新・空と鷹と鉄の間に

ヒコーキ、ホークス、鉄道好きのブログです。

週末パスで乗り鉄2020〜6

2020-06-23 19:53:33 | 旅行
*当記事の外出は感染症対策を行った上、新しい生活様式に準じた行動をしています。

上越妙高からはえちごトキめき鉄道妙高はねうまラインとしなの鉄道北しなの線を乗り継いで長野へと戻ります。上越妙高1253発妙高高原ゆきに乗ります。


お腹が空いたので早速買ってきたお弁当をいただくことにします。ロングシートの電車ですが、ガラガラなので食べてもいいでしょう。買ってきたのは直江津駅で販売されている駅弁「さけめし」です。直江津駅前のホテルハイマート調整の駅弁でJR東日本の「駅弁大将軍2017」で見事に駅弁大将軍に輝いた駅弁です。中身は焼鮭といくらの醤油漬け、奈良漬がご飯の上に乗っかっているだけの非常にシンプルなものですが、焼鮭の絶妙な塩加減がご飯にマッチしてあっという間にいただいてしまいました。美味しゅうございました。
食べていると新井駅に到着、ここで7分停車します。発車すると妙高の山へ向けた上り勾配になり、雨の中撮り鉄が待機していたスイッチバックの二本木駅を通り、旧スイッチバック駅の関山駅を過ぎると終点の妙高高原駅です。

妙高高原には1333に到着。乗り換えのしなの鉄道までは30分あり、電車もまだきていないようなので、一旦改札口を出ます。

晴れていれば駅周辺を散策するところですが、あいにくの雨なので、駅前に出て駅舎を撮るだけにしました。駅前には赤倉観光ホテルの送迎車が停車していました。

ホームに戻るとちょうど折り返しの電車が到着。115系2両編成ですが、懐かしのスカ色をまとった編成でした。スカ色というと横須賀線・総武快速線・房総各線で走っていた113系電車でおなじみの塗装ですが、115系電車も豊田電車区所属の中央東線普通電車がまとっていた塗装で「山スカ」とも呼ばれていました。

車内に入るとブルーの座席モケットに薄緑色の内張の国鉄近郊電車の仕様。非常に懐かしい姿をそのまま残しています。ボックスシートに座って発車を待ちます。1400に妙高高原を発車。

県境を越えた次の黒姫では湘南色の115系と交換待ち合わせ。一瞬ここが長野であることを忘れます。
黒姫からは勾配を下ってゆく一方ですが、懐かしいモーターサウンドを子守唄がわりにいつの間にか寝てしまいました。ふと気がつくと列車は豊野駅に到着するところでした。昨年の台風で被害を受けた地域を通り、1451に終点長野に到着。帰りの新幹線まで30分ほどあったので駅ナカをぶらぶらします。駅ナカで見つけたアップルパイを帰りの新幹線で食べようと買いました。

早いですが、帰りの新幹線は1520発はくたか566号。信濃リンゴのジュースを買って待ちます。

金沢から列車がやってきて指定席に乗り込むと、先ほどのはくたか号とはちょっと違い、そこそこに乗客がいる状況でした。早速リンゴジュースを飲みながら、先ほど買っておいたアップルパイを食べます。乗ってから気づきましたが、このはくたか号は高崎まで止まらないタイプの列車でした。乗降がないので落ち着いて過ごせます。軽井沢まで登ってくると霧に包まれました。どうも軽井沢は霧の日が多い気がします。
碓氷峠を下り関東平野に入ると晴れ間も見えてきました。高崎からは勝手知ったる道。大宮まで寝て過ごします。大宮で乗客を少しおろし、終点東京には1652に到着。いつもの京葉線ではなく、地下鉄東西線なので大丸で夕食を買って地下鉄大手町駅から帰路につきました。
 

週末パスで乗り鉄2020〜5

2020-06-22 19:19:05 | 旅行
*当記事の外出は感染症対策を行った上、新しい生活様式に準じた行動をしています。
 

次に乗車するのは名古屋からやってくる長野ゆき特急ワイドビューしなの5号です。雨の中小さな鉄くんを連れた家族づれがちらほらいました。その人たちとともに列車の到着を待ちます。

