岩田亨の短歌工房 -斎藤茂吉・佐藤佐太郎・尾崎左永子・短歌・日本語-

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戦前「5・15事件、2,26事件と斎藤茂吉」

2013年12月25日 23時59分59秒 | 斎藤茂吉の短歌を読む
先ずは、「斎藤茂吉ーその迷宮に遊ぶー」(岡井隆、永田和宏、小池光、共著)より抜粋。

 「茂吉には2,26事件の歌ってありましたか。僕はちょっと記憶にないですね。少なくともまとまってはいないですよね。なぜ茂吉は2,26を歌わなかったのか。・・・(2,26共通点のある)ヒットラー事件をこれだけきっちり詠んでいる茂吉がなぜ2,26は詠わなかったのか。」(永田和宏)

 なるほど斎藤茂吉には5,15事件を詠んだ歌がある。それは以下の様なものだ。


・おほっぴらに軍服を着て侵入し来たるものを何とおもはねばならぬか・

・卑怯なるテロリズムは老人の首相の面部にピストルを打つ・


 5,15事件は、1932年(昭和7年)に、海軍の青年将校がおこした軍事クーデターだった。以下は、「角川日本史辞典」から引用する。

「30年頃から海軍青年将校の間に国家改造、ファシズム化を目ざすグループが生まれ、井上日昭らと交わり、直接行動を計画。民間グループが血盟団事件を起こしたのに続いて、5月15日海軍グループは大川周明から資金援助を受け、陸軍士官学校生徒らの参加を得て、首相官邸、警視庁、内大臣牧野伸顕邸、日本銀行、政友会本部などを襲撃、犬飼毅首相を射殺して自首。」

 時代は、大正デモクラシーの時期の余韻を残しつつ、ファシズムへ向かっていく時代だった。


 ところが2,26事件のあった時代は、これとは決定的に異なる。事件は1936年に起こった。日中戦争が始まる前年で、この事件を機に、ファシズム化が一気に進む。動員兵力も1400人と規模が違った。いわゆるカウンタークーデターで、軍部は一挙に政治的発言権を大きくした。

 政財界や海軍が、クーデター部隊に同調の構えを見せたものの、昭和天皇の「反乱軍」の一言で、一斉にクーデター部隊は鎮圧された。ここで分かるように、事件の重大性が、5,15事件とはまるで違う。恐らくおいそれとは口にできなかったのだろう。
 斎藤茂吉が、2,26事件を詠めなかった原因の一つがこの辺りにあろうかと思う。

 だが、茂吉がこの事件に無関心だったわけではない。

「2,26事件には日記などにいっぱい書いています。とにかく(2,26事件を起こした青年将校たちが)大嫌いなわけです。」(小池光「斎藤茂吉ーその迷宮に遊ぶー」)

 2,26事件の首謀者たちは厳罰に処せられた。17名が死刑、5名が無期禁錮、6名が禁錮15年、その他が言い渡された。

 この年の7月3日、相沢三郎中佐は、同年5月に死刑判決に続き、上告棄却ののち、銃殺刑を執行された。相沢中佐は、2,26事件に先立つ5,15事件の青年将校に同情し、永田鉄山軍務局長を惨殺した犯人だ。

 この5月に、斎藤茂吉は次のような歌を残している。

・号外は「死刑」報ぜりしかれども行くもろびとただにひそけし・

 どうだろう。ファシズム化の過程で、言いたいことも言えない、茂吉像が浮かんではこないだろうか。


 「『ただにひそけし』の結句は当時の空気をよく伝えるものであるだろう。・・・こういうときの茂吉の時代の空気を感じ取る直観力は実にリアルである。」
   (小池光著「茂吉を読む」)




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