岩田亨の短歌工房 -斎藤茂吉・佐藤佐太郎・尾崎左永子・短歌・日本語-

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佐藤佐太郎47歳:巨大ダムを見上げる歌

2010年11月12日 23時59分59秒 | 佐藤佐太郎の短歌を読む
・谷に立つ吾のまともに息ぐるしく傾斜している灰白(くわいはく)のダム・

 「群丘」所収。1956年(昭和31年)作。

 コンクリート製の巨大ダムを谷川の方から見上げている。その巨大さを言い表すのは意外と難しい。


 初句「谷に立つ」。これで作者の位置がわかる。谷底から見上げるダムは巨大だ。それを表すのが、「吾のまともに」「息ぐるしく」「傾斜してゐる」「灰白の」。ここまでたたみこまれればダムの様態がありありと浮かぶ。


 「巨大」という語を使わずに「巨大さ」をあらわせているのが、この作品の妙だろう。どういう気持で見上げているのだろうか。それは読者に投げかけられているが、唯一「息ぐるしく」がそれを暗示している。


 「灰白」という漢語の効果も見逃せない。「灰色の」という和語と比較すればよくわかる。漢語の硬質観がコンクリートの固さを思わせる。そう言えば、「コンクリート」という語句も使われていない。そこも妙のひとつか。


 僕がこの作品に注目したのは、先行する歌集「帰潮」「地表」と比べて新境地に到達している感じがするからである。


 「帰潮」は「貧困の悲しみ」、「地表」もまた新境地を開きつつあったとはいえ、「著述業に就いたばかりの不安」のような趣が漂う。つまり線が細いのだ。


 しかし「群丘」に至って安定感と重量感が顕著となる。この雄大さが自然でなく建造物であるところが、佐太郎らしさでもある。茂吉にこういう作品はない。


 佐太郎の歌論を読むと年齢によって、論旨が微妙に変わって来る。それはおそらく年齢を重ねるとともに、作品の傾向が変わってくることと対応しているのだろう。





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