隣のホームには4分後に松本を発車する普通列車の長野ゆきがE127系2両で停車中。かつては115系3両編成で走っていましたが、今は2両でワンマン運転になっています。しばらくE127系をみながら待っていると名古屋から383系電車6両編成が到着しました。

しなの5号も生意気にもグリーン車です。ただしこのあと新幹線に乗車するので一緒に買って、特急料金部分を乗り継ぎ割引にしています。乗り込むと座席に使った気配がありません。どうやら名古屋からグリーン車は無人のまま走ってきたようです。当然のように乗ったのも私一人でした。1105定刻に松本を発車。

車窓を眺めていると運転席の方からは指差喚呼が聞こえてきます。座席から伸び上がってみて見ると、どうやら女性の新人運転士と指導運転士のペアでした。時折運転方法のアドバイスなどが入っていました。運転士さんの指差喚呼を聞きながら車窓を眺めます。相変わらすの雨ですが。

冠着トンネルを抜けると姨捨付近の絶景が広がるのですが、雨模様ともあっていまいちパッとしません。

それでも眼下に広がる善光寺平の景色はしっかりみておきます。姨捨の棚田も田植えが終わって降り水を湛えた姿がちらりと見えました。善光寺平へと駆け下りて長野には1159に到着。1209発金沢ゆきはくたか559号に乗り換えます。

お手洗いにちょっと行ってホームに降りると、ちょうど電車が到着するところでした。12号車のグランクラスは営業していないので、カーテンが閉まっています。8号車の指定席に座るとすぐに発車。当初予定では週末パスの範囲外ですが糸魚川まで乗って、えちごトキめき鉄道日本海ひすいラインと妙高はねうまラインに乗る予定でしたが、早く帰りたくなったので今朝千葉駅で上越妙高までに変更してあります。

昨年の台風19号の被害を受けた長野新幹線車両センターの脇を通ると、水没して廃車となってしまったE7系電車の解体作業が進んでいる様子。編成を外されて解体を待つ新幹線電車が寂しそうに止まっていました。

指定席を取りましたが、時節柄乗車している人はほどんどおらず、空席ばかりが目立っています。これなら自由席でもよかったかなとちょっと後悔。長野から上越妙高までは20分ほどの乗車なので、ぼーっとして過ごします。

1231に上越妙高駅に到着。列車は4分停車となっています。臨時のかがやぎ号のスジでもあるのでしょうか、この日は空待ちでした。こちらは下車して改札を出ます。ここでえちごトキめき鉄道に乗り換えるのですが、その前に指定券券売機で長野から帰りの新幹線の指定席を買い、売店でお昼ご飯のお弁当を買っておきます。
 

週末パスで乗り鉄2020〜4

2020-06-21 18:54:39 | 日記

*当記事の外出は感染症対策を行った上、新しい生活様式に準じた行動をしています。

6月14日も京葉線蘇我ゆきの始発電車に乗る予定でした。が、起きたのは自宅出発予定時刻の6分前。慌てて支度をしますがどうにも間に合いそうもありません。そこで支度をしながら地下鉄東西線浦安駅からの時刻を検索するとなんとかなりそうです。荷物は前日のままなのでなんとか支度を済ませて5時前に家を出て自転車で浦安駅へと向かいます。

浦安0521発東葉勝田台ゆきになんとか間に合い、西船橋で総武線各駅停車千葉ゆきに乗り換えます。千葉には0611着。改札を出てみどりの窓口で指定の変更をしたり朝ごはんを買ってホームへ戻ります。

乗車するのは0638発、通称「千葉あずさ」のあずさ3号。改正前までは大糸線直通南小谷ゆきで5時間越えの長距離特急でしたが、改正で松本ゆきになりました。

E353系12両編成ですが、松本まで行くのは前の9両、12号車から4号車です。


後ろの1号車から3号車は特急富士回遊3号富士山・河口湖ゆき。富士回遊号の行き先表示はイラスト入りです。この3月のダイヤ改正からあずさ号と併結となりました。12両編成というと長い編成ですが、千葉あたりでは成田エクスプレスが12両編成、総武快速が11両か15両で走っているので、その中に入ってしまえば、まあ、ちょっと短いかなといった程度になってしまうのが不思議です。

