日曜の23時はTBSの情熱大陸。
昔はダウンタウンのガキの使いと時間がずれていたので、二つ見れたけど、今は時間帯がかぶってしまっているので、泣く泣く涙をのんで選択。
結局、情熱大陸を録画している。
いろんなテレビがあるけど、「一人の人間」を追ったシンプルな番組って意外に少ない。
似た番組だと、NHKのプロフェッショナル、トップランナー、TBSの夢の扉とか。
そんなシンプルな番組の中でも、情熱大陸が一番好きだ。
前回の情熱大陸に塾講師の高濱さんっていう人が出ていた。
高濱さんは、高校の20個上の先輩。
東京に出てから親しくなって、そう考えると知り合って10年くらいになる。
以前、頼まれて高濱さんの塾でアルバイトもしたことがある。
高濱さんとは、同じ肥後もっこすの熱い血潮と、お互いがジョンレノンの熱狂的ファンだということで、ほんとに一瞬で仲良くなった。
無駄に熱いところもすごく似ている。
なんか根本が似た人って、年齢とか全く関係なくて、高校時代の同級生っぽいノリですごく仲よくなってしまう。
そんなよく知っている人が、情熱大陸という、自分も好きな番組に出るのは純粋にうれしい。
テレビに出て無駄に有名になることに、きっと高濱さんはデメリットが大きいと思って出てこなかったんだと思うけれど、テレビで一時的にざわめきが大きくなっても、あえてこの時期にテレビに出ないといかんと決めて、テレビに出たんだと思う。
それは、教育の現場を何かしらいい方向に向かわせたいっていう熱い思いだと思う。
教育は、人を育てる職業だから、尊敬されてしかるべき職業なのだけど、今は学校や教育という「場」そのものが崩壊しかかっているところもあるので、学級崩壊している学校もある。
「場」の力ってすごく大きい。
学校という「場」が、陰気でジメジメした雰囲気だと、誰も運動も勉強もしないし、友人関係もイビツなものになる。
子供は純粋で何色にも自由自在に染まる。
学校という「場」も、学級崩壊へも、楽しく遊び・学ぶ場へも、何にでも変化する。
場をつくるのは、教師の情熱。
自分も、熱い先生のことはずっと覚えているし、こどものときに受けた熱は、大人になっても長く残り続けるものだ。
番組内で見た、小中学生の学ぶときや遊ぶときの純粋で真っ直ぐな視線。
あれはほんとうだ。
まっすぐだから、遠くまで、すべてをつらぬいて届く。
教える立場にいる人間は、そんな視線とまっすぐに目と目で向き合えるよう、嘘をつかず努めなければいけない。
視線は、そのヒトの視線を正確に読む。
「目は口ほどにものを言う」
ヒトは、白目をもつ唯一の霊長類だ
白目があると、黒目が動くので、視線の先がわかる。
それは、過酷な自然世界の中で、生存にはすごく不利だ。殺されるかもしれない。
他の霊長類は体毛や肌の色に近い目の色をしていて、目をカモフラージュしている。
ただ、ヒトは進化の過程で、個体で生きるよりも集団をつくって生きる道を選び、視線によるコミュニケーション能力を進化させた。
僕らはゴリラやリチンパンジーと違って、霊長類の中で白目と黒目がある存在だ。
視線は読まれてしまうけれど、そのことでヒトの思いを、言葉ではなく視線でも感じれるようになったはずだ。
僕らが見るべきは、そういう下の世代が持っている視線や眼の表情。
そこに、きっと答えがある。
P.S.
番組ではミスチルのHEROも流れていた。嬉しかった。
あの番組を見て、小中学生もミスチルを初めから一曲ずつ聞き継いでいくと思うと、年齢を超えてなんだか嬉しい。
====================
HERO
作詩 : 桜井和寿
例えば誰か一人の命と
引き換えに世界を救えるとして
僕は誰かが名乗り出るのを待っているだけの男だ
愛すべきたくさんの人たちが
僕を臆病者に変えてしまったんだ
小さい頃に身振り手振りを
真似てみせた
憧れになろうだなんて
大それた気持ちはない
でもヒーローになりたい
ただ一人 君にとっての
つまずいたり 転んだりするようなら
そっと手を差し伸べるよ
駄目な映画を盛り上げるために
簡単に命が捨てられていく
違う 僕らが見ていたいのは
希望に満ちた光だ
僕の手を握る少し小さな手
すっと胸の淀みを溶かしていくんだ
人生をフルコースで深く味わうための
幾つものスパイスが誰にも用意されていて
時には苦かったり
渋く思うこともあるだろう
そして最後のデザートを笑って食べる
君の側に僕は居たい
残酷に過ぎる時間の中で
きっと十分に僕も大人になったんだ
悲しくはない 切なさもない
ただこうして繰り返されてきたことが
そうこうして繰り返していくことが
嬉しい 愛しい
ずっとヒーローでありたい
ただ一人 君にとっての
ちっとも謎めいてないし
今更もう秘密はない
でもヒーローになりたい
ただ一人 君にとっての
つまずいたり 転んだりするようなら
そっと手を差し伸べるよ
昔はダウンタウンのガキの使いと時間がずれていたので、二つ見れたけど、今は時間帯がかぶってしまっているので、泣く泣く涙をのんで選択。
結局、情熱大陸を録画している。
