KADOKAWA「短歌」1月号
・注目記事「現代短歌の60年とは(上)」
篠弘、佐佐木幸綱、栗木京子、松平盟子の座談会。昭和29年から、平成6年までの「短歌」誌の記事を振り返っている。注目した発言を引用する。
篠「釈迢空の追悼号で創刊されていることが何としても象徴的ですね。前年の28年に茂吉、そして迢空が亡くなります。迢空の生死にかかわらず、迢空特集で創刊するのではないかと思っておりました。」
「32年の1月号には塚本邦雄さんの「洪牙利組曲」と岡井隆さんの「ナショナリストの生誕」を載せている。これで前衛短歌そのものを『短歌』が支援し育成していくという狼煙を上げたような感じになるかと思います。」
松平「43年1月号から『共同研究 戦後短歌史』が始まっています。メンバーは、上田三四二、岡井隆、岡野弘彦、島田修二、そして篠さんです。」
佐佐木「30年代から40年代は篠さんと上田三四二さんと菱川善夫さんたち、評論オンリーの人がいて、評論の熱気がすごかったよね。島田さんも最初は評論中心でしたね。評論は雑誌に載るけれど短歌はほとんど乗せなかった。」
「評論の熱気が歌壇を活性化していた。『短歌』の発売日を学生たちは本当に待っていたもの。」
篠「61年に俵万智さんが受賞という順序です。角川短歌賞はその後も若手の女流が一年おきくらいに確実に出て、その人たちが今もって活躍しているところが良いですよね。」
「評論が少なくなったとはいえ、まだまだ育っている。幸綱さんの言う通り現代詩や現代俳句と大きく違うのはそこでしょうね。それを歌壇があえてしたのは戦争時代の痛みがあったから。評価の基準を探ることが、『短歌』の場で出来た。」
KADOKAWA「短歌」2月号
・注目記事「現代短歌の60年とは(下)」
三枝昂之、小島ゆかり、穂村弘、大森静佳の四人の座談会。平成7年から現在までの「短歌 」誌の記事を振り返っている。注目した記事を引用する。
三枝「とりあえず俵さんにスポッとライトを当てると『短歌』は意識的に俵さんを推し出して行きます。『サラダ記念日』が62年5月に出て、その年9月号で早くも『俵万智の世界』の特集です。」
小島「『サラダ記念日』が出て、あっという間に女の論議もシンポジウムの時代も霧散してしまった。」
三枝「大テーマを担うのが現代短歌だとみんな思っていたが、大テーマがなくてもいいんじゃないかと示したところが新しく衝撃的だったのではないかな。」
「では90年代に入ります。『短歌』はこのときから歌を作るマニュアル特集をしきりにやるようになった。・・・角川『短歌』の一つの大きな特徴は歌人論がしっかりしているということ。これが一貫しているのはありがたい。」
(=平成に入ってから、大テーマがなくなり、評論も少なくなって、ハウツーのマニュアルものが多くなったとまとめられる。だがこれが「短歌」という短詩にとって、よいことなのだろうか。『斎藤茂吉と佐藤佐太郎』でも書いたが、主題のないものは、文学的価値をなくすのではないか、と僕は思う。)
KADOKAWA「短歌」3月号
・注目記事「60歌人の代表歌ーオモテの一首・ウラの一首」
60人の歌人が自分の代表歌を一首と、自分で気に入った一首を挙げて、短文を寄せている。評価の高い作品と、作者自身が気に入っている作品が違う。これはそれぞれの歌人の独自性が出ているようで、面白かった。
KADOKAWA「短歌」4月号
・注目記事「春からはじめる短歌」
2月号で三枝の言ったハウツーもの。歌歴を積んでも、初心にかえる機会となる。
「まず作ってみる」伊藤一彦、「素材を<新しく>発見する」米川千嘉子、
「ポイントは音数とリズムです」松平盟子、「やってはいけないこと」来嶋靖生、
「推敲」三枝浩樹。
(=初心者には大いに参考となる記事だろう。)