6月1日マチネの観劇記です。
初日から10日余り、、、演出にテコ入れがあった
と言っても基本的には同じ流れなので大きな変更というわけではなかったのですが……全体的にテンポアップしていたように感じました。その分、人間関係もこなれていたというか、特にチーム・コステロ
コステロ、マイケル、ルエリ、トム・ビリーの関係は「打てば響く」みたいな感じかな~~滑らかで気持ちよく(萌えとか微笑ましいとかそういう意味じゃなく
)味わうことができました。緊張と軽快が同居するといった……。2回目にして何げにツボっているのが2幕でフランクに頭からカバンを被されたマイケルを安心させるために部屋に戻ってきたコステロが手を握るシーン、、、手フェチ的には(笑)堪らないのよね
今回のお席は6列目の上手側。前が通路になっているのでゆったり観ることができました
ちょうど視線や空気が落ちる位置。演説シーンでは自分がディナー客になっているリアル感が初日よりも更に
それに前回よりも引いて観ている分、コステロの年の重ね方が手に取るように分かってさすが内野さんだな~~と大感心
ホント年表を見ているように変化していくのが凄い!!!でもね~~その分、コステロが変化していく様子が切なくて切なくて
2幕後半の演説の方では視線に思いっきり捕獲されてしまいました
朗読した詩の最後の部分、、、「平和はゆっくりと滴り落ちるものだから」だったかな~~それを読み終わった直後に飛ばされた視線に胸が抉られてしまいました。終演後も重くのしかかってしまってドンヨリした気持ちが抜けませんでした。生まれや国籍は関係ない、ただの人間では満足できないのでしょうか?と自問自答(だと思う
)したコステロの生き様が哀しかったです。初日に観た時は久しぶりに(爆!)綺麗な格好でかっちょ良すぎる内野コステロに溺れまくっていたけど、今回はその裏返しの弱い部分が見えて堪らなかったですね~~やっぱり内野さんの演じられるキャラクターは罪です、ホント
そうなんですよね~~今回は登場人物それぞれが一人の人間であることが本当に本当にヒシヒシと沁み込みました
敢えて「テロリスト」と書きますが、彼らもまた自分たちと何ら変わりない人間なんですよね~~むしろ理想や欲を表に出す分怖くないのかもしれないけれど。こんな世の中はおかしいとささやかに抵抗して仲間同士ぶつかり合うこと、表立っては言えない下世話な話やバカ話で騒ぎ合うこと、人を好きになること、大切な人たちを思いやること、理想に向かって頑張ること、、、マイケルの部屋に集まるチーム・コステロの面々を見ていると思わず涙が出てきそうなほど極々“フツー”な一人の人間なんですよね。それがひとたび国家や民族、組織に関わってくると……いや、それだけじゃないな~~何も持たずに生まれた人間が生きていく中で身に付けていくもの、、、学歴だったり財産だったり職歴だったり地位だったり、そういうものがなくて本当の意味での生身の人間だけだったら無用な対立はなくなって他者を受け入れることができるのかな~~どうして人は分かり合えないんだろう、理解できなくても共存できないんだろう、世界情勢のマクロな部分から身の回りの人間関係のミクロな部分までいろいろ浮かんできて何とも言えない気持ちになりました。壁に釘づけられたギター、、、まぁ楽器弾きにとっては楽器に対する冒涜、恐ろしい行為なのですが←ここの部分はフランクと仲良くなれそう
ふと、この作品の登場人物を象徴しているのかな~~と。ギター=アイルランド音楽=逃れられない組織の存在→釘で打ちつけられて本来の姿を失い結局がんじがらめになる運命を表しているのかなぁと
終盤でテロの主体がイスラムに移っていく件は聞いていて何か腹が立ったんですよね~~そんな風に思う資格はないんだけど何か……ね
自分たちのやってきた行為を棚に上げて、あるいは正当化してイスラムのテロリストたちをよくまぁ批判できるものだと……トム・ビリーは「あいつらと俺たちとは違う」と差別的発言連発で自己主張するけど、第三者として聞いている分にはどっちもどっち、生えている土壌は違っても根っこは同じ。でも当事者の中にいると分からないんだろうな~~と……それに視点を変えれば双方の見方に正当性があって切り捨てるほど無駄な価値観はないはず。あぁこれが何もかも難しくしていることなんだと気づきましたね~~でもそこにまた一人一人の人間たちの営みが確かに存在しているわけで……結論の出ない難しい問題/課題ですね