powerpointとwordでせっせと論文を書く日々です。疲れてきた・・・。
気分転換にアートを。
ニューヨーク在住の日本人アーティスト Kumi Yamashita (山下工美)さんの作品がすごい。
特に、この「CONSTELLATION」というタイトルの作品群がすごい。
->「CONSTELLATION」
ボードに無数の針をうちつけ、そこを一本の糸で巻きながら描いている。超絶技巧。
この画像とか、クリックして拡大すればそのすごさが分かる。
あと、「LIGHT & SHADOW」と題された作品群も素晴らしい。
あらゆるものは、影を介してすべてつながることができる。
動画もあった。この方が100倍わかりやすいかも。
■(Eng. Sub) Kumi Yamashita on Takeshi Kitano's "Unbelievable"
■Artist Kumi Yamashita- Dialogue
■Kumi Yamashita on TV show (Eng Sub)
「CONSTELLATION」も「SHADOW」も、心の世界では重要な概念。
「CONSTELLATION」は星の配置。ある人を見るとき、その人の心の中を見る。心の中ではどういう人間関係がどういう星座の配置のように位置されているか、その心の中の星、星座、宇宙という背景を透かして見る。ある現象が動き出すとき、その人だけに注目しては何もわからない。全体像を見る。その人の心を取り巻く星座の配置(CONSTELLATION)全体を見る。もちろん、自分もその星座の配置の中に組み込まれているので、自分だけ蚊帳の外に置くわけにはいかない。自分の心の中と相手の心の中は、星の配置(CONSTELLATION)としてつながっている。全体像を織りなしているという意味で、この世界にはチリ一つも無駄なものは何一つない。
「SHADOW」は心の中で抑圧したもの。「受け入れがたい」ものを受け入れずに心の中に抑え込むと、それは「影(SHADOW)」となり、密やかにそこに存在し続ける。SHADOWとは、分離したままではなくて、いづれ統合する時期が来る。なぜなら、それは自分自身の一面なのだから。ただ、人間は多面的であることを恐れるため、大抵の人はSHADOWとの対面を先送りしている。SHADOWとの対面、対話、統合の過程は、「受け入れがたいもの」「過去に受け入れることを先送りしたもの」を受け入れるということ。そこにはかなりの困難と摩擦が生じる。ただ、必ずできる。自分を信頼していい。なぜならSHADOWは自分だし、対面するのも自分だし、すべては「自分」というフィールドで展開されるものだから。たとえば、ある平面で「受け入れられない」と思っていたものをSHADOWとして下の平面に抑圧して押し込むのではなく、その平面から自分自身が一つ上の次元(dimension)に、一つ上の階層(layer)へと移動すると、「受け入れがたかったもの(それはかつて「SHADOW:影」と呼ばれていたもの)が同じ平面上に同居していても何の困難も生じなくなる。SHADOWとして下に押し込むのではなく、視点を上に押し上げて光を当てるのだ。
「CONSTELLATION」と「SHADOW」。
Kumi Yamashita (山下工美)さんの作品とは関係がないような気がする。
でも、通じるものも感じる。
アートにはそういう次元を突き抜けていく力があるから。宇宙的な全体性と、認識の次元の問題。
Kumi Yamashita (山下工美)さんのHP内のInterviewの中で、神話学者Joseph Campbellさんの言葉を引用していた。
(→cf.キャンベル『神話の力』(2012-04-21))
Follow your bliss and don't be afraid, and doors will open where you didn't know they were going to be.
