~あらすじ~
中国、北京に駐在経験のあるフランス人外交官ルネ・ガリマールは、国家機密情報漏洩により投獄されている。なぜ彼は、そんな大罪を犯すに至ったのか。オペラ『蝶々夫人』と対比させながら、彼が自らの物語として、その「正しさ」を説いていくうちに、ことの全貌が見えてくる。
時は1960年代、文化大革命前夜の中国・北京。駐在フランス外交官ルネ・ガリマールは、社交の場でオペラ『蝶々夫人』を披露した京劇のスター女優ソン・リリンに出会う。「東洋人らしい」慎み深さと奥ゆかしい色香を湛えたソンに、瞬く間に魅了され恋に堕ちていくルネ。やがて人目を忍びつつもやがて男女の仲になり20年に渡り関係が続くが……
その実、ソンは毛沢東のスパイであり、男だったーーー。
(公式サイトより)
2幕3時間半(休憩20分含む)、決して珍しくはない長さの公演時間でしたが小劇場の椅子のせいか終盤はお尻がちょっと痛かったかも~ でもスーッと自然にルネの脳内劇場に入っていけるのでそんなこんなは吹っ飛んで目の前のやり取りに集中できました。幕間の時点で心臓バクバク頭ヒリヒリ!あーー来ちゃったかも と最後まで……いろいろな思考だったり気持ちだったり今まで抱いてきた思いだったりが渦巻いて登場人物との対話&自分自身との対話が繰り広げられ終演後は心地よい疲労感に包まれました
舞台上は転換なし。舞台の中央を占めるのは下手側からの坂道、それを上がっていくと広い踊り場、そして上手側に降りる数段の階段があるという大きなセット。舞台前方には木製の箱やベッド、古いラジカセ が散乱していたりソファーが置かれていたり……良い意味で色のついていない無機質な感じがあるので、ルネの夢の中の場面、幻想の場面、投獄されるまでの経緯、、、観る者が如何様にも想像を膨らませることのできる空間になっていました。踊り場が舞台上で一番高い位置にあるのですが、そこで蝶々夫人のオペラや京劇が上演されソン・リリンが演じる姿をルネが見上げている……二人の立ち位置や照明が冷酷で滑稽で美しくて……あぁ~~やっぱりいろいろ考えてしまったなぁ
初演初日(初演ではないんだけど)の緊張感と衝撃を味わいたかったので←忙しくてそこまで手が回らなかったの言い訳 インタビューはそこそこ、映画もみていない、の予習なしの観劇。ガツンと来るような衝撃かと思っていたのですが、あぁそう来たかと……劇中でルネとソンが「予言的!」と何かを匂わせるようなセリフを客席に向いて話すところがあるのですが、なるほろそういうことだったのか~~とジワるジワる!!!上演中ず~~っとヒリヒリしたものを注入し続けられるので寧ろガツンより性質が悪いというか奥底まで没入させられて厄介かもしれません ベースは確かに蝶々夫人/マダム・バタフライ。ただし、この作品のタイトル「M.バタフライ」のM.というのに意味があって単なるマダムのMではなくてムシュウのMで……シンプルに落ちを言うなら逆マダム・バタフライなんだろうけど、そうとは言い切れない様々な関係性や本音?真相??があると感じたので……そういうところも余白で視点によって如何様にも味わえる堪らない作品だと思いました。
ルネが語る自身の人生、もうぅ~~聞けば聞くほどバカだのアホだのクズだの浴びせたくなる気持ちになります チェリーな思春期までなら可愛げの一つもあるというものですが、その“不器用さ”を引きずったまま大人になってまでソレ?!みたいな……キモすぎだしっ!!!2幕でソン・リリンをバタフライと呼ぶところは聞く度にざらついた言葉のように感じて嫌悪感を感じることも……。でもただのキモイ(失礼) 男ではないところがルネの特性なのかもしれない?!大使館のパーティーで上演されたオペラ「蝶々夫人」で主演したソンの姿を観た時に、今までこのオペラは世間で言うほど良いとは思っていなかったけど今日初めて素晴らしいと思ったみたいなことを言うんですよね。この時点で既にソンに引き込まれているということになるのかもしれませんが、西洋における東洋のイメージや理想の女性像に疑念を抱ける一種の「自由さ」みたいなものを感じました。それがある意味仇になったと思うんですけどね
ピンカートンと蝶々さんの物語の如く、どんなに酷い目にあわされても慎み深く慕い続ける女性が理想?口では嫌と言っていても本当は支配されたがってる??東洋=女性と西洋=男性の関係も同様に言える???言い方がなんですが言っちゃいますけど、「こいつら何勝手な妄想言っちゃってんの」と思いました……が、、、呆れるを通り越して笑けてくる( ゚∀゚)アハハ八ノヽノ \ 歴史的・外交的に見て東洋の方がしたたかだったりするし、男性には考えが及ばないような凄まじいものを女性は奥底に持っていたりするものだから……と、東洋の国に住んでいる女性のじいは思うわけですが それに逆のことも成り立つわけですから同等のお互い様ということで
