・谷に立つ吾のまともに息ぐるしく傾斜している灰白(くわいはく)のダム・
「群丘」所収。1956年(昭和31年)作。
コンクリート製の巨大ダムを谷川の方から見上げている。その巨大さを言い表すのは意外と難しい。
初句「谷に立つ」。これで作者の位置がわかる。谷底から見上げるダムは巨大だ。それを表すのが、「吾のまともに」「息ぐるしく」「傾斜してゐる」「灰白の」。ここまでたたみこまれればダムの様態がありありと浮かぶ。
「巨大」という語を使わずに「巨大さ」をあらわせているのが、この作品の妙だろう。どういう気持で見上げているのだろうか。それは読者に投げかけられているが、唯一「息ぐるしく」がそれを暗示している。
「灰白」という漢語の効果も見逃せない。「灰色の」という和語と比較すればよくわかる。漢語の硬質観がコンクリートの固さを思わせる。そう言えば、「コンクリート」という語句も使われていない。そこも妙のひとつか。
僕がこの作品に注目したのは、先行する歌集「帰潮」「地表」と比べて新境地に到達している感じがするからである。
「帰潮」は「貧困の悲しみ」、「地表」もまた新境地を開きつつあったとはいえ、「著述業に就いたばかりの不安」のような趣が漂う。つまり線が細いのだ。
しかし「群丘」に至って安定感と重量感が顕著となる。この雄大さが自然でなく建造物であるところが、佐太郎らしさでもある。茂吉にこういう作品はない。
佐太郎の歌論を読むと年齢によって、論旨が微妙に変わって来る。それはおそらく年齢を重ねるとともに、作品の傾向が変わってくることと対応しているのだろう。