新・空と鷹と鉄の間に

ヒコーキ、ホークス、鉄道好きのブログです。

岡山・広島の旅〜10

2024-06-29 20:01:11 | 旅行

2/12、新幹線のホームの見えるホテルで朝を迎え、前日に買ってきたパンとコーヒーで朝ごはんを食べて支度をします。8時過ぎにチェックアウトをして広島駅へ。コインロッカーに荷物を預けて廿日市へ向かいます。

しばらくは広島駅に発着する電車を撮影して、0830発宮島口方面大野浦ゆき普通電車に乗って廿日市を目指します。朝なので8両繋いでいましたが、宮島へ向かう観光客で混雑。かなり混んでいて急に息苦しさを感じたので9分後の西広島でいかにも用事のある体で下車。次の電車に乗ってもいいのですが混んでいる感じが想定できるので、広電に乗り換えることにします。

JRの駅からロータリーを挟んだすぐ近くに広電西広島駅があります。広電の駅の前には広場がありKOI PLACE(コイプレイス)となっています。ここにはかつて市内線の己斐電停とひろでん会館がありましたが、2018年に解体され、暫定的利用として広場になっています。

広電西広島駅は宮島線と市内線の境界駅となっており、この駅から先の宮島線は鉄道扱いになっています。駅の東高須よりの踏切付近には鉄軌分界点があります。かつては市内線から直通する路面電車タイプの連接車のほか、西広島ー宮島口間で阪急からやってきた電車が走っていました。宮島線の停留所には低床の路面電車の停車するホームと高床の電車が停車するホームが分かれており、その名残として現在でもホーム屋根の高さが違ったり、かつてのホームの形状の跡が残る停留所があります。

広島駅からやってきた宮島口ゆき3900形ぐりーんらいなーに乗って広電廿日市まで行きます。広電は宮島まで時間がかかるので観光客の姿は少なく、空いていました。
広電廿日市までの車内でふと、昨日のことを思い出し目的地の開館状況を検索。すると祝日は休みと表示。2/12の本日は振替休日。振替休日は祝日ではないと勝手に思い込んで広電廿日市で下車します。地図を見ながら歩くと目的の市民センターは開館していました。マンホールカードをいただいてJR廿日市駅へ。広島への戻りはJRで戻ります。広島には10時前に到着。少々時間があるので駅前通りを少し歩きます。

最近あちこちで見かけるようになった記念撮影用のモニュメント。広島にもありました。

駅前大通りは現在広島電鉄の軌道新設工事が行われており、稲荷町電停から軌道が新設されこの辺りで高架線となって工事中の広島駅ビル2階に電停が新設されます。駅ビルの中に電車が入るのも珍しいですが。高架線を路面電車が走るのも非常に珍しい光景となりそうです。現在鋭意工事中で2025年の春に開業予定となっています。開業後は富山よりは遠いですが、新幹線改札と同一フロアで路面電車へ乗り換えができる駅となります。

空港へ向かうリムジンバスまで少し時間があるので駅前で路面電車を撮り鉄。こちらは市内電車用の800型電車。この電車も駅ビルへの移転後には高架線を走って乗り入れる予定です。

こちらは5100形Green mover max。5000形GREEN MOVERと同じ5連接超低床車ですが、国産初の超低床電車として開発された車両です。市内線で使われる5連接車で主に1号系統(広島駅ー紙屋町東ー広島港)で運用されています。広島交響楽団のラッピング電車「広響電車」です。

5100形の後継車で現在も増備中の5200形Green mover APEX。5連接車体は同じですが、車掌台が減らされ座席定員が増えています。2号系統(広島駅ー西広島ー宮島口)を主体に1号系統、5号系統に運用されています。

1000形GREEN MOVER LEXです。こちらは市内線用の超低床電車で3連接車体となっています。この電車の登場により従来超低床電車が入線できなかった八丁堀−白島間と、横川駅前ー江波間にも超低床電車が走ることができるようになり広電の全路線に超低床電車が運転できるようになりました。18本が製造され、従来運転されていた単車の電車を置き換えています。
これらの電車を撮影している広島駅ー猿猴橋町ー的場町の間は2025年の駅ビル乗り入れ時に廃線となる区間です。
時間になったので撮影を切り上げてコインロッカーから荷物を回収して広島空港行きリムジンバスに乗ることにします。広島空港は広島市内から離れた場所になりリムジンバスで50分かかるので早めの行動が肝要です。1030発の広島空港行きに乗車します。