ルネとソン・リリンの関係は騙す⇔騙される関係のみではなかった……ルネはソンが途中で男性だと気づいていたようなことを告白するのですが、そこら辺も確定要素はない。ルネの強がりや言い訳なのか、あるいは現実逃避した故の幻想を見ていたのか???ソンも最初はスパイ目的で近づいたんだろうけど元々持っていた“特性”で本気になっていったのか、スパイであることを利用してもっと違う目的を果たそうとしていたのか???個人的な思いと社会的な思いが交錯して観ている方は頭も心もバラバラになるかと思いましたが……そういうの大好物です ルネとソンのヒリヒリするやり取りを聞いている中でふとオペラの方のマダム・バタフライが過ってくるんですよね~~西洋が勝手に描いた東洋の物語、それを皮肉るようなことが目の前で繰り広げられている。でも決して東洋を善とは描いていない。ソン・リリンや共産党員のチン同志の物語をきちんと描き東洋が孕む黒いものもしっかりと指摘している。ここら辺りはその国にルーツを持つ脚本家だからこそ描けたものなのかもしれないなぁと。。。
キャスト陣みんなそれぞれ合っていて良かったと思います。ソン・リリンとは対照的な女性として描かれるヘルガと女ルネ。じい的にツボったのが藤谷理子さん演じる女ルネ。喋り方やテンポが可愛くて好きなキャラクターです みのすけさんのマルクも何気に良い奴 あくまでルネが描いた夢の中に出てくるかつての友人なので、どこまでが本当のことか、そのまま理解していいのか迷うところではあったのですが。岡本圭人くん、、、お初でしたが素晴らしかったです 立ち姿や所作が美しくて男性が“演じる”女性の姿には引き込まれました。そして舞台に対する真摯な姿勢も随所に伝わってきて観ていてとても気持ち良かったです。
そして、、、内野さん演じるルネ・ガリマール ホント最低のクズ男なんですけどね~~愛を以てしても庇いきれない、いや庇う必要はないんだけど(苦笑)彼が語る自分勝手な幻想だったり理想だったり……ホント偏愛に満ちた自分勝手なものなのですが、でもコレって案外みんな心当たりのあるものだったりするよね?!みたいな 彼の場合は生き様を通して見せてしまっているところがちょっと初心で可愛いというか逃げ道になっているところでもあり……。かっこいいところに惚れ惚れするより情けない姿が満載。足に縋り付いたり床に這いつくばったり……こういう役が似合う(爆!)人が好きなのよね←どんな趣向だっ(笑)初日でセリフの言い直しが所々ありましたが、語りの部分と演じる部分の移行はとても自然で意識することなくガリマールの脳内劇場の中で遊ばされている感じ。それに本当にフランス人外交官がいる空気感なんですよね~~まさに毛穴から滲み出ている存在感でもあり。。。表情も豊かでふとした一瞬の顔つきだったり目線だったりが残像の如く残っていて、今のはどういう感情なんだろう?あれはどういう意味合いがあったのか??与えられる情報量が多くて……頑張らなくては!そうそう、今回も舞台上で化粧してました~~思わず化粧二題!と突っ込んでしまいました
観劇しながら頭を離れなかったのが、蝶々夫人を基に作ったあのミュージカル……ヘリコプターが出てくるアレね。実は今までずっとね、、、どうしても心からは好きだとは思えなかったんです。諸々を切り離して音楽や作品として楽しむことはできてもやっぱりどこかでモヤっとしたものがあって 西洋側から描いた自己満足の物語ではないのか、これを純粋に楽しんでいいものなのか、無垢に拍手をしている日本人は滑稽ではないのか、東洋の側にいるはずの日本人の微妙な立ち位置や他のアジアの国々に対する意識は西洋のそれを批判する資格があるのだろうか、、、そんなこんなをずっと抱えていたんですよね。そしてもう1つ、、、ウクライナの戦争に対して思ったこと、自分の中にある矛盾。この作品によって答えを得たとは思っていないのですが、少なくともルネとソン・リリンが抱えてきた物事や気持ちをぶつけ合うシーンは自分にとって救いになったというか……何だかスーッとした風が通り抜けたようでした 機会があれば西洋の国の人の感想を聞いてみたいかなぁ~~単純に興味があります。
今回は上手側のお席でこっちの方がルネとソンのやり取りは堪能しやすいかな~と思いましたが、それぞれの場所から見えてくるものは違ってくるのかもしれないので……両方向からバランス良く観られそうなのでその時々の見え方を楽しみたいと思っています