短歌の総合誌で「特集」は珍しくないが、「総力特集」というのは珍しい。何かと思って全体の編集を見たところ、さまざまな工夫がされていた。
先ず、巻頭のグラビア。「超世代対談」という企画第5回目。尾崎左永子と斎藤斉藤の対談。若い斎藤斉藤が大先輩の話に耳を傾けるというもの。尾崎左永子(「星座」主筆)は斎藤茂吉の孫弟子にあたる。
次に「総力特集」。執筆者(座談会出席者を含む)は顔ぶれが多彩で、人数は18人を数える。それも大方は、4ページ、2ページの本格的な論考。その間に「茂吉の少年期の日記」という新資料が紹介されている。
それから7首詠に「星座」の選者、藤岡きぬよ。書評欄に僕の「剣の滴」(星座ライブラリー)が載っている。
このうち、特集本体の座談会、論考・エッセイのなかの座談会と論考(篠弘、三枝昂之、島田修三、大辻隆弘のものに注目した。
:総論鼎談:岡井隆、品田悦一、川野里子(司会):今、茂吉を読む意義とは:
「『ごく当たり前のものを当たり前に見ない』ということを茂吉が教えてくれた。文学の世界に限らず、『物事に慣れない』ということです。不器用な人間が精いっぱい取り組むと、器用に手慣れた人がやってしまうのとは桁違いのすごいレベルに突き抜けて行く場合がある。そういうことを教えてくれるという意味でも、若い人たちに『茂吉を読め』と勧めたい。」(品田)
「自分の前にこういうものがあった、その前にこういうものがあったという、いわゆる歴史性をどう考えるのか。・・・前衛短歌の時代・・・その前に・・・戦後派がいた。その前に斎藤茂吉や土屋文明や窪田空穂さん、北原白秋がいた。そして、読んでみれば分かるようにみなおもしろい。そのように『先生がいて自分がいる』という考え方を絶えずするならば、必ずその前の、自分を教えてくれた人たちのほうへ興味が行くはずだと思うんですけどね。」(岡井)
(=新しさを求めるなら、先ず先人に学べということだろう。「型破り」をしたいなら先ず、型を身につけるという歌舞伎の市川亀次郎の言葉とは、共通点がある。「型がなければ、形なし」。)
:「深処の生」を求めて(写生論/実相観入):篠弘
「当初より茂吉は、ありのままの『真実』を尊重したが、事柄を叙述することではなかった。・・・(「短歌に於ける写生の説」の引用)・・・短歌の本質は人間の内面における『深処の生』を捉えたいとの堤唱であろう。」
(=ものごとの核心を捉えるということ。)
「『写生を突きすすめて行けば、象徴の域に到達するといふ考へ』・・・これは飛躍した解説であり、やや矛盾する点もあるが、『深処の生』を求めていた『写生』が、現実には体験したことのない、いままで見えなかった写象が掴み得たという潜在能力への言及と見做したい。」
(=後半はその通りだ。「発見」「今までとは違う見え方、捉え方」。時には幻想的にもなる。だが前半の「飛躍」「矛盾」には首を傾げざるを得ない。「写生」から「象徴」への過程は論文のように理路整然と解説できるものではない。「矛盾」に関しては、「象徴=抽象」と混同してはいないか。)
「あくまでも作歌は『具象的に現在として写生する。無限といふ言葉を用ゐずに現在をあらはし、神仏といふ言葉を用ゐずに山川草木をあらはすといふ態度である。』というのが、茂吉の結語であった。」
(=これが「茂吉の写生」は汎神論的と言われる所以だ。)
:逆白波の敗戦歌:三枝昂之
「敗戦と占領という未曾有の困難は、渾身の悲歌をもたらす土壌ともなった。身に沁みる多くの悲歌がこの時代に生まれたが、茂吉の多力ぶりは、質量ともに突出していた。」