あずさ号も奮発してグリーン車で。松本までは4時間弱の乗車になります。

乗車したのはトップナンバー編成でした。0638定刻に千葉を発車。あずさ号と富士回遊号の併結編成なので自動放送が長く、5分ぐらいかかっていました。錦糸町までは総武快速線を走り、錦糸町で緩行線に転線。前を走る中央総武線電車に抑えられてゆっくり走ります。秋葉原を通過して御茶ノ水で中央急行線へ転線。新宿に0727に到着。3分停車して0730に新宿を発車します。
中央線は高尾までの電車区間を過ぎるといきなり山の中に入っていくので、車窓の変化が楽しい路線ですが、不覚にも立川発車後に寝てしまったらしく、気がつけばトンネル区間に入っていました。藤野を通過したあたりかな…などと思っているとほどなくして上野原駅を通過。桂川橋梁を渡り大月に0830着。ここで3分停車して後ろ3両富士回遊号を切り離して発車します。
笹子トンネルを抜けて勝沼ぶどう郷で甲府盆地を眺めながら勾配を降りてゆきますが、お天気も良くなく山の景色は望めそうにもありません。山梨市でグリーン車から数少ない乗客が下車。甲府盆地へ一旦降りてから今度は八ヶ岳山麓へと列車は登ってゆきます。八ヶ岳も見えないまま小淵沢を過ぎて県境を越え、中央本線の最高所駅、信濃境駅を通過します。

信濃境ー富士見間では旧立場川橋梁の姿を見ることができます。日本でも現存例が数少ないボルチモアトラス橋の一つです。老朽化が激しいのでいつまで見られるかわかりません。

0951着の茅野駅では駅前のガラス張りの建物に乗車している列車が映っているのですが、写真にしてしまうとよくわからないですね。
列車は諏訪盆地に入り諏訪湖沿いの茅野・上諏訪・下諏訪・岡谷と4駅連続停車。岡谷で諏訪盆地に別れを告げて塩嶺トンネルで山を抜け、松本平に入ります。

「まつもとー、まつもとー」の、松本駅独特のアナウンスに迎えられて終点の松本に1023に到着。乗り換えの電車まで少し時間があるのでちょっと駅前に出てみます。が、駅前に出た途端に雨が降ってきました。

駅前では松本市循環バスのタウンスニーカーが数台停車していました。中型車は時節柄マスクをつけ、マスクをつける行動をアピールしていました。雨も激しくなってきたので早々に駅へ戻ります。
 

週末パスで乗り鉄2020〜3

2020-06-19 19:46:56 | 日記

*当記事の外出は感染症対策を行った上、新しい生活様式に準じた行動をしています。

国府多賀城1524発の仙台ゆきに乗るのですが、途中駅で人立ち入りとかで7分遅れで運転しているようです。仙台駅で30分ほどの余裕があるはずでしたが、だんだんと時間がなくなっていく感じです。JR東日本アプリで運行状況をチェックしながら待ちます。結局7分遅れのまま到着して、仙台には8分遅れとなりました。
一度改札を出て、エスパル仙台東館の中華惣菜店でお弁当を買い、菓匠三全の店舗で仙台銘菓「萩の月」を買ってホームへ戻ります。


ホームへ降りるとちょうど乗車する列車が、仙台車両センターから回送されてきたところでした。隣のホームに入線する仙山線の電車とともに。

乗車するのは常磐線・上野東京ライン経由品川ゆき特急ひたち26号です。東日本大震災前までは上野から特急スーパーひたち号が仙台まで走っていましたが、この3月14日からはひたち号の3往復が仙台まで直通してきています。スーパーひたちもいわきから4両編成だったので10両編成の特急電車は非常に長く感じます。しかしながら仙台駅にやってくる久しぶりの特急電車です。

仙台駅に停車するE657系電車。震災がなければE653系によるいわきー仙台間のローカル特急が走っていたはずなので、まさか10両編成のE657系がやってくるとは思いもよらなかったことでしょう。