気分転換にアートを。
ニューヨーク在住の日本人アーティスト Kumi Yamashita (山下工美)さんの作品がすごい。
特に、この「CONSTELLATION」というタイトルの作品群がすごい。
->「CONSTELLATION」
ボードに無数の針をうちつけ、そこを一本の糸で巻きながら描いている。超絶技巧。
この画像とか、クリックして拡大すればそのすごさが分かる。
あと、「LIGHT & SHADOW」と題された作品群も素晴らしい。
あらゆるものは、影を介してすべてつながることができる。
動画もあった。この方が100倍わかりやすいかも。
■(Eng. Sub) Kumi Yamashita on Takeshi Kitano's "Unbelievable"
■Artist Kumi Yamashita- Dialogue
■Kumi Yamashita on TV show (Eng Sub)
「CONSTELLATION」も「SHADOW」も、心の世界では重要な概念。
「CONSTELLATION」は星の配置。ある人を見るとき、その人の心の中を見る。心の中ではどういう人間関係がどういう星座の配置のように位置されているか、その心の中の星、星座、宇宙という背景を透かして見る。ある現象が動き出すとき、その人だけに注目しては何もわからない。全体像を見る。その人の心を取り巻く星座の配置(CONSTELLATION)全体を見る。もちろん、自分もその星座の配置の中に組み込まれているので、自分だけ蚊帳の外に置くわけにはいかない。自分の心の中と相手の心の中は、星の配置(CONSTELLATION)としてつながっている。全体像を織りなしているという意味で、この世界にはチリ一つも無駄なものは何一つない。
「SHADOW」は心の中で抑圧したもの。「受け入れがたい」ものを受け入れずに心の中に抑え込むと、それは「影(SHADOW)」となり、密やかにそこに存在し続ける。SHADOWとは、分離したままではなくて、いづれ統合する時期が来る。なぜなら、それは自分自身の一面なのだから。ただ、人間は多面的であることを恐れるため、大抵の人はSHADOWとの対面を先送りしている。SHADOWとの対面、対話、統合の過程は、「受け入れがたいもの」「過去に受け入れることを先送りしたもの」を受け入れるということ。そこにはかなりの困難と摩擦が生じる。ただ、必ずできる。自分を信頼していい。なぜならSHADOWは自分だし、対面するのも自分だし、すべては「自分」というフィールドで展開されるものだから。たとえば、ある平面で「受け入れられない」と思っていたものをSHADOWとして下の平面に抑圧して押し込むのではなく、その平面から自分自身が一つ上の次元(dimension)に、一つ上の階層(layer)へと移動すると、「受け入れがたかったもの(それはかつて「SHADOW:影」と呼ばれていたもの)が同じ平面上に同居していても何の困難も生じなくなる。SHADOWとして下に押し込むのではなく、視点を上に押し上げて光を当てるのだ。
「CONSTELLATION」と「SHADOW」。
Kumi Yamashita (山下工美)さんの作品とは関係がないような気がする。
でも、通じるものも感じる。
アートにはそういう次元を突き抜けていく力があるから。宇宙的な全体性と、認識の次元の問題。
Kumi Yamashita (山下工美)さんのHP内のInterviewの中で、神話学者Joseph Campbellさんの言葉を引用していた。
(→cf.キャンベル『神話の力』(2012-04-21))
Follow your bliss and don't be afraid, and doors will open where you didn't know they were going to be.
河合隼雄さんの、「とりかへばや、男と女」で今ちょうどこんな節が出てきた。影の話はオモシロイし、深いね。自分を信頼していれば、大丈夫、という言葉には助けられるなあ。確かに影は自分自身。人に塗りつけられた影というのもあるような気がするけど、それも含めて、いろんなことを含めて、なのだろうね。
わたしは、最近、パンドラの箱が開いて、歩く度にデイダラボッチみたいに、心の膿や雫がとろんぼたんと、滴る感触がある。でも、今回は、なぜか怖くないし、かなしくないのだよね。不思議。repairではなく、rebornだということが、実感を伴ってきたよ。修復ではなくて、再生。内側から新しい心の細胞や皮膚が、モリモリと新鮮な息吹をはじめる予感がしている。いつもありがとう^^
パンドラの箱って、こんなお話だったんだねー。もしものために希望が入っていたんだなー。キラーン。
