岩田亨の短歌工房 -斎藤茂吉・佐藤佐太郎・尾崎左永子・短歌・日本語-

短歌・日本語・斎藤茂吉・佐藤佐太郎・尾崎左永子・社会・歴史について考える

角川「短歌」4月号:「特集 アンソロジーの功罪」

2012年03月29日 23時59分59秒 | 総合誌・雑誌の記事や特集から
 「短歌」誌上で続いた「共同研究:前衛短歌とは何だったのか」の最後の座談会で篠弘が述べた次の趣旨の発言。

「アンソロジーは、ある場合には歌人を殺すことになる。」

をめぐって、永田和宏と篠弘が対談した。「アンソロジーの功罪」。注目すべき発言を拾ってみた。

1・歌人を殺すこともある?

篠弘:「仮に百人を入れようとしたら、百二、三十人の候補者が出るだろうし、五十人といえば七、八十人の候補者が出るだろう・・・。」

 (=先ずは人数の問題。)

  「手頃な本にしなければならない。」「売れなければいけない。」

 (=読みやすさの問題と採算の問題。)

  「収録された人やその同行者に使ってもらいたい。」

 (=大結社の歌人や研究熱心な結社の歌人の作品が選ばれる可能性が大きい。)


2・自選は思い込みが強い

篠弘:「慣例、恒例として、現存者は自選、亡くなった方は編者が選ぶのが建前です。・・・(篠弘編「現代の短歌」の)新版は私自身に選ばせてもらった。というのは、自選に依存したアンソロジーはあまりよくないんだな。」

永田:「自選というのはどうしても思い込みが強くて、必ずしも代表歌になっていないことも多いから。・・・アンソロジーに採られることがないと後に残っていかないということが絶対ある。」


3・アンソロジーの難しさ

永田:「何らかのかたちで、その人(=編者:註・岩田)の主義、嗜好も混じってくるだろう。・・・(だから)篠版のアンソロジーが、岡井隆版のが、馬場あき子版のがあるというかたちで、同時代に幾つものアンソロジーがあって、それがアンサンブルとして次の世代に手渡されていくとき、このアンサンブルの中からおのずと共通項として大事なものが残っていくのではないか。」

篠弘:「(作者の略歴について)僕はみずからの意見そのものよりも、その歌集が出た際に執筆された、同時代の適切な評言を探し出し、それを引用するように努めてみました。」


4・「昭和万葉集」制作の裏話

篠弘:「当初は改造社の『新万葉集』と同じように、一般募集をして、応募作品を当時の主要歌人、佐藤佐太郎、窪田章一郎、木俣修、芝生田稔、太田青丘、近藤芳美、宮柊二など10人が委員で、その人たちの選歌で作ろうとしたのです。・・・(だけど不安で)大正末期から昭和の各結社の雑誌のコピーを撮り、有名、無名を問わず、話題になった作品をかなり心得ている人に選歌してもらい、それを加えるサゼスチョンをしました。」

5・浮上する人、消える人

篠弘:「次の世代、あるいは今まで発言しなかった人たちからいい論文や評論がでてくることで、落してしまった人が浮かびあがり、入れておくべきだったかなと思わされることがある。」

永田:「どこで切るかは、最も端的に、その編者が今の時代をどこまで大事だと思っているかにもつながってくるという気がします。」


 驚いたことがひとつ。かつて永田和宏は「『塔』を預かっている」と述べたことがある。確か「短歌」の短歌年鑑だったと記憶しているが、結社の主宰でありながらこういうのはなかなか難しいだろう、大したものだと思ったものだ。それが「塔」の創刊者の高安国世を「僕のボス」と呼んだことだ。古い結社的なものとは無縁な人だと思ったのだが。やや残念だった。

 どうやらアンソロジーに載るかどうかには、さまざまな巡りあわせというものが働いているようだ。アンソロジーに載っている歌が秀歌とは限らないし、アンソロジーに載っていない歌人が注目すべき歌業を残している場合もある。

 さまざまな人の歌集を読み「アンテナ」を常に張りめぐらす必要のあることを感じた。アンソロジーも一冊ではなく、数冊は読んでおくべきだろう。一冊のアンソロジーだけでは、部分的なものしか見えないだろう。



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