東京までおよそ4時間の行程なので、グリーン車を奮発しました。

3月14日のダイヤ改正から常磐線が全通し、特急ひたち号も直通運転を開始したので、仙台駅の柱には常磐線の見どころ紹介がありました。飲み物を買って乗り込むと1611定刻に発車。ホームには仙台駅で特急電車を初めて見る子供たちが、お見送りをしていました。
岩沼まで東北本線を走り、岩沼で左にカーブして東北本線から離れていきます。いよいよ常磐線に入ると思い気を引き締めます。ご承知の通り、常磐線は東日本大震災の津波とその後の福島第一原子力発電所事故により、最後まで不通区間のある路線でした。そして2020年3月14日に最後まで不通だった浪江ー富岡間が開通し、震災関連の路線が全て復旧をしました。

津波被害を受け、E721系電車が津波に流され破壊された映像が印象に残っている新地駅は、旧駅より内陸部に移転されています。その新地駅で下り特急ひたち13号と行き違い。この新地駅を含む浜吉田ー駒ケ嶺間は内陸部へ線路が移設され旧線は廃線になっています。廃線といえど廃線跡は津波に流されてしまったので残っていないのが実情です。しかし沿線では山元町のいちごハウスなど復興へ向けた息吹を感じられました。

しかし、原ノ町を過ぎて福島第一原発の20km圏内に入ってゆくと、草に覆われた田んぼが広がってくるようになります。街も家が解体され更地になっているところが目につくようになります。

そんな光景に目を奪われていると1725に浪江駅に到着。浪江駅から先は帰還困難区域にはいり、最後まで不通だった区間です。浪江駅周辺も一見すると普通の駅前のようですが、あちこちで家の解体と、更地化されブロック塀だけが残った場所が目につきます。

浪江駅の駅舎には線量計が設置されていました。除染したとはいえこの日は0.243μSv/hの線量が計測されています。ちなみに南側の富岡駅では0.06μSv/hでした。
浪江駅を発車するといよいよ帰還困難区域に入ってゆきます。車窓には一見すると普通の景色が広がっているように見えますが、人気の感じられない景色にあるのは、あの日のまま壊れている家々が草木に埋れていっている姿でした。2011.3.11まで人々が生活していた痕跡が家のガラス越しに垣間見られますが、それ以上に9年という歳月は長く、人工物が自然へ飲み込まれつつありました。人気もなく無の景色の中を特急電車が走る。なんだか不思議な感覚に囚われます。

次の双葉駅は帰還困難区域内ですが、駅前や周辺は特定復興再生拠点区域に指定されて、避難指示解除区域になっています。が、駅から見える景色は駅前とは思えない廃墟感が漂っています。

さらに次の大野駅も帰還困難区域内ですが駅周辺は避難指示解除区域になっています。が、駅前の街並みにはバリケードがしっかりと置かれ、ここが帰還困難区域であることを見せつけています。かなり衝撃的な光景でした。いつのまにか報道も少なくなってしまいましたが、9年たってもこの状況には慄然としました。
ツツジが彩りを与えることで有名だった夜ノ森駅のツツジも除染によって抜かれてしまいましたが、それでも小さ苗木が植えられて数年後の彩りが楽しみになっています。富岡駅で今回の震災で最後まで開通できなかった区間は終わります。が、この先も津波被害を受けているので、被災地の風景は続きます。しかし、田んぼには苗が植えられ、生活感の感じられる光景になります。その光景になんだか少しホッとしました。ホッとしたところでお腹が減ったので仙台駅で買ったお弁当で夕ご飯にします。夕ご飯を食べ終わるといわき。いわきからは特急らしい走りとなります。
普段であれば湯本、高萩、日立、常陸多賀、東海と停車するとビジネスマンが乗ってくるのですが、時節柄ほとんど乗降はなく水戸へ。水戸からも乗車はなくガラガラのまま列車は水戸から上野までノンストップで走ります。こちらもそろそろ乗り飽きてきた感じだったので少し寝ます。うとうとしてふと目をさますと列車は藤代のデッドセクションを通過する頃。喉を潤してしばし夜の景色を眺めます。

