短歌の初心者が「何か本を読んだら上達する」と思う場合。これはしばしばありうる。僕の周りでもよく耳にするし、佐藤佐太郎も例外ではなかったようである。どの文献か確認できなくなってしまったが、齊藤茂吉と佐藤佐太郎のあいだで次のような会話が交わされたと読んだことがある。
佐太郎:「先生。何の本を読んだらいいでしょうか。」
茂吉: 「伊藤左千夫を読みたまえ。」
これを聞いてぼくはやや違和感を持った。伊藤左千夫と斎藤茂吉。「写生論」などをめぐって激しく意見を交わした。短歌に対する考え方にずれがある。
まず、短歌の調べと内容の関係。伊藤左千夫は「調べと歌の内容のどちらを選ぶかと問われれば、予は断然< 調べの良い方 >を選ぶ。」と言うのに対し、斎藤茂吉は「歌の内容が、声調の勢いを決める」と述べる。「歌詠みというものは、おろかにも調べゆるやかなるをよしとしている」という正岡子規の考えに斎藤茂吉の方が近い。
次に、「写生」の考え方。伊藤左千夫は「< 写生 >というのはもともと絵画の用語であり、< 写実 >というべきである」と考えるのに対し、齊藤茂吉は正岡子規や日本画・中国画の用法まで収集して「短歌に於ける写生の説」を著した。島木赤彦もほぼ同様のものを書き残している。正岡子規は写生の語句しか使っていないから、茂吉と赤彦のめざしたものの方が正岡子規に近いと言えるが、正岡子規の「写生論」は旧派和歌への決別宣言に近いからそうとも言えない。むしろ「写生をつきつめていって工夫を重ねるべきであろ」といった長塚節に近い。
それから、作品批評の基準。アララギ誌上に掲載された島木赤彦の作品を、伊藤左千夫は「単なる事実の描写にすぎない」と批判した。ここに斎藤茂吉が割って入って、島木赤彦の肩をもつ。アララギ誌上で激しい論争が行われたが、最終的には伊藤左千夫が「どこかおかしい」と言い残して論争はおわり、ほどなく伊藤左千夫は世を去る。
また斎藤茂吉は伊藤左千夫を「選歌の師」と呼び、長塚節を「本来的な意味で師と言わなければならない」とまで言う。根岸派の歌人をまとめた伊藤左千夫の大きさに敬意を払っていたようだし、左千夫の歌がらの大きさにも畏敬の念を抱いていたようである。(九十九里を詠った作品群などは、雄大かつ余人の及ばないものだ。)伊藤左千夫も斎藤茂吉の異色さを認め、ベテラン同人から茂吉の作品の傾向に不満が上がった時に、茂吉をかばったそうである。
二人の子弟関係はかなり複雑である。
しかし、その斎藤茂吉が佐藤佐太郎に「伊藤左千夫を読め」と言った。ここに意見を異にしながら信頼関係で結ばれた子弟関係を見るのである。
茂吉は左千夫の選を受け、佐太郎の選を受けた。そして共通しているのは、「先生の手が入るとみるみる作品がよくなった」と言っていることである。これも短歌ならではの特徴だろう。
もっとも岡井隆だけは、「土屋文明や近藤芳美の添削を受けたが、歌集に収録するときは全部もとに戻した」という。いかにも岡井隆らしい態度であると思う。(もっとも若い時に書いた著作にあった言葉だから、今の考えは少し違うかも知れないが。)