・軍衣袴も銃も剣も差上げて暁渉る河の名を知らず・
「山西省」(1949年・昭和24年刊)所収。1940年(昭和15年作)。
先ずは読みから。「軍衣袴」は「ぐんいこ」、「銃」は「つつ」。軍衣袴は広辞苑にも載っていない言葉で、漢字の意味から、軍服の上下と考えられる。(高野公彦「宮柊二」)
戦地詠である。衣服を脱いで頭上に銃もろともかかげながら、渡河をするのは夜間だから、夜、部隊ごと兵士たちが河を渡って行くのだろう。
体はおそらく泥まみれであろうし、まさに「泥沼戦争」だ。
以前の記事にも書いたが、山西省は旧満州国と華北の境である山海関の西北、日中両軍の激戦地。
この作品のみならず、「山西省」に収録された作品は戦争の様相をリアルに伝えている。それは「戦況の報告」ではなく、戦争が決して恰好のよいものではないことを実感として現代の私たちの心に訴える。
このリアリズムは、土屋文明のそれとは明らかに異なる。宮柊二の師である北原白秋とも異なる。ならばこそ、結社一つを率いることもできたのだろう。
作者は新潟の東部第36394部隊で終戦を迎え、戦後この歌集を出版。そして戦後は焼跡を詠うが、このリアリズムも近藤芳美とは異なる。このあたりに宮柊二の独自性があるのだろう。
「写生・写実」と言えば「リアリズム」と思われる場合もあるが、これでその違いがわかるだろう。
なお、これは僕の個人的感想だが、「川をこえる」歌として戦後発表されてものにつぎのようなものがある。この時の作者の感慨は特別なものだったろう。
・たたかひを終わりたる身を遊ばせて石群れる谷川を越ゆ・(「小紺珠」所収。)
「石群れる」は「いはむらがれる」と読む。冒頭の作品の「河」を意識しながら作者はこの歌を詠んだと僕には思われて仕方がないのだが。