広島空港には1120着。バスを降りて搭乗手続きと手荷物を預けてしまいます。
 
 

岡山・広島の旅〜9

2024-05-10 19:13:00 | 旅行
広島駅に到着してからホテルに行ってのんびりしてもいいのですが、もうひと頑張り。広島駅前から広電の路面電車に乗ります。

広島駅から5号系統広島港(宇品)ゆきに乗って広島港へ向かいます。乗車したのは市内線用の単車800型。吊り掛けモーターの音を聞きながら広島港まで30分ほどの乗車。

広島港電停はターミナルとなっており、発車を待つ電車が並んでいて思わず足を止めて電車の撮影をしてしまいます。路面電車らしい単車から連接車まで様々な電車が乗り入れてくるので1日見ていても飽きないことでしょう。

こちらは元京都市電の1900形。15両が譲渡され現在でも全車両が活躍しているので広島市内でもよく見かける電車です。各車両には京都の地名が愛称としてつけられています。電車を撮っていたいのは山々ですが、そろそろ夕方も近くなったので、広島港ターミナルの総合案内所でマンホールカードをいただいて広島駅へ戻ります。広島駅新幹線口のホテルにチェックインしてちょっと休憩をしてから食料を調達に出かけます。広電1号系統に乗って紙屋町へ。紙屋町西電停で下車して少し歩きます。

目的は広島アンデルセン本店。最近は朝がすっかりパン派になってしまったので、どうせなら広島アンデルセンでパンを買って食べようと思った次第。こちらの建物は旧帝国銀行広島支店だった建物を建て替えたもの。旧建物の外壁などを再利用しています。その外壁は原爆投下時に被爆したもの。被爆した外壁を再利用することで被爆建物としての登録は継続しています。パンを数種類とドリップコーヒーを買って明日の朝食とします。

もちろん平和記念公園へも行きます。広島の平和記念公園自体は高校の修学旅行以来ですのでおよそ30年ぶり。原爆資料館をその時に見ているので今回は寄らずにおきます。時間的にも閉まっている時間ですが…。こちらは平和記念公園レストハウス。爆心地から最も近い現役建造物でかつては呉服店として使われていた建物です。時間的に中に入ることはできませんが、外観を観察しておきます。

平和記念公園に来たからにはやはりここに来なければならないだろうと思い、ここで平和への祈りを捧げておきます。ここへ来ると身が引き締まる思いがします。

そして原爆ドーム。世界遺産唯一の負の遺産。何も言わずにただじっと見るだけしかできません。
原爆ドーム前電停へ向かっていると電車がやって来たので流し撮り。何をやっているんでしょうか。

原爆ドーム前電停から路面電車に乗って広島駅へ戻ります。30年前は広島市民球場が存在し、この前を通った時に広島カープファンの同級生が興奮していたのをふと思い出しました。宮島口からやって来る電車は混んでいたので、空いている市内線の電車に乗って広島駅へ戻り駅の中のスーパーで夕食などを調達してホテルへと戻りました。

岡山・広島の旅〜8

2024-05-09 20:25:08 | 旅行

すっかり間が空いてしまい気がつけば5月になってしまいました。楽しみにしておられる方には大変申し訳ありません。三原駅についたところから運転を再開いたします。
三原駅に着くと異常な混雑。改札口に行列ができています。何事かと思いつつ改札を出ると、どうやらこの連休の3日間お祭りをやっているようでした。駅前に出てみると駅前広場には屋台が出ていました。観光案内所でマンホールカードをいただいて駅へ戻ります。

この三原駅も城跡を貫通している駅。本丸天守台の脇に新幹線のホームがあり、本丸天守台には駅からしか入ることができません。石垣しか残っていませんが、一応堀もあり往時を偲ぶこともできます。

