「うた新聞」4月号 書評『斎藤茂吉と佐藤佐太郎』
大山敏夫氏は、短歌結社「冬雷」の主宰。『斎藤茂吉と佐藤佐太郎』をお贈りしたときに、「好著である。『冬雷』の全国集会の賞品にしたいので、2冊注文します。」というお手紙を頂いた。
「うた新聞」の編集部より「誌面の書評欄で『斎藤茂吉と佐藤佐太郎』を掲載したいので、『運河』『星座』以外で誰か執筆者はいないか。」と葉書を受け取ったときに、真っ先に思い出したのが、大山氏だった。
大山氏の紹介のポイントは4つある。
1、茂吉の戦争詠が「負の遺産」であり、歌人の戦争責任に言及していること。科学者や、作家は「科学者会議」「日本ペンクラブ」で、戦争の総括をしている。だが歌壇にそれに該当するものはない。振り返ってみると、現在ある短歌結社の創設者が、戦争を煽っている。それを総括するどころか、三枝昂之『昭和短歌の精神史』、秋葉四郎『萬軍ー茂吉幻の歌集ー』など、師匠筋を庇い、或いは、「あのときは仕方がなかった」といった論調が歌壇にはある。それが僕の書きたかったことの一つ。斎藤茂吉の思想形成にさかのぼって原因を解明した。
2、斎藤茂吉と佐藤佐太郎の短歌作品を「象徴性、音楽性、立体感、連想力、口語的発想、都市生活者的性格」などに分けて紹介した。島木赤彦、土屋文明の写生論との違いも叙述した、氏はそこを紹介してくれた。
3、茂吉から佐太郎の子弟の引き継ぎが単なる継承ではなかったこと。斎藤茂吉に学びながら、佐藤佐太郎は自分の、資質、時代性の中から独自性を出していった。これを時代背景などを踏まえて叙述した。
4、では佐太郎はどの様に受け継げられてきたか。僕は佐藤佐太郎の孫弟子にあたる。僕自身の資質と時代性をもとに、「新」を積みたいと思っている。実作上の僕の課題だ。だからこそ「佐藤佐太郎の歌論に学ぶものが、百人いれば、百通りの新風が生まれるはずだ」と書いた。氏にはそこを読み取っていただいている。
最後に書評から、3つの文を抜粋しよう。
「師弟関係の二人の大歌人。その歌と歌論、人物と作品をめぐる背景や特徴など、細部にわたり論じて、コンパクトな歌人の入門書的な実用性もある。」
「斎藤茂吉の戦争詠に『負の遺産』として幾度も触れ、歌人の戦争責任ということを、今こそ検証しようとの提言も印象的。」
「師を継ぐとは何か。二人の大歌人の関係をたどりつつ、読後に考えさせられる書物である。」