霧が丘短歌会 2017年4月 於)団地集会所
この短歌会が開講してから15年になろうか。創立以来のメンバーもいるし、入会して数年の会員もいる。だが熱心さにかけては随一だと思う。「星座」や「運河」と比べても遜色がない。提出作品は一人2首。それを一人が批評したあと僕が講評する。「星座」や「星座α」で培った批評の基準がここで役立つ。
「星座」「星座α」の歌会がそうであるようにかなり厳しい基準かも知れない。だが会員がそれに食いついてくる。講評のあと質問攻めにあうこともある。だがその質問が核心を突く質問であることが多い。2首の作品のうち1首はかなりの水準になってきた。
表現したい抒情の質が明確なのだ。「星座」「星座α」に入会した会員も少なくない。1首のなかに目を引く表現が必ずある。これは宝だ。「星座」の尾崎主筆は「最初にちいさな感動がいる」と『現代短歌入門』で述べているが、これが一人一人の会員にしっかり認識されている。わざわざ遠方からくる会員もいる。
しかし当然課題はある。「比喩が平凡」「助詞助動詞の間違い」「わざとらしい擬人法」「敬語表現」「事実の報告」「的確でない言葉」「事実はそうだが詩語になっていない」「上の句と下の句の断絶」などである。
ぼくがアララギ系だから正岡子規などについての質問も多い。この日は正岡子規の写生の話がでた。正岡子規の「写生」は見たものをみたまま表現すること、伊藤左千夫は「短歌は叫び」と称してスケールの大きい作品を残した。斉藤茂吉と島木赤彦は「もっとシミジミとした歌を作りたいと左千夫にないものを作り上げた。佐藤佐太郎はアララギの中で異端視される作風だった。尾崎左永子は佐藤佐太郎にない理知的でシャープな作品を残している。それをアララギの論争や歌集の序文などを紹介しながら説明した。
それぞれの独自性があるのだ。では独自性はどうすれば出てくるか。独自性は出そうと思って出せるものではない。実作を継続するなかで現れてくるものだと説明した。
講座は2時間。短時間だ。だが内容は濃い。それだけに会員の作品の進展が楽しみである。
資料として近藤芳美の初期の作品を紹介した。戦争が終わったのを受けて、社会や人間をリアルに表現するリアリズム的傾向を持ったということ。北原白秋は浪漫派だが、その弟子の宮柊二、木俣修もリアリズム、ヒューマニズムの傾向をもつようになる。またそれぞれに独自性があるのだが、今後窪田章一郎、宮柊二、木俣修、佐藤佐太郎の作品を紹介しながら詳しい話をしていきたいと思う。
引き続き会員を募集する。基本的に講座は第四月曜の10:00から12:00まで。連絡先045-922-5542(岩田自宅)