・おのずから起伏つづく砂丘の谷あれば谷のたもつしづかさ・
「地表」所収。1955年(昭和30年)作。
「起伏」は「おきふし」、「砂丘」は「すなをか」と読む。佐太郎が和語のやわらかい語感にこだわったことを示している。(茂吉が「白桃」を「しろもも」と読ませたのと発想は同じ。これについてはまた別の記事に書く予定。)
「きふく」「さきゅう」と読んでは「砂丘」のあのなだらかさが十分表現できないと思ったのだろう。今ではやや古風に過ぎると言えなくもない。だが、ここはこれでなければ「静かさ」は表現できない。表現したい世界のありようが、文体・言葉・声調を決定するのであって、その逆ではない。
この作品の場合は、「表現する世界」と「言葉の選び方」が適合している。使っている言葉のみを瑣事的に取りあげてみても、ほとんど意味がない。
また、この一首の注目点は第5歌集「帰潮」にはなかった作風が芽生えつつあるということである。
特に下の句の詩的把握は大胆だ。「谷」という語のリフレイン。「谷のたもつ」という擬人的表現。接続助詞の「ば」も一歩間違えば理(ことわり)めくが、それを感じさせない。佐太郎の到達した歌境の高みのひとつがここにある。
どこか「世界を大きく包み込む」ような趣がある。余裕と言ってもよい。「帰潮」は「ぎりぎりの境遇で詠んだ」という感じが否めないが、ここに至り一回り大きな世界に踏み込んだようである。
それは、ゆっくりした言葉遣い、息使いにある。ゆったりしながら、どこか緊張感がある。それが、この作品の特徴である。齊藤茂吉から受け継いだものをさらに洗練した世界がここにある。ここまでくると「もの」を詠うリアリズムの即物性は消え、感覚だけが研ぎ澄まされてくる。「象徴的写実歌」(岡井隆)たる所以である。
著述業としての活動も軌道にのり、経済的基盤が固まった環境でなければ生まれ得なかった心境に満ちた作品といえるだろう。