ご当地マンホールにも三原城の石垣が描かれていました。
あまりの混雑に早々に退散してホームへ戻ります。三原0958発普通広島方面岩国ゆきに乗車。糸崎からやってくる電車ですが6両編成なのでかなり空いていました。広島が近づくにつれて混んでくるのでしょう。山陽本線は九州ブルートレインに乗って何度か走ってはいますが、昼間の山陽本線を乗ることも滅多にないので車窓を見て過ごしますが、右に左に線路はカーブをしており、さすがはミスターワンハンドレットの線路と納得。なぜかとういうと山陽本線の前身である山陽鉄道の社長が線路の勾配は100分の1以下(10‰)にしなさいと口を酸っぱくして言っていたため、山陽本線は瀬野ー八本松間の通称セノハチ区間の22.8‰以外は概ね10‰以下で建設され、カーブが非常に多くなっています。

そんな車窓を眺めながら東広島市の西条駅で下車。

ここでも駅ナカの観光案内所でマンホールカードをいただきます。駅前広場をぐるっと一周するとマンホールカードに描かれたご当地マンホールがありました。ここ西条は酒蔵が軒を連ねているそうで、酒蔵通りというのが観光名所になっているようです。ちなみにこの西条駅で乗車券・入場券を買うと(陽)西条駅と印字されます。これは同名の駅が長野県の篠ノ井線にあるためです。篠ノ井線の西条駅は「にしじょう」と読みますが。
西条1049発宮島口方面大野浦ゆきに乗って広島へと向かいます。2つ先の白市駅始発でこちらも6両編成なので空いていました。セノハチを軽やかに下り、広島には1128に到着。ここで広島駅新幹線口にある本日の宿泊先へ行って荷物を預けてしまいます。

荷物を預けて広島駅へ戻ると1140発の普通呉ゆきに間に合いました。3両編成ですが余裕で座れました。呉までは40分ほどの乗車ですが、各駅停車というのもあって乗降が頻繁にあるため混雑とはいきませんでした。もっとも呉線は1時間に2本の快速と1本の普通列車なので、呉が目的であれば快速列車に乗ると思われます。瀬戸内海を眺めつつ1228に呉に到着。

呉市は言わずと知れた軍港の街。旧海軍呉鎮守府を中心に軍事施設が多く、現在でも海上自衛隊呉基地が設置され呉地方総監部、呉地方隊が置かれています。呉駅前には艦船のスクリューが置かれていました。駅中の観光案内所で地図をもらって歩きます。まずは入船山公園を目指します。
こちらは旧呉海軍下士官兵集会所の建物。この写真を撮影している地点にはかつて川が流れており橋がかかっていて、一般の市街地と軍施設の境界線になっていました。と、ブラタモリ呉編で説明されていた場所です。建物はアニメ映画「この世界の片隅に」でも出てきており、映画のシーンが壁に掲示されていました。この建物の脇の坂を登ってゆきます。

入船山公園へ登ってゆく坂道にはご当地マンホールの嵐。呉で建造された戦艦大和をモチーフにしたご当地マンホールだらけです。

そのマンホールカードを配布しているのが入船山公園の入船山記念館。旧呉鎮守府司令長官官舎を中心とした呉市の歴史博物館となっています。展示物の見学には料金が必要ですが、マンホールカードをいただくだけであれば無料でした。

こちらは旧呉海軍工廠の時計塔。今も時をちゃんと刻んでいます。
入船山公園からきた道を戻って市街地へ。市街地の商店街の中にあるギャラリーで呉市のもう一枚のマンホールカードをいただきます。一仕事を終えて呉駅へ戻ります。呉の街中でもイベントが行われており屋台が出ていました。呉駅へ戻りしなに遅いお昼ご飯を買って、呉1333発の広島ゆき快普通列車で戻ります。とはいえ1357着の坂駅で下車。行きになんとなく乗っている中で坂町でもマンホールカードを配布していることに気づいて下車した次第。
ところが、坂町役場まで行ってみるとなんと閉館しています。よくよく見てみると祝日はお休み。すっかり忘れて普通に日曜日と思っていましたがこの日は建国記念日。そういえば海上自衛隊呉教育隊の正門に日の丸が掲揚されていたのを今更ながら思い出し、がっくりきてしまいました。重い足を引きずり駅へ戻り、1437発の広島ゆき快速安芸路ライナーに乗ります。3両編成の電車はほぼ満員でした。広島駅には1453に到着。


