・あをあをと渚にしげる虎杖(いたどり)のくさむら寂し津軽の海は・
「群丘」所収。1961年(昭和36年)作。・・・岩波文庫「佐藤佐太郎歌集」117ページ。
佐太郎の自註から。
「昭和36年7月、青森歩道支部の歌会に出席して、翌日人々と竜飛に吟行した。陸奥湾を抱いて下北半島と津軽半島とが突出しているが、その津軽半島の先端に竜飛崎がある。・・・竜飛に着いたときは夕方になって、北海道のてまえの海に夕日が見えた。いつかの能登湾の夕日とともにこの夕日は美しかった。」
「先端近く三厩(みんまや)というところがあるが、そのあたりになるといよいよ荒涼となって、波うちぎわに虎杖のしげるところがあったりした。虎杖は北海道を思わせる」(「作歌の足跡-海雲・自註-」)
イタドリはタデ科(属)の植物で色鮮やかな花を咲かせるでもないが、繁るときは野を覆わんとするほどの勢いがある。高さもさほどでもないので、夕暮れの海岸に見たときは、まさに荒涼とした情景であったことだろう。「北海道を思わせる」とあるから、北方種のオオイタドリだったのだろうか。
津軽の海と固有名詞が使われているが、これが効いている。現在ではやや常套句的だが、当時にあっては「北のはて」という強い印象があったことだろう。「津軽じょんがら節」「竹山ひとり旅」など映画のモチーフにもなったし、「津軽海峡冬景色」という演歌もあった。それほどの独特の印象があったのだ。「あった」と過去形で言ったのは、現代短歌で用いると違和感を拭えない読者も多いだろうということ。
それほど流行しきったともいえるが、短歌の言葉とはそういうものだ。ある言葉を使っていいかどうかということが言われることがあるが、要はその一首の中でその言葉が活きているかどうかなのだ。
また「津軽の海」という語感、印象が少々古くなってきたというのは、佐藤佐太郎の作品も古典の域に分類されるほどになったということか。
しかし初句の副詞的語句の用法、下の句「寂し」の主観語、「くさむら」「津軽の海」という名詞(佐太郎のいう実語)の配置など、斎藤茂吉から受け継いだ佐太郎らしさがあらわれている作品と言えるだろう。見たものをそのまま詠んでいるようで、実はその背後に作者の主観を具象を象徴として使いながら詠まれた作品である。
斎藤茂吉の「みちのくの農の子」(西郷信綱)の側面を引き継いだのが、結城哀草果なら、「理想派=感覚派・空想派」(伊藤左千夫)の側面を引き継いだのが佐藤佐太郎であることを示す作品と言えよう。
岡井隆・塚本邦雄・寺山修司らの「前衛短歌」が注目を浴び始めた頃の作品。(岡井隆著「土地よ、痛みを負え」上梓が1961年・昭和36年である。)こういう佐太郎の作風を島田修二は「正統派」と呼んだのだろう。
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