・ハロー 夜。ハロー 静かな霜柱。 ハロー カップヌードルの海老たち。・
「現代短歌朗読集成」より。穂村弘(「かばん」所属)作。佐太郎門下では非難の対象になる作品だ。商品名を入れるなど「俗の極み」といわれることうけあいだ。
僕も長年そう思ってきた。しかし、ある人の言葉がそれを覆した。
「仕事を終えて帰宅したあと、一人でカップヌードルをすする都会暮らしの若者の孤独感が君たちの流儀ではわからんだろうな。だから、句点がついてはいないか。そこで孤独感をしみじみ感じとって欲しいという作者の意図だろう。
試しにネットカフェで朗読してごらん。あちこちから、すすり泣きが聞こえるかもしれないよ。」
確かにそういう読みが可能であると気づいたとき、この作品への僕の評価は180度変わった。
「この作品は穂村弘の代表歌になる。」
案の定、「現代短歌朗読集成」の穂村作品の末尾の目立つところに収録されている。写実とは違うがこういう短歌表現もあるのだ。作者の穂村弘は「カップヌードルは地球に住む人類のメタファーだ。」などと自註しているが、そんな理屈は無用だと僕は思う。
ここで一つ疑問が浮上する。穂村弘の作品としては次のものが知られている。
・サバンナの象のうんこよ聞いてくれだるい切ないこわいさみしい・
暗唱しているので、表記に間違いがあればお許しを。この作品をとり上げているブログが案外多い。にもかかわらず、穂村弘はなぜ「現代短歌朗読集成」に収録しなかったのか。「これでは自分の思いが伝わらないと作者本人が思ったのではないか。」とは先ほどの「ある人」の言葉。そうかも知れない。
何しろ「現代短歌朗読集成」は作者が肉声で作品を朗読したCD4枚と歌集・解説からなる冊子がセットになったもの。しかも音源は、1938年(昭和13年)・1977年(昭和52年)・2008年(平成20年)の3回のものを「集成」したもの。佐佐木信綱・斎藤茂吉・釈迢空をはじめ52人の歌人が勢揃いする。
今回はCDだけに30年・50年・100年と残るかも知れぬ。「サバンナの象のうんこ」というエキセントリックな作品では「時間と呼ぶ畏るべき批評家」(塚本邦雄)に堪えられぬと思ったのかも知れない。まかり間違えば、「穂村弘=サバンナのうんこ」と長く記憶されかねない。
穂村弘の作品には他に「永谷園のお茶漬け海苔」など、目立つことだけを目的としたとしか思えない作品も多い。一体何を考えているのだろうか。穂村弘はかつて「星座」誌上で、「斎藤茂吉をこえるつもりですか。」という問いに「はい。」と答えている。何か期すところがあるのだとおもうのだが、僕にはよくわからない。
折しも「かばん」のメンバーの一人から歌集を贈られた。以前の作風をガラリと変えて、エキセントリックな言葉を含んだ作品が散見される。返事を書かねばならぬのだが、書きあぐねている。
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