岡山・広島の旅〜7

2024-02-28 19:46:43 | 旅行
2/11の朝、7時ごろにホテルをチェックアウト。岡山駅へと向かいます。

昨日までの予定では岡山0823発名古屋始発のひかり531号に乗車する予定で指定券も確保していましたが、指定券を買う段階で残席少で、A席しか取れていませんでした。ひかり号は外国からの旅行者で混んでいるのだろうと予測し、0809発のみずほ603号に変更するつもりで早く出てきました。みずほ号も博多までは残席少でしたが、福山までなので余裕で指定が取れました。指定席を確保してから朝ごはん用にパン屋でパンを買ってホームへ出ます。

ホームに出ると0750発のこだまレールスター837号が停車していました。

700系レールスターに反応してしまうのは東日本民には仕方のないこと。後から考えればこのこだまレールスターに乗ってもよかったかもしれません。

こだま号の後、名古屋からやってくるのぞみ271号を見送り、0809発のみずほ603号の指定席に乗ります。みずほ号のN700系7000/8000番台は指定席車両は2-2の4アブレストで、グリーン車並みに座席が広いので山陽区間で乗ればお得感があります。とはいえ福山までは16分の乗車。300km/hで疾走するのでパンをかじっているとあっという間です。

福山には0825着。マンホールカードを配布している観光案内所は9時に開くのでそれまで少し時間があります。

そこで福山城へ行ってみることにします。

行ってみるとはいえ、福山城は駅前優良物件。福山駅から徒歩0分の場所にあります。まあ城跡に山陽本線は敷設されて駅ができているので駅前城跡になったのは後付けですが。

福山城は江戸初期の1622年に築城された城で、江戸幕府による一国一城令発布後に築城された、新規築城の近世城郭としては最後の城郭となっています。明治以後本丸以外が破壊され市街地になったため現在は本丸が残るのみで、さらに戦時中の空襲で残存していた天守や月見櫓などが消失してしまったため、伏見櫓と筋鉄御門が江戸時代から残存する建物となっています。写真の天守は1966年に復興されたコンクリート造の建物になって資料館になっています。焼失前の福山城の天守は北側に防御のための鉄板が貼られていた全国唯一のもので、築城400年を迎えた2022年の大修理の際に貼られていた鉄板が復元されています。そんなことはすっかり忘れていて見るのを忘れていました。

こちらは手前が再建された鐘櫓、奥が重要文化財にも指定されている伏見櫓。伏見城から移築されたものと言われていた櫓で1953年の解体修理の際に梁に「松ノ丸ノ東やくら」という墨書きが発見され、伏見城から移築されたという重要な証拠となっています。現状伏見城から移築された物証のある唯一のものとなっています。

こちらも現存してる筋鉄御門。本丸の正門に位置する櫓門となっています。こちらから降りるとちょうど福山駅へ出ることができます。

9時になったので駅へ戻って観光案内所でマンホールカードをいただきます。絵柄はカープ坊やと福山城。福山は広島県でしたね。マンホールカードをいただいて自由席特急券を買って三原へ移動します。

福山0919発こだま841号は500系での運転。500系をみるとやはり反応してしまいます。

長い鼻を持ちシュッとした印象の500系はこだま号専用になってからも人気者です。新幹線で300km/h運転をはじめて行ったのも500系のぞみ。1997年の登場なのでもう20年以上前のことなのですね、

500系といえばこの丸っこい車体です。3-2の新幹線標準の席配置ですが、コンセントがついていないのがひと時代前の新幹線といった感じ。引退の話も出ているのもやむを得ません。

福山から三原までは2駅。こだま号でも20分ほどで着いてしまいます。ちなみに岡山ー福山間も2駅ですがそちらは指定席をとって、福山ー三原間は自由席なのは、福山ー三原間は隣接駅特定区間で自由席特急料金が870円だから。新尾道が挟まっていますが、特定区間は新幹線開業時の隣接駅間で設定されており、のちに開業した駅を含む区間でもそのままになっています。岡山ー福山間の新倉敷駅は残念ながら博多開業時からの駅なのでそのような扱いにはなっておらず、指定席特急料金から530円引きの値段になっています。

