・凍りたる海よりも雲くらからん一望にしてただ白き海・
「冬木」所収。1962年(昭和37年)作。
佐太郎の自註。
「『雲くらからん』・・・と表現したのは、自身やや満足をおぼえた。(これを)得て北海道行ったむくいがあったと感じたのであった。短歌は経験の声だから、私は空想で歌を作ろうとは思っていない。」(「作歌の足跡-海雲-自註」)
「知床半島に抱かれた網走湾が流氷にとざされるのは早春の頃である。私は昭和37年の3月はじめに見た。氷海がまぶしく光ってゐる白一色の単調を救ふために雲を配したのであった。」(「及辰園百首自註」)
圧倒的迫力である。特に下の句がいい。目の前の海が一面に凍っていて白い。それは人智を超えたものだろう。大きな自然の前に作者も読者も飲み込まれたかのようだ。「単調を救ふために雲を配した」とあるが、流氷に閉ざされた白い海にピントが合って、雲がそれよりやや暗い色で、海の背景になっている。
だからこの雲は沖の方のぼんやりした雲だろう。空一面の雲ともとれるが、「海も一面、空も一面では、佐太郎自身の言う通り単調である。
「単調を救ふために雲を配した」のだが、海を詠みながら空を持ってきたところが、やはりこの一首の特徴だろう。
この一連は全部で14首あるが、次のようなものもある。
・流氷のうへに雪つみて白き海沖とほくまで視界音なく・
・ひとさまに海をとざせる流氷の沖とほく帯のごとく光れる・
・氷海にのぞみて落葉とどこほるオシンコシンの黒き断崖・
・こほりたる海にむかひて音たぎちそそぐ滝あれば音を寂しむ・
これらも佳詠だ。それぞれ「景のなかの作者の主観」が隠れている。自然に大きく包まれ、圧倒され、畏れさえ抱いている作者像が浮かぶ。(岡井隆と塚本邦雄の読みを僕はとりたい。)