新・空と鷹と鉄の間に

ヒコーキ、ホークス、鉄道好きのブログです。

東横フラワー緑道

2020-11-18 18:58:00 | 旅行


休日の一日。歩こうと思い電車に乗ってやってきたのは横浜市の東横フラワー緑道。廃線跡を利用した遊歩道です。東急東横線に乗って東白楽駅で下車します。

東急東横線は東白楽駅を出ると高架線から地下へと入ってゆきます。みなとみらい線直通までは高架線が続いていましたが、地下化により地上の区間は廃線になりました。その東白楽から横浜までの区間が緑道として整備されています。

東横線が高架から地下へ入る坑口の上から遊歩道は始まります。安全を確保するために柵は高いですが、アクリル板になっているので、地下トンネルへ入る電車が見られます。

遊歩道側を振り返ると、坂道になっています。地下トンネルの構体の上部を利用しているので、そんなにきつい坂ではないですが、勾配になっています。

ちょっと横へずれると柵は低くなっており、電車の写真が撮れます。トンネルとカーブで見づらいですが、列車接近時に光るパトランプが軌道脇にあるので、それを見ていればタイミングははかれそうです。東急東横線は地下鉄副都心線、西武線、東武東上線、みなとみらい線と相互乗り入れしているので、いろいろな電車が通過し、なかなか楽しく撮影ができそうです。

高架線は撤去されて地上に緑道は続いていますが、ところどころにレールがモニュメントとしておかれ、廃線跡を示唆しています。この道の直下には東急東横線が走っており、換気塔から通過する電車の音が聞こえます。

反町駅付近にはかつての高架と跨道橋が残り、横断道として活用されています。この下には国道1号線が走り交通量も多いための措置ですが、鉄道時代の高架橋が活用されているのも嬉しい限りです。

反町駅を過ぎると廃線跡唯一のトンネルが現れます。

高島山トンネルといい、横浜駅の北側から神奈川宿へかけて伸びている台地の下をくぐり抜けるトンネルです。このトンネルを使えば反町から横浜駅方面へアクセスできるので、歩いている人がかなり多かったです。トンネル内部は改修されていて鉄道トンネルの面影はほぼ無いですが、天井部分に架線を吊っていた金具があった跡が残っていました。

トンネルを抜けるとカーブをしながら下って行きます。鉄道時代はここから横浜駅まで高架橋だったので仕方ありません。台地とビルを見ながら下ります。

トンネルを出て交差点の向こう側にも道が続いています。この先は横浜駅西口へと道は続き、ペデストリアンデッキで横浜駅きた西口へ出ることができます。
そして、ここで交差しているのは旧東海道。左へ行くと、青木橋や京急神奈川駅を経て、江戸日本橋方面に。右へゆくと程ヶ谷宿、京都三条大橋方面に向かうことができます。この辺りは東海道神奈川宿の中程にあたり、道以外には面影はほとんど残っていませんが、ちょっと行くと江戸時代から続く料亭が現れます。

こちらが文久三年創業の料亭田中屋。神奈川宿で唯一残る老舗です。広重の東海道五十三次神奈川台町でさくらやとして描かれていた場所に建っています。今はすっかり街の中にありますが、かつてはこの建物の裏手に入江となって海があり、江戸から手軽にやってこられるリゾートだったようです。また、坂本龍馬の妻おりょうさんが一時期働いていたそうです。
このあとは旧東海道を保土ヶ谷まで歩き、保土ヶ谷一里塚付近から本牧車庫行きの横浜市営バスに乗りました。


秩父でズキューン 西武劇

2020-11-05 19:55:39 | 旅行

西武秩父駅へ着いてから、当初の予定ではバスに乗って三峯神社へ行こうかと思っていましたが、バスの乗り場で待っているとかなりの行列です。路線バスのタイプに山道を75分も乗るのに混雑しているのはちょっと嫌なので、列から離れて秩父鉄道御花畑駅へ行きます。


御花畑駅へ行くとちょうど西武線飯能からやってきた直通電車が到着したところで、こちらも混雑しています。新型コロナの影響で本来は長瀞ゆきだった電車が当駅止まりとなっているので、長瀞方面へ向かう乗客がほとんどだろうと見当をつけ、秩父鉄道のフリーきっぷを買って三峰口ゆきに乗ります。

こちらが秩父鉄道のフリーきっぷ。秩父鉄道全線が一日乗り降り自由となっております。どう頑張っても熊谷まで行く気はないので、どれぐらい乗るかは疑問ですが、きっぷをいちいち買う手間を省くということで購入しました。
御花畑1015発三峰口ゆきに乗車。意外に乗客がいるのはやはり西武線からの乗り換え客が多いということでしょうか。ほとんどがハイキング姿の中高年です。そのハイカー達は2つ目の浦山口で降りてゆきました。ガラガラになった電車はのんびりと秩父路を走り、三峰口に1037着。駅前の食堂などはほとんどが休業していました。時節柄もあるでしょうが今年は稼ぎ頭のSLパレオエクスプレスのC58363号機が検査で運休しているせいもあるかもしれません。が、駅前の三峯神社行きバス停には行列ができています。西武秩父駅での行列を見ているので、行かなくて正解だったかもしれません。三峰口では特にすることもないので、硬券入場券を買って1047発の羽生行きで折り返します。