江戸川を渡って地下鉄千代田線との接続駅綾瀬と通過する頃に降りる支度をそろそろ始めます。上野に停車して東京に2043に到着。数少ない乗客が下車して列車は終点品川へ向けて発車してゆきました。京葉線に乗り換えれば1日目は終了。舞浜駅からバスに乗って自宅へと帰りました。
 

週末パスで乗り鉄2020〜2

2020-06-18 19:23:54 | 旅行
*当記事の外出は感染症対策を行った上、新しい生活様式に準じた行動をしています。


会津若松についてから一旦改札口を出て、Newdaysでおやつを買います。雨が降っているので駅の外へ出ずに再びホームへ戻ります。改札そばにあったあかべえの張子で会津へ来たことを実感します。

会津若松1108発郡山ゆき快速に乗ります。快速とはいえ2両編成でワンマン運転でした。空いているボックスに座って発車を待ちます。相変わらず雨の降る中、定刻に会津若松を発車。ワンマン運転なので自動放送ですが、その英語放送に何か引っかかりを感じました。ワンマン運転を表現していると思われますが、「…Only One Driver…」と表現していました。まあその通りといえばその通りなんですが、なんだか違和感を感じる英語放送でした。

相変わらずの雨模様ですが、磐梯町付近からは奇跡的に磐梯山が姿を見せていました。今年のゴールデンウィークは磐梯山を見れなかったので、神様が見せてくれたのでしょうか。

翁島ー猪苗代間から見る磐梯山が磐越西線の車窓から見るには一番いいです。やや低いところに雲がかかってきていますが、大磐梯の姿ははっきりと見えます。猪苗代、川桁、関都、上戸とすっかりおなじみさんになってしまった駅を通り過ぎますが、次の中山宿、さらには停車駅の磐梯熱海の記憶がありません。はっと気づくと安子ヶ島駅を通過するところでした。気がつけば車内は混んできていました。
郡山には1212に到着。6分乗り換えで仙台・山形・新庄ゆきやまびこ・つばさ135号に乗れるのですが、お昼を食べに改札口を出ます。

郡山駅ビル内のマクドでお昼ご飯を食べて、1257発盛岡行きやまびこ59号に乗って仙台へと向かいます。短距離なので自由席にしてあります。

やまびこ59号はE5系での運転。2号車の自由席に入ると2列席には座っている人もちらほらいますが、3列席はほとんど空いていました。車両真ん中付近の3列席に座ります。乗り込むとすぐに発車。新幹線乗車のお楽しみの車内誌を読みながら過ごします。次の福島では6分停車。白石蔵王は通過して仙台に1337に到着。やっぱり新幹線は速いです。

仙台で下車して東北本線に乗り換えますが、一旦改札口を出て仙台駅東口のエスパル仙台東館へ。夕食のお弁当を算段してから再び駅構内へと戻ります。

仙台1351発の小牛田行き普通電車に乗ります。E721系4両編成の空いているボックスに座って発車を待ちます。定刻に仙台を発車。

仙台からわずか15分ほどで目的の国府多賀城駅に到著。列車を見送ってから駅を出ます。その前にちょっとお手洗いに寄り道しました。

国府多賀城駅前には宮城県立東北歴史博物館があります。昨年のGWに仙石線多賀城駅から歩いてきてここでお昼ご飯を食べる場所を借りるだけだったので、今回の訪問となりました。今回はちゃんと中に入って展示を見ます。
宮城県立というだけあって宮城県の考古資料中心ですが、広く東北の歴史を扱っており旧石器時代から近現代まで考古資料が一通り展示されています。近くに多賀城跡があることから古代の城柵である多賀城についての展示スペースもとっていました。訪問時には特別展として東日本大震災で被害を受けた史跡などの復旧状況や、津波被害によって高台移転事業をきっかけにした発掘の様子や出土品の展示が行われていました。仙台への帰りの電車の時間を気にしながらの訪問となりましたが、それでも1時間ほど見学できました。国府多賀城駅へ戻って仙台へと戻ります。