(=そうだ。戦中の言動の是非にかかわらず、「白き山」の最上川の一連の作は「悲歌」というにふさわしい。だが、戦中のことは「茂吉の負の遺産」。批判されるべきものであって、或る種「仕方がなかった」式の三枝の立場を僕はとらない。「昭和短歌の精神史」は歴史事実を並べ、「戦後民主化の意義」も「冷戦にともなう占領政策の転換の意味」も度外視している。これは大学で歴史学を学んだものとしての率直な意見だ:同書は数々の賞を受賞しているが、そのことと内容の評価は別の問題だと考える。)
:具象志向と抽象志向:島田修三
「茂吉はひとえに描写的具象の歌人であり、空穂は批評的抽象の歌人だという中井(英夫)の洞察がうかがえるはずである。」
(=窪田空穂と斎藤茂吉との差異をこれほど短い言葉で表現するのは感動的でさえある。)
:思想性と即物性:大辻隆弘
「近藤が茂吉のなかに見出した思想性と即物性。近藤芳美は、自分の資質と理想に最も近い所で、茂吉という歌人を受容しようとしたのである。」
(=なるほどと思った。思想性(近藤芳美)、即物性(斎藤茂吉)と論じるかと思ったが、意外だった。だがこれは、近藤芳美論の一部だ。近藤芳美から見た茂吉像というところか。国家主義に傾いていった茂吉と、心情左翼の近藤芳美の意外なる接点。茂吉の弟子筋だけでは気づかなかっただろう。ここに結社の壁を越えて、意見を聞く重要性がある。)
そのほか書ききれないほど読みごたえがある。茂吉に関する「新資料」も紹介されていた。
*僕の第一歌集「夜の林檎」は品切。
第二歌集「オリオンの剣」も品切。アマゾンに出品中。
第三歌集「剣の滴」は、楽天ブックス、live door books
のほか、全国の書店で注文出来ます。*
付記:画面右側の「カテゴリー」の各項目をクリックすると関連記事が標示されます。
画面左側の「フェエイスブック」をクリックすれば画面が切り替わります。
先ず、巻頭のグラビア。「超世代対談」という企画第5回目。尾崎左永子と斎藤斉藤の対談。若い斎藤斉藤が大先輩の話に耳を傾けるというもの。尾崎左永子(「星座」主筆)は斎藤茂吉の孫弟子にあたる。
次に「総力特集」。執筆者(座談会出席者を含む)は顔ぶれが多彩で、人数は18人を数える。それも大方は、4ページ、2ページの本格的な論考。その間に「茂吉の少年期の日記」という新資料が紹介されている。
それから7首詠に「星座」の選者、藤岡きぬよ。書評欄に僕の「剣の滴」(星座ライブラリー)が載っている。
このうち、特集本体の座談会、論考・エッセイのなかの座談会と論考(篠弘、三枝昂之、島田修三、大辻隆弘のものに注目した。
:総論鼎談:岡井隆、品田悦一、川野里子(司会):今、茂吉を読む意義とは:
「『ごく当たり前のものを当たり前に見ない』ということを茂吉が教えてくれた。文学の世界に限らず、『物事に慣れない』ということです。不器用な人間が精いっぱい取り組むと、器用に手慣れた人がやってしまうのとは桁違いのすごいレベルに突き抜けて行く場合がある。そういうことを教えてくれるという意味でも、若い人たちに『茂吉を読め』と勧めたい。」(品田)
「自分の前にこういうものがあった、その前にこういうものがあったという、いわゆる歴史性をどう考えるのか。・・・前衛短歌の時代・・・その前に・・・戦後派がいた。その前に斎藤茂吉や土屋文明や窪田空穂さん、北原白秋がいた。そして、読んでみれば分かるようにみなおもしろい。そのように『先生がいて自分がいる』という考え方を絶えずするならば、必ずその前の、自分を教えてくれた人たちのほうへ興味が行くはずだと思うんですけどね。」(岡井)
