・かぎりなき地(つち)の平和よ日もすがら響きをあげて風やみしかば
1947年(昭和22年)『帰潮』
先ずは歌意から。
「かぎりく広いこの地の平和よ。響きをあげた風がやんだところで」こうして口語にするとなんとも陳腐である。そこで思い切って意訳してみよう。
「目の前に限りなく広がる大地がある。昨日から響きをあげて吹いていた風がやんだ。ああ平和になったのだ。」
このようになるだろうか。1947年と言えば、日本国憲法が施行された年である。戦争が終わって、戦中世代の、佐太郎は安堵したに違いない。
その思いは切実であっただろう。ただ平和になったとは言わず、「地(つち)=大地の平和よ。」と呼びかけているのは、自然への畏敬の念ともとれる。戦争は過酷だった。戦後70年の現在では思いも及ばないほどの安堵感だったろう。
戦争が終わたのを、素材とした短歌作品は多い。だがこういう祈りにも似た表現は、佐太郎の特徴の一つだ。自然に神を感じる。これを哲学的には汎神論と言う。汎神論的な写生は、斎藤茂吉ゆずりだ。
だが斎藤茂吉とは明らかに文体が異なる。僕の評論集『斎藤茂吉と佐藤佐太郎』で述べたが、斎藤茂吉を黒糖とすると、佐藤佐太郎の文体はグラニュー糖の透明感がある。
方法論も異なる。斎藤茂吉なら、憲法施行という事件性を入れて短歌を詠んだだろう。斎藤茂吉が、紀元2600年の奉祝歌を詠んだのは広く知られている。
この一首は「純粋短歌論」に基く社会詠と見ていいだろう。
参考までに、青田伸夫著『「帰潮」全注』から鑑賞文を紹介しよう。
「戦争を放棄した国土のしずかさを詠じたもの。『かぎりなき地の平和』は『立房』の『ことごとくしづかになりし山河は彼の飛行機の上より見えん』の延長戦上にある句である。日すがらあれ狂った疾風が凪いで蘇った地上のしづかさを詠じたもので、歌柄が大きい。実感の裏打があるから、こう大きく流動し感動を追体験できるのである。」
実感、当事者意識、これが作品の厚みとなっているのだろう。