“ むかしむかし、ギリシアの神ゼウスは、巨人のプロメテウスを呼んで言いつけました。 「ねんどで、我々と同じ姿をした生き物を作れ。わしが息を吹き込んで、命を与えてやろう」 プロメテウスが言いつけ通りの生き物を作ると、ゼウスはそれに命を吹き込んで人間と名付けました。 次にゼウスは、プロメテウスにこんな命令をしました。 「人間に生きていく為の、知恵を授けてやれ。ただし、火を使う事を教えるな。火は、我々神々だけの力。人間に火を使う事を教えると、我々の手におえなくなるかもしれんからな」 こうしてプロメテウスは、人間に家や道具を作る事、穀物(こくもつ)や家畜(かちく)を育てる事、言葉や文字を使う事などを教えました。 しかし火がなくては、物を焼く事も煮る事も出来ません。 いつも寒さに震え、真っ暗な夜は動物たちに襲われる恐怖におびえていました。 そこでプロメテウスはゼウスの言いつけにそむいて、人間に火を与える事を決心しました。 プロメテウスは弟のエピメテウスを呼ぶと、こう言いました。 「おれは人間たちを、とても愛している。 だから人間たちに、火を与えるつもりだ。 だがそれは、ゼウスの怒りにふれる事。 おれはゼウスに、ほろぼされるだろう。 だからお前が、おれの代わりに人間を見守ってやってくれ」 プロメテウスはそう言うと、太陽から盗み出した火を人間に与えたのです。 そして怒ったゼウスに山につながれて、ワシに食い散らされてしまいました。
間もなくゼウスは、職人の神へパイストスに命じて、この世で一番美しいパンドラを作らせると、エピメテウスのところへ連れて行かせました。 人間に火をもたらした罰に送り込まれたともいえるパンドラには、神々からさまざまな贈り物をさずけられていました。 美の女神 アフロディーテからは美しさを、アポロンからは音楽と癒しの力を、そして何よりゼウスは、パンドラに好奇心を与えていたのでした。 エピメテウスはパンドラの美しさに心を奪われると、パンドラを自分の妻にしました。 エピメテウスの家には、プロメテウスが残していった黄金の箱がありました。 黄金の箱は、病気、盗み、ねたみ、憎しみ、悪だくみなど、この世のあらゆる悪が閉じ込められていて、それらが人間の世界に行かないようにしていたのです。 プロメテウスはエピメテウスに、 「この箱だけは、決して開けてはならない」 と、言っておいたのですが、パンドラはこの美しい箱を見るなり、中にはきっと素晴らしい宝物が入っていると違いないと思いました。 そこで夫に箱を開けて欲しいと頼みましたが、エピメテウスは兄との約束で、決して首を縦に振りません。 するとパンドラは、 「あなたが箱を開けてくださらなければ、わたしは死んでしまいます」 と、言い出したのです。 そこでエピメテウスは仕方なく、兄との約束を破って箱を開けてしまいました。 そのとたん、箱の中からは病気、盗み、ねたみ、憎しみ、悪だくみなどのあらゆる悪が、人間の世界に飛び散ったのです。 エピメテウスがあわててふたを閉めますと、中から弱々しい声がしました。 「わたしも、外へ出してください・・・」 「お前は、誰なの?」 パンドラが尋ねると、 「わたしは、希望です」 と、中から声が返ってきました。 実はプロメテウスが、もしもの為に箱に忍び込ませておいたのです。 こうして人間たちは、たとえどんなひどい目にあっても、希望を持つ様になったのです。”
河合隼雄先生の「とりかへばや、男と女」、いいよね!自分は新潮文庫版持ってるけど、文字が小さくて目が痛くなったのをなぜだがよく覚えてる。
あの話は男性を女性の姫として育て、女性を男性として育て、あるときにそれをうまく入れ替えたり、ばれたり、、色んな人の糸と思惑と勘違いが複雑に錯綜しながら進んでいくとんでもなく面白い物語だよね。日本の古典とか物語って、ほんとすごいと思う。
落窪物語とかもね。
パンドラの箱。あらためて読むと面白い話だね。
そもそも、神様と人間との関係が大きく関わっているというのがすごく面白いー。
repairではなく、reborn。これ大事。
今は西洋医学の考えとか還元主義の考えがあまりに浸透しているから、何でも一部分だけをRepairするって考えが疑わないほどっ普通になっている。でも、Repairっていうのはやはり対症療法で部分的な対応でしかないんだよね。
人間、本来は常にRebornして生まれ変わり続ければいいんだと思う。そうすると、自分が問題にしていた次元をはるかに超えていけるから。でも、Rebornしても常に新たな課題は生まれ続けるし、それが人生を創造的に生きて行く、ってこととつながるような気がするなぁ。 さ。さんの最近の動きを見ていると、本当にRebornし始めてるってのを感じるYO!!(^^