岩田亨の短歌工房 -斎藤茂吉・佐藤佐太郎・尾崎左永子・短歌・日本語-

短歌・日本語・斎藤茂吉・佐藤佐太郎・尾崎左永子・社会・歴史について考える

佐藤佐太郎45歳:戦後社会を見据えたその思想

2011年02月07日 23時59分59秒 | 佐藤佐太郎の短歌を読む
佐藤佐太郎を「思想的白痴」と呼んだのは杉浦明平だが、そもそも思想とは何か。近藤芳美の作品に次のようなものがある。

・世をあげし思想の中にまもり来て今こそ戦争を憎む心よ・(「埃吹く街」)

 この場合の思想は「戦争へ突き進んでいく思潮」である。それに対して杉浦民平のいう思想はマルクス主義・または反戦思想である。これを見ても思想にもさまざまなものがあるのがわかる。

 ところで、「岩波現代短歌辞典」(岡井隆監修)には次のように記されている。

「思想と心は対立関係にある。」(穂村弘)

このブログで度々「岩波短歌辞典」の記述をたびたび引用してきたが、これには賛成できない。

 人間はひとりひとり価値観をもっている。拝金主義・マイホーム主義・博愛主義・人道主義、といかなくても人間である限り何らかの価値判断をしながら社会生活をおくっている。その価値判断の基礎になるのが価値観だが、年齢とともにその人特有の傾向を帯びるようになる。体系的なものにもなる。これが思想である。広義のイデオロギーといってもいい。「・・・主義」と名づけなくとも、自然発生的な思想・イデオロギーは誰もが持っている。もし持っていないとすれば、それは「生きた屍」に過ぎない。「思想やイデオロギーを持たない」と公言する人がいるとしたら、「思想・イデオロギー」と言う語を理解していないか、単なるポーズに過ぎない。

 思想がその場の感情としてあらわれるのが「心」「情感」である。その「情感」を詩で表現するのが叙情詩である。だから「無思想」の人間が詩を書けば、事実の下手な説明になるか、支離滅裂になる。

 さて佐藤佐太郎だが、戦後短歌のリアリズム的傾向やそれに続く前衛短歌と明確な一線を画しながら作歌活動を展開した。ここですでに価値判断をしており、「純粋短歌」執筆によって体系化の輪郭を見せ始める。まぎれもない一つの思想である。

 作品を見よう。岩波文庫「佐藤佐太郎歌集」から。

・戦(たたかひ)はそこにあるかとおもふまで悲し曇(くもり)のはての夕焼け・

・唐突にラジオを切りてときのまを一つの罪のごとく意識す・

・放射能ふくめりといふ昨夜(きぞ)の雨いま桃の葉に降りそそぐ雨・

・砂糖煮る悲劇のごとき匂ひしてひとつの部落われは過ぎゆく・

 一首目。朝鮮戦争の直前、中国の内戦が激しい時期の作品。「夕焼け=西の空」の向こうに何があるか。朝鮮半島である。(39歳)

 二首目。日本国憲法施行の年の作。おそらくニュースを聞いていて戦争中の苦い思い出をかみしめているのだろうか。(佐太郎を「良心的厭戦」と評したのは、山本司である。佐太郎38歳)

 三首目。中国の核実験のあった年の作。60年代初頭まで「雨に放射能が含まれていて、頭がハゲルぞ。」と僕も子ども同士で騒いだ記憶がある。(45歳)

 四首目。薩摩藩と琉球王国の二重支配に苦しんだ奄美大島の歴史に思いをはせている。(50歳)


 このように佐太郎は、戦後社会の様々な様相に独自の眼を向けて行った。近藤芳美や杉浦明平・岡井隆の思想とは異なってはいるが。

 「諦念に達した」と言う佐太郎に対し「坊主主義にならなければよいが」と言った坪野哲久の心配も杞憂に終わったことは既に別の記事の中で述べた。

 最後に佐太郎死去にあたっての訃報記事の清水房雄のコメントの一部を紹介しよう。

「生来の感覚の鋭さが、途中からさらに磨かれ、思想的な深まりに結びついてみごとな作品を生み出したと思う。」




この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 佐藤佐太郎51歳:火山灰の... | トップ | 斎藤茂吉49歳:伊豆山にて... »
最新の画像もっと見る

佐藤佐太郎の短歌を読む」カテゴリの最新記事