・くれなゐの二尺伸びたる薔薇の芽の針やはらかに春雨の降る・
薔薇の花。古くは「うばら」「うまら」の古称で万葉集に二首あるとのこと。「しょうび」「そうび」と読ませる場合もあったとかで、子規の時代の短歌の題材としては大変珍しかったようだ。
園芸種の薔薇が珍しかったためと、「そうび」「しょうび」では「和歌」にしにくいためだろう。語感があまりよくない。
花と言えば梅か桜。「和歌」の世界ではこれがスタンダードだった当時にあっては、大変フレッシュだったのだろう。
やわらかいバラの芽に静かに春雨が降り沈んでいるのが印象鮮明だ。「の」が三回出てきてリズムを刻んでいるのも心地よく響く。
それと僕が注目しているのは、正岡子規の作品のなかでも傑出していること。子規の歌集を読むと、やはり子規も「時代の子」。古風な作品が多い。「短歌革新の半ばで倒れた」とよく言われるが、その通りだと思う。
子規の俳句は斬新なものが多く、実作上でも「写生」を確立しているが、短歌の方は「革新の途上」だったようだ。しかし、自身の病気とのたたかいもあったので、致し方なかったと思う。
子規は「磊落がよし」と言っていたそうだから、もう10年か20年作歌を続けていたなら、自由な発想でさまざまな作品を発表し短歌史のうえでの「写生派」の性格もかなり違ったものになったことだろう。
子規の存命中の「根岸短歌会」は歌壇の中の小さな潮流に過ぎなかった。その上、子規没後の「根岸短歌会」は紆余曲折を経たし、「アララギ」発行までも幾多の困難もあった。
大正なかばから昭和初年にかけて「アララギ」があのように大きくなるとは子規本人も思っていなかっただろう。歴史上の出来事のほとんどは、そのようなものかも知れない。