
夏の終わり~

観たのは全部で5回、、、本当はあと1回倉石さんに会いに行きたかったのですがそれは機会があればまた




サスペンス的な部分のみで物語を捉えるなら“普通”だった……かな




でもね、、、この作品の魅力は謎解きを楽しむ推理物という部分ではないと思うのよね~~見るべきはそこに描かれた人間ドラマ、それも決して気持ちの良いものではなく、そうかといって後味の悪いものでもなく、何とも言えない切なくて哀しくて、でも優しくて、だけど重い、そんな人間の真実をしっかり描き出していると思いました





人の思いや生き様の真実は当人にしか分からないことで、たとえ一番身近な家族であっても100%それを理解することはできない。浦部さん然り、直子さん然り。それはとてつもなく深く悲しいことであり、切なくも温かくもあると思うんですよね。直子さんが倉石さんに話したことは物凄~~く心に響きました……というかここまで残された者の心を表現するとは!!!決して良い子ではなかったこと、家庭崩壊の寸前だったこと、今もまだ残された家族は家族として存在していること、世の中は事件のことは忘れて進んでいるのに前に進めないこと、それでも生きていかなければならない現実、、、「最後の声を聞かせてください。私たちがこれからも生きていけるように」というのは“残された者”のきれいごとではない心の叫びだと思うんですよね。世間がよく口にする「乗り越える」「~の節目」なんてものは通用しないし、これほど無責任で冷たい言葉はないと思うんですよね~~って個人的な思いも含んでいるけれど。だからこそ

以下、箇条書き。
・仲根管理官もまた刑事魂を持っていると思う。墓地で泣き崩れた直子を見る悔しそうな眼差し、立原が浦部に言った「その男にもまた家族がいる」というセリフが突き刺さる。
・終盤に留美さんたちが捜査一課にくってかかる場面、安永の検視場面で立原さんたちが倉石さんを見つめる視線は、すべてを知っていて検視官としての生き様を貫こうとする倉石さんを認めようとしているように感じる。途中に留美さんが倉石さんに休んでください云々を言うシーン、、、病気のことを知っていたのではないか?永嶋君が留美さんと言い争うところは倉石さんを尊敬しているゆえの焦りや葛藤、愛情の表れなのではないか。
・安永教授と倉石さんの共通点と道を違えたもの、、、人間は神になろうとしてはいけないという戒め、泥臭く生きることができるかどうか。倉石さんが直子に言った「俺は今まで多くの死者の声を聞いてきたが、それで救おうと思ったことは一度もない」というセリフに映し出されているのではないかと思う。
・市毛さん演じる山下医師、病院のあの異様な雰囲気、、、波多野は遺族への謝罪さえも快楽の対象にしているように見えた。それを知っていた上であのような振る舞いだったのか、本当に気づいていなかったのかは分からないが、山下医師たちの無意識の罪があるのではないかと感じた。
・倉石さんは人が背負わなくてもいいものまで背負ってしまうところがある。冒頭の雨のシーンはそれを表現しているように感じた
・償う/贖う……キリスト教的要素がある?劇中に出てくるステンドグラスの絵や羊を持つキリスト像でふと頭に過るものがある。「神は一人子を与えるほどに世人を愛した」(ヨハネ福音書3章)という言葉、、、決してきれいごとではないということ。