1109着の秩父で下車。早いですがお昼ご飯を。駅の出口とは反対側を走る国道へ出てマクドで昼食。なんとも芸のないことですが、早い時間なのですぐに食べることができました。お腹を満たして駅へ戻ると貨物列車が行きちがい。それを見ているとすぐそばで白バイ隊員が違反車取り締まりをしていました。秩父駅へ戻ると小一時間ほど過ぎていました。1207発羽生行きに乗って長瀞へ向かいます。

長瀞には1226着。ちょうどお昼時の到着だったので、駅近くの食堂などには行列ができています。こちらはすでにお腹を満たしているので長瀞散策へと向かいます。

長瀞渓谷は片岩と川の流れ、そして断層が作り出した景観で、地下20kmに存在する岩が露出していることから地球の窓とも言われ、地質学上大変重要な場所でもあります。1924年に国の名勝及び天然記念物にも指定されています。ブラタモリでもタモリさんが訪れていました。その場所を歩くことにします。

階段を降りて河原に出ると早速大きな岩がお出迎え。この岩の対岸に長瀞ライン下りの発着場があります。ここから岩畳を歩いていくのですが、意外に人が多く写真を撮るのも難しいです。とりあえずタモリさんも見た片岩の上を歩きます。

こちらは岩畳を構成している結晶片岩。剥がれやすい性質を持つ片岩の片理と、地下深くから隆起した際にできた節理、そして荒川の流れが削ってできたのがこの岩畳です。ここにある結晶片岩は地下20kmから隆起して着たものですが、どうしてここにあるかは未だに謎であるそうですが、地表で観察できるのはここだけで地球の窓とも言われています。地質学上大変珍しいものですが、知ってかしらずか観光客は記念撮影に興じているようです。この景観は日本が世界に誇るべきものであります。作ったのは日本人ではないですが…。

長瀞の景色を印象付けているもう一つの景観が秩父赤壁、赤いわけではなく中国のレッドクリフ・赤壁に似ていることから名付けられました。この赤壁は断層の作用とやはり荒川の流れが作り出した景観です。

長瀞ライン下りでのメインイベントとも言える小瀬の滝。こちらも岩畳と同じ片岩と荒川が作り出した景観ですが、ここは荒川が今まさに片岩を削っている現場です。改めて見るとやはり自然の力ってすごいんだなあと思わされます。
小瀬の滝から川沿いにいく道は先年の台風被害で通行止になっているようで、迂回して進み、埼玉県立自然の博物館へ出ます。

この自然の博物館の前には「日本地質学発祥の地」の碑が建っており、タモリさんもブラタモリで訪れていました。自然の博物館は別名「石の博物館」と呼ばれるほど石の展示も多く、大好物を前にタモリさんも大興奮だったのではないかと思います。博物館を見学して上長瀞駅へ。電車の時間まで少しあったので冷たい飲み物で一息つきます。
上長瀞からは駅巡り。上長瀞1402発の三峰口ゆきに乗り和銅黒谷駅へ。和銅黒谷駅付近には銅鉱山がありそこから算出された銅で日本初の流通貨幣である和同開珎が鋳造されたことから、ホームにも大きなモニュメントがありました。1426発の羽生行きで折り返し寄居駅へ。寄居駅では駅前広場と周辺道路の整備工事が始まったばかりで雑然としていました。駅周辺をぐるっと一周してから1539発の三峰口行きで御花畑へ向かい秩父鉄道乗り歩きを終えます。秩父鉄道で乗降した駅では硬券入場券を購入しました。
御花畑駅近くのスーパーで夕食のお弁当を仕入れてから西武秩父駅へ。自動券売機で1724発の池袋行き特急ちちぶ40号の特急券を購入して時間があったのでなんとなくブラブラしていると、フードコートのようなところが目につきました。手にはお弁当を持っていますが、翌朝の朝食に回すことにして、フードコートで夕食を食べることにします。

夕食は秩父わらじかつ丼をいただきました。これでも普通サイズで、大きめのカツがどーんと2枚乗っていました。カツはソースをくぐらせてあり、サクサクの衣感もしっかりと残っていました。美味しくいただきました。

お腹を満たして1724発の特急ちちぶ40号に乗って帰ります。夕闇迫る西武秩父駅ホームでラビューの姿を。LED表示の列車表示器に表示されている列車名も綺麗に入りました。

夕闇迫る中で見てもラビューの姿は独特です。また大きい窓と窓から見える黄色の座席がなんとも暖かそうです。
池袋までは1時間半ほど。本でも読みながらのんびりと過ごしたいところですが、通路の向こう側の中高年グループのやかましいこと。やれ阪神の代打の切り札は誰だとか、巨人のエースは誰だとか、かなり古い話をして盛り上がっていました。あまりにもうるさいのでイヤフォンで音楽を聴きながら寝ることにします。
音楽を聴きながら過ごしているとあっという間に過ぎてしまったようで、気がつけば列車は石神井公園からの複々線を走行していました。1846に池袋に到着。池袋からは地下鉄有楽町線に乗って新木場までゆき、京葉線に乗り換えて帰宅しました。