・透明のゆゑの不安か上層の広き窓よりつづく快晴
「彩紅帖」所収。
不安には形がない、目に見えないのだ。心には形がない、それ故、具体的な目に見えるものに仮託するこれが本来の象徴。塚本邦雄のサンボリスムとはここに差異がある。
そこで作者は、目に見えぬ不安を、透明な窓と快晴に仮託している。佐藤佐太郎の「象徴的技法を駆使した写実歌」を引き継いでいる、作者と佐藤佐太郎の違いは「鋭さ」にある。斎藤茂吉が「黒糖の粘着性」ならば、佐藤佐太郎は「グラニュー糖の透明感」、尾崎左永子は「鋭いガラスのような感覚」。僕はそう考えている。まさしく「写生論の多様性」だ。
さて掲出の作品、上の句の発想はありうる。僕もそういう表現をしたことがある。それを「透明な具体的な事物」に仮託したこともある。だがこの作品は「仮託するもの」を「ガラス」「青空」と畳みかける。そして焦点がボケないように「ガラスそれにつづく青空」と関係性を密にしている。これは「隠し技」だ。
そして「青空」。これで不安を払拭できようという望みにつながる。慎重に言葉を選んだ作品だ。
「上層」とあるからは「ビル」であろう。だがどんなビルかは捨象されている。「快晴」も空の色が捨象されている。「捨象」つまり「表現の限定」が効果をあげている作品でもある。