-346(JA8987)で羽田ー熊本、羽田ー大分を中心に4/29から就航の予定です。
熊本地震からの一日も早い復興、復旧をお祈りいたします。
 


熊本地震

2016-04-23 20:15:46 | 日記

今回の熊本地震に被災された皆様にお見舞い申し上げるとともに、お亡くなりになられた方のご冥福をお祈りいたします。

昨年5月に九州へ行った際に九州新幹線で熊本を訪れ、熊本駅から三角駅まで往復し、熊本ラーメンをいただきました。また20年ほど前には九州周遊旅行の拠点の一つとして宿泊したり、当時運転されていた寝台特急はやぶさ号に熊本から乗ったりして、熊本には縁があります。熊本城の惨状を見ると心が痛みます。
東日本大震災を経験し、被害を受けた街に住むものとしても人ごととは思えません。
今は大変ですが、明けない朝はありません。東の空から応援しています。


頑張ろうくまもと。
頑張って、くまモン。


ぶらりわ鐡へ~7

2016-04-22 19:00:06 | 鉄道

通洞1401発のトロッコわたらせ渓谷4号に乗ります。DE10型ディーゼル機関車牽引の客車4両編成で1両目と4両目は国鉄12系客車、トロッコ車両は京王5000系電車を改造したものです。

トロッコ車両ではなく普通客車の方に乗り、いまや貴重な存在となった国鉄急行型客車の旅を味わいます。やや広めのボックスシートに、ブルーのシートモケットが国鉄らしい感じです。機関車牽引のトロッコ列車ともあり、のんびりとした速度で走ります。窓を開けて流れゆく車窓と、車輪がレールのつなぎ目を拾う音を堪能します。

草木トンネルまでは進行方向右側の席に座り、トンネル内で左側に移動し渡良瀬川の渓谷の景色を楽しみます。ほとんどの乗客はトロッコ車両に乗るので普通客車は座席を移動し放題です。

水沼駅の一つ手前の花輪駅のホームにはウサギとカメの石像があります。これは「もしもし かめよ かめさんよ…」で始まる童謡「うさぎとかめ」を作詞した石原和三郎氏が花輪の生まれで花輪小学校の校長も勤めていたことから置かれているものです。石原氏は「花咲爺」や「金太郎」などいまでもおなじみの童謡を作っており、地元みどり市では星野富弘氏と並ぶ名士となっています。

列車ののんびりとした走りとサウンドを堪能して、1537に大間々駅に到着。11分の連絡で桐生ゆきに乗り換えます。桐生からはJR両毛線に乗り換え。

しかし高崎線内での信号トラブルの影響で遅れが出ており、1610発高崎行きも13分遅れで桐生を発車。211系電車の車内は部活の大会帰りの学生で混んでいます。しかしこの電車は伊勢崎でもともと10分停車があったので、伊勢崎からは時刻表通りの運転。高崎には1708着。

高崎で少々時間をとり駅ビルの中をぶらぶらしてから、高崎1800発の北陸新幹線あさま626号東京ゆきのE7系に乗って帰りました。

ぶらりわ鐡へ~6

2016-04-20 20:39:47 | 鉄道

花見を終えて少し歩くと、足尾駅に到着しました。足尾駅は木造の駅舎が残っていますが、時間帯によって駅員のいる駅です。この時は無人でした。

足尾駅構内にはキハ35形気動車とキハ30形気動車、タンク貨車や車掌車などが保存されています。このキハ35はJR時代は八高線で使用されていました。いちおう保存車ですが、最近は手入れされていないと思われ、錆が浮いていました。
ここから列車に乗るのですが、次の列車まで1時間少々あります。通洞駅まで1kmちょっとらしいので、通洞駅まで歩いてみることにしました。旧国道の県道を歩きます。歩道らしきものはないですが、車通りも少ないのでぶらぶら歩くにはちょうど良い道です。

通洞駅まで歩いている途中にこれまた立派なアーチ橋が架かっているのが見えます。こちらは足尾橋と言う橋で鉄骨トラスアーチ構造の橋です。

20分ほど歩くと通洞駅に到着しました。足尾銅山観光の最寄駅なので駅員がいます。普通列車の後にトロッコわたらせ渓谷号があったのでそれに乗ることにして、窓口でトロッコ整理券と硬券入場券を買います。あとは列車の時間まで、待合室でペットボトルのお茶を飲んで喉を潤して、のんびりと待ちました。

ぶらりわ鐡へ~5

2016-04-19 20:37:54 | 鉄道
間藤駅から線路に沿っている道を歩きます。歩くとほどなくして、第一松木川橋梁が見えてきました。ちょうど間藤ゆき普通列車が通過する頃なので、撮り鉄です。

1両編成の普通列車の通過を見送ってから、脇を並行してかかるトラス構造の歩道橋を歩きます。

歩道橋にしては道も狭かったので、かつては線路が通っていたのかもしれません。橋の上にいた野良猫に導かれぶらぶらと歩きます。1kmほど歩くと足尾駅の構内が見えてきますが、足尾駅には行かずに、こちらへ入りました。

足尾銅山を開発していた古河鉱業(現在の古河機械金属)の足尾銅山の迎賓館として1899年に建設された古河掛水倶楽部です。和洋折衷の建物で賓客の接待や宿泊に利用されていました。現在でも古河機械金属の福利厚生施設として活用されており、土休日に限り一般公開されています。

ここへ来る人はいないらしく、誰もいない中をのんびりと見て回りました。窓から見る庭や対岸の景色も素晴らしく、古い建物の窓から対岸の桜を眺めるのもなかなかのものでした。

その他にも赤煉瓦の書類庫の建物や、足尾銅山の役職者の住宅なども保存展示されており、最盛期の足尾の生活の一端を垣間見ることができました。

対岸の桜も気になったので見に行くと、満開を迎えていました。東京ではすっかり葉桜になってしまいましたが、思いがけず花見をすることができました。

古河掛水倶楽部と対岸の桜の間の渡良瀬川には渡良瀬橋が架かっています。コンクリートアーチの橋ですが、元は鉄骨トラスアーチ橋で改修工事の際に、トラスの一部を撤去して、残った鉄骨部材を鉄筋代わりにしてコンクリートアーチ橋にしたそうです。
ちなみに渡良瀬橋といえば森高千里さんの歌で有名ですが、歌に歌われている渡良瀬橋は下流の足利市にある同名橋で、東武鉄道足利市駅の近くにあります。