土屋文明。1932年作。「山谷集」に収められている作品。人口に膾炙しているものだ。
・小工場に酸素溶接のひらめき立ち砂町四十町夜ならむとす
最初は漢語の多さに違和感があった。「小工場」「酸素溶接」「砂町」「四十町」。いわば目で読んだ訳だが、のちにゆっくり声にだして読んで印象が180度変わった。「砂町四十町」は「すなまち・しじゅっちょう」と読む。
漢語の多さという目で見た感覚と違い、ゆっくり音読すると下の句からなんともいえない情感が浮かんでくるのである。
町は暮れようとしている。「小工場」とあるので、トタン屋根であろう中小企業。「砂町」とあるから、埋立地であることがわかる。その暮れなずむ工場群の一角に酸素溶接の火がきらめき立っている。当時のホワイトカラーならそろそろ帰宅を考え始める時間帯だ。
溶接作業は神経の集中が要求される。溶接機の先の鉄の棒と鉄板の距離が離れ過ぎていては火花は散らない。逆に近すぎると、鉄の棒と鉄板がくっついてしまう。実際に溶接工の若者に聞いた話だ。それに加えて、厚いゴム手袋をつけ、サングラスあるいは顔をすっぽり覆うマスクのようなものをつける。
一首のなかの職人も同じに違いない。汗が散っているだろう。顔も埃だらけだろう。作業服も汚れているだろう。次第に暗くなっていく路地裏に酸素溶接の光だけが煌く。うら悲しく、かつ懸命に生きる人間の姿が思い浮かぶ。
梅内美華子によると、馬場あき子は「人間をよく見なさい」というそうである。一般に馬場あき子率いる「かりん」は「象徴派」と呼ばれ、土屋文明はこの一首のように「新即物主義」といわれる。表現方法は違う。しかし人間に対する深い洞察力が根底にあってこそ、名歌は生まれる。これは芸術一般にも言えることではあるまいか。