じいの徒然日記

内野聖陽さんにfall in loveしたじいのおバカな毎日を綴った日記

skyward

2011-11-19 23:58:38 | 内野聖陽さん
今夜はNHKの土曜ドラマ「蝶々さん」を見てました 今日は前編でオペラのマダム・バタフライで描かれている部分より前の話でしたが……ついつい思い出してしまうのはミス・サイゴン もちろん無関係ではなくてマダム・バタフライのあらすじをベースに作られた演目なので勝手に脳内再生されるのも無理ないわけですが 無条件に好きな演目ではないのですが、観る度に心がワサワサ この複雑な感情は日本人ゆえのものなのかな~と思わないでもないのですが、、、なぜか一等思い出すのは博多座で観た大楽なんですよね~~アレは凄かった!

さてさて、遅ればせながらお取り寄せしたJAL機内誌 来月なら飛行機に乗ろうと思えば乗れなくもなかったのですが(もし来月号なら無理しても移動手段を飛行機にしてた)残念ながら今月号だったのでネットでお買い上げ~☆誕生日の翌日に届いたので1日遅れの内野なバースデー になりました

内容的には魔女をやっていれば今更驚くことではなく当たり前 というか、そういう風に思えるようにさせてくださるお人を好きでいられるのって幸せだな~ と思うのですが……「どんな役も見事にこなす、どちらかというと天才肌の役者」ではないこともそうなんですよね~~「ああでもないこうでもないと、泥の中でもがきながらやっている感じです」とおっしゃっていて役の職業等々を徹底的に取材されるんだけど、それでいて「たとえ初めて演じる職業であっても、取材しても意味がないと思うものは、しません」と内野さん。そこら辺のところにフィクションの中のリアリティを感じてしまうんですよね~~だからこそ、例えば湯田@パンドラに関しても「チップというSF的なアイテムを使いながら、どれだけ人間の振り幅の大きさみたいなものを出せるか、そこにすごく可能性を感じました」ということだし、「(湯田の純粋すぎる台詞に)“無理です”が、異様に自分を興奮させて、燃えさせる。この台詞をなんとかして言えるようになりたい、と思うんです…(中略)…役者というのは、その台詞をどうしたら言えるようになるかということに七転八倒する生き物」とのこと。“演じる”よりも“役の人生を生きる”という言葉がピッタリな役者さん……その場に自他共に違和感なく存在したいからこその姿勢だと思いました

そしてそして、、、じいが一番興奮した部分

役者の仕事は演奏家に似ている、と内野さんは言う。作曲家のメロディーに沿ってただ音を出しているだけではいけない。音を超える何かをそこに込めてこそ、人の心に響かせることができる。芝居も、脚本家と役者が常にある種の“戦い”の気持ちをもって、しのぎを削り合い、よりいいものを目指していくところに喜びがあるのだと。

音楽に置き換えてくださるとじいは実感できるので分かりやすい……だけじゃないのよね~~何だか無性に嬉しかったです。戦いの気持ち!そうなんです、、、音楽も戦い、う~~ん「闘い」でもあるのかな 指揮者と演奏者、たたかいでもあり馴れ合いでもありという中で共に創っていくという部分がある。更に言えばその先には客席の人たちと同じ作業があって、様々な“対立”が予測できない可能性を広げていく、それがあるからこその楽しみというのがあると思うのですが……自分自身が納得して音を出すために必要なこと、技術であり鍛錬であり感性であり思考であり、、、そこに至るまでの過程を思い返してみると、だからこそ内野さんの役への向き合い方や、そこから繰り出させる魂を鷲掴みにする言葉や空気感があって、そこが自分の琴線に触れてノックアウトされるんだろうな~と改めて
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