・芋の葉にこぼるる玉のこぼれこぼれ小芋は白く凝りつつあらん・
「長塚節歌集」所収。「凝る」は「かたまる」の意で、この場合は「育っているだろう」ということ。
上の句で実景を表現し、下の句で作者の連想を表現している。この下の句に作者の感受の独自性がある。透明感とさわやかさがある。目に見えたものだけでなく、その奥にあるものをズバリとつかみ取ったようなところがある。
そこに伊藤左千夫との差異と、斎藤茂吉との共通点を僕は見るのである。
長塚節の「写生論」は、「客観的描写を主観表現の方便とせず、客観的描写を中心に据えながら、新を求めて工夫すべきである。」というものであるが、上の句(実景)が中心となり、下の句の連想で新を求めているといえよう。
「生命の急所に踏み込んで捉える」と子規の写生論を引用した斎藤茂吉との継続性がみられる。
「選歌の師:伊藤左千夫・本来的な師:長塚節」と呼んだ斎藤茂吉の言葉の意味が、よく分かる作品である。