・わが涙いまこそ乾け土の上つめたくなりて咲きし花等よ・
1949年(昭和24年)作。「帰潮」所収。
たびたび書いているように「帰潮」の主題は「貧困と悲しみ」。しかし、佐太郎とて泣いたり嘆いたりしているだけではない。ここに挙げた一首などはその例だろう。
終戦直後に岩波書店を辞め出版社・養鶏ことごとくうまくゆかず、著述業としての仕事では生活はいまだ成り立たなかった。その頃の歌である。師の斎藤茂吉は山形に引っ込んでしまった。土屋文明らのアララギのなかでは異色の存在だった佐太郎には居場所はない。前年の1948年(昭和23年)に「歩道」を活版印刷とし、「純粋短歌論」を連載し始めて新たな出発を心に期した頃だろうか。
今西幹一・長沢一作著「佐藤佐太郎」によれば、
「上京した佐太郎は、五味保義、吉田正俊とともに(アララギの)編輯(編集)の任に当たるが、全体の号令は群馬県川戸の土屋文明から出ていた。」
「すでに、麓門下、赤彦門下、茂吉門下、文明門下といった割拠の時代は終わったいた。(ママ)」
という状態であった。佐太郎にすれば自らの主宰誌のことが心のなかで大きくなっていった時期だったのであろう。何か大きな期するものがあったに違いない。