岡山・広島の旅〜6

2024-02-26 19:21:10 | 旅行

岡山・広島の旅と言いながらJR四国の駅名標が出てくるのはなんとも不思議です。この時自分でも、なんで四国にいるんだろうと思っていました。そんなことを考えながらも岡山ゆきの特急南風18号を待ちます。

丸亀1603発岡山ゆき特急南風18号はアンパンマントレインで到着しました。1号車の指定席に乗ります。

デッキに入るとアンパンマンの仲間達がお出迎え。

そして車内はアンパンマンワールド全開です。この1号車の指定席部分は「アンパンマンシート」として販売されており、指定券も「南風18アンパンマン」となっています。壁面・天井はもとよりロールカーテンもアンパンマン。

座席にもアンパンマンとその仲間達の顔が描かれており、お子様には非常に楽しい車内となっています。乗車した列車にも祖父母と孫家族が乗っていました。子供よりおじいちゃん、おばあちゃんが興奮しているのは微笑ましい限りです。

ここまでアンパンマン仕様の列車を走らせているのは、JR四国の運行地域の高知県高知市が原作者のやなせたかし氏の出身地であり、また同氏のふるさとである高知県香美町に香美町やなせたかし記念館アンパンマンミュージアムがあることから、土讃線の利用促進のため2000年より土讃線特急南風号で運行を開始しています。運行開始より人気があり、やなせたかし氏の「鉄道で四国をアンパンマンワールドに」との意向により予讃線、高徳線、徳島線、瀬戸大橋線へと展開してゆき、現在は土讃線特急南風号、予讃線特急しおかぜ・いしづち号、宇和海号、徳島線特急剣山号、瀬戸大橋アンパンマントロッコ号が運転されています。また高知市の路面電車とさでん交通や、アンパンマンミュージアムへの路線バスにもアンパンマン電車やバスが運転されています。

車内以外は特に変わりはないので、瀬戸内海を渡る風景を見ながら走ります。ディーゼル特急なので騒音を低減するために瀬戸大橋区間はゆっくりと走ります。本州に入り本四備讃線を走って岡山へ。終点岡山到着前にアンパンマンの案内放送が入って1641に岡山に到着。

岡山到着後にホームを変えて2分前に到着していた出雲市からの特急やくもを撮りに行きます。スーパーやくもリバイバルカラーの電車なので撮り鉄に混じって、お邪魔にならないように撮ります。やくも号を撮影して駅を出て、ホテルへ戻る前にもうひと頑張り。駅前の路面電車乗り場から電車に乗って城下電停へ。

17時を回った頃ですが、まだまだ日が落ちるまでに時間がありそうなので、岡山城へ。

岡山城は戦国大名の宇喜多氏によって築城され、宇喜多秀家により整備されています。関ヶ原の合戦の後、西軍についていた宇喜多氏から小早川秀秋に与えられています。小早川氏断絶後は池田輝政の次男が入府し、以後、岡山は池田氏の系譜によって統治されています。岡山大空襲により天守は焼失してしまったため、現在の天守は外観を復元したものですが、不等辺五角形の形状をした天守は焼失前の天守の外観を再現しています。

正面から見ると形はよくわかりませんが、旭川の川畔から見るとややいびつな形状がわかり、天守が不等辺五角形であることが理解できます。

こちらは寛永年間に建てられ、現存している月見櫓。重要文化財になっています。

岡山城天守は現在は資料館になっているので、中には入らず外観だけ見て城を後にします。岡山城から県庁前電停まで歩いて行き、電停のちょっと先にある岡山の百貨店天満屋に寄って夕食でも買おうかと思いましたが、あまり食指の動くものがなかったので、県庁前電停へ戻り路面電車に乗って岡山駅前へ戻ります。

電停近くの商業施設内のスーパーで夕食を買ってホテルへ戻ります。路面電車の走っている町はやはりいいですね。