(=新しさを求めるなら、先ず先人に学べということだろう。「型破り」をしたいなら先ず、型を身につけるという歌舞伎の市川亀次郎の言葉とは、共通点がある。「型がなければ、形なし」。)
:「深処の生」を求めて(写生論/実相観入):篠弘
「当初より茂吉は、ありのままの『真実』を尊重したが、事柄を叙述することではなかった。・・・(「短歌に於ける写生の説」の引用)・・・短歌の本質は人間の内面における『深処の生』を捉えたいとの堤唱であろう。」
(=ものごとの核心を捉えるということ。)
「『写生を突きすすめて行けば、象徴の域に到達するといふ考へ』・・・これは飛躍した解説であり、やや矛盾する点もあるが、『深処の生』を求めていた『写生』が、現実には体験したことのない、いままで見えなかった写象が掴み得たという潜在能力への言及と見做したい。」
(=後半はその通りだ。「発見」「今までとは違う見え方、捉え方」。時には幻想的にもなる。だが前半の「飛躍」「矛盾」には首を傾げざるを得ない。「写生」から「象徴」への過程は論文のように理路整然と解説できるものではない。「矛盾」に関しては、「象徴=抽象」と混同してはいないか。)
「あくまでも作歌は『具象的に現在として写生する。無限といふ言葉を用ゐずに現在をあらはし、神仏といふ言葉を用ゐずに山川草木をあらはすといふ態度である。』というのが、茂吉の結語であった。」
(=これが「茂吉の写生」は汎神論的と言われる所以だ。)
:逆白波の敗戦歌:三枝昂之
「敗戦と占領という未曾有の困難は、渾身の悲歌をもたらす土壌ともなった。身に沁みる多くの悲歌がこの時代に生まれたが、茂吉の多力ぶりは、質量ともに突出していた。」
(=そうだ。戦中の言動の是非にかかわらず、「白き山」の最上川の一連の作は「悲歌」というにふさわしい。だが、戦中のことは「茂吉の負の遺産」。批判されるべきものであって、或る種「仕方がなかった」式の三枝の立場を僕はとらない。「昭和短歌の精神史」は歴史事実を並べ、「戦後民主化の意義」も「冷戦にともなう占領政策の転換の意味」も度外視している。これは大学で歴史学を学んだものとしての率直な意見だ:同書は数々の賞を受賞しているが、そのことと内容の評価は別の問題だと考える。)
:具象志向と抽象志向:島田修三
「茂吉はひとえに描写的具象の歌人であり、空穂は批評的抽象の歌人だという中井(英夫)の洞察がうかがえるはずである。」
(=窪田空穂と斎藤茂吉との差異をこれほど短い言葉で表現するのは感動的でさえある。)
:思想性と即物性:大辻隆弘
「近藤が茂吉のなかに見出した思想性と即物性。近藤芳美は、自分の資質と理想に最も近い所で、茂吉という歌人を受容しようとしたのである。」
(=なるほどと思った。思想性(近藤芳美)、即物性(斎藤茂吉)と論じるかと思ったが、意外だった。だがこれは、近藤芳美論の一部だ。近藤芳美から見た茂吉像というところか。国家主義に傾いていった茂吉と、心情左翼の近藤芳美の意外なる接点。茂吉の弟子筋だけでは気づかなかっただろう。ここに結社の壁を越えて、意見を聞く重要性がある。)
そのほか書ききれないほど読みごたえがある。茂吉に関する「新資料」も紹介されていた。
*僕の第一歌集「夜の林檎」は品切。
第二歌集「オリオンの剣」も品切。アマゾンに出品中。
第三歌集「剣の滴」は、楽天ブックス、live door books
のほか、全国の書店で注文出来ます。*
付記:画面右側の「カテゴリー」の各項目をクリックすると関連記事が標示されます。
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