いろんなテレビがあるけど、「一人の人間」を追ったシンプルな番組って意外に少ない。
似た番組だと、NHKのプロフェッショナル、トップランナー、TBSの夢の扉とか。
そんなシンプルな番組の中でも、情熱大陸が一番好きだ。
前回の情熱大陸に塾講師の高濱さんっていう人が出ていた。
高濱さんは、高校の20個上の先輩。
東京に出てから親しくなって、そう考えると知り合って10年くらいになる。
以前、頼まれて高濱さんの塾でアルバイトもしたことがある。
高濱さんとは、同じ肥後もっこすの熱い血潮と、お互いがジョンレノンの熱狂的ファンだということで、ほんとに一瞬で仲良くなった。
無駄に熱いところもすごく似ている。
なんか根本が似た人って、年齢とか全く関係なくて、高校時代の同級生っぽいノリですごく仲よくなってしまう。
そんなよく知っている人が、情熱大陸という、自分も好きな番組に出るのは純粋にうれしい。
テレビに出て無駄に有名になることに、きっと高濱さんはデメリットが大きいと思って出てこなかったんだと思うけれど、テレビで一時的にざわめきが大きくなっても、あえてこの時期にテレビに出ないといかんと決めて、テレビに出たんだと思う。
それは、教育の現場を何かしらいい方向に向かわせたいっていう熱い思いだと思う。
教育は、人を育てる職業だから、尊敬されてしかるべき職業なのだけど、今は学校や教育という「場」そのものが崩壊しかかっているところもあるので、学級崩壊している学校もある。
「場」の力ってすごく大きい。
学校という「場」が、陰気でジメジメした雰囲気だと、誰も運動も勉強もしないし、友人関係もイビツなものになる。
子供は純粋で何色にも自由自在に染まる。
学校という「場」も、学級崩壊へも、楽しく遊び・学ぶ場へも、何にでも変化する。
場をつくるのは、教師の情熱。
自分も、熱い先生のことはずっと覚えているし、こどものときに受けた熱は、大人になっても長く残り続けるものだ。
番組内で見た、小中学生の学ぶときや遊ぶときの純粋で真っ直ぐな視線。
あれはほんとうだ。
まっすぐだから、遠くまで、すべてをつらぬいて届く。
教える立場にいる人間は、そんな視線とまっすぐに目と目で向き合えるよう、嘘をつかず努めなければいけない。
視線は、そのヒトの視線を正確に読む。
「目は口ほどにものを言う」
ヒトは、白目をもつ唯一の霊長類だ
白目があると、黒目が動くので、視線の先がわかる。
それは、過酷な自然世界の中で、生存にはすごく不利だ。殺されるかもしれない。
他の霊長類は体毛や肌の色に近い目の色をしていて、目をカモフラージュしている。
ただ、ヒトは進化の過程で、個体で生きるよりも集団をつくって生きる道を選び、視線によるコミュニケーション能力を進化させた。
僕らはゴリラやリチンパンジーと違って、霊長類の中で白目と黒目がある存在だ。
視線は読まれてしまうけれど、そのことでヒトの思いを、言葉ではなく視線でも感じれるようになったはずだ。
僕らが見るべきは、そういう下の世代が持っている視線や眼の表情。
そこに、きっと答えがある。
P.S.
番組ではミスチルのHEROも流れていた。嬉しかった。
あの番組を見て、小中学生もミスチルを初めから一曲ずつ聞き継いでいくと思うと、年齢を超えてなんだか嬉しい。
====================
HERO
作詩 : 桜井和寿
例えば誰か一人の命と
引き換えに世界を救えるとして
僕は誰かが名乗り出るのを待っているだけの男だ
愛すべきたくさんの人たちが
僕を臆病者に変えてしまったんだ
小さい頃に身振り手振りを
真似てみせた
憧れになろうだなんて
大それた気持ちはない
でもヒーローになりたい
ただ一人 君にとっての
つまずいたり 転んだりするようなら
そっと手を差し伸べるよ
駄目な映画を盛り上げるために
簡単に命が捨てられていく
違う 僕らが見ていたいのは
希望に満ちた光だ
僕の手を握る少し小さな手
すっと胸の淀みを溶かしていくんだ
人生をフルコースで深く味わうための
幾つものスパイスが誰にも用意されていて
時には苦かったり
渋く思うこともあるだろう
そして最後のデザートを笑って食べる
君の側に僕は居たい
残酷に過ぎる時間の中で
きっと十分に僕も大人になったんだ
悲しくはない 切なさもない
ただこうして繰り返されてきたことが
そうこうして繰り返していくことが
嬉しい 愛しい
ずっとヒーローでありたい
ただ一人 君にとっての
ちっとも謎めいてないし
今更もう秘密はない
でもヒーローになりたい
ただ一人 君にとっての
つまずいたり 転んだりするようなら
そっと手を差し伸べるよ
恵まれた先生たち
現状を維持したり改善したり
政治、法律、医療の先生も熱いけれど
教師は、自分の創造に少なからず関わってくるなんであんな勇気がもてるのだろう
疑問に思っていましたが
あれはやっぱり、才能なのじゃなかろうか
教師や先生って、やはり明確に下の世代につなげていく仕事ですよね。
それは、自分という個体のためではなく、ヒトという種のため。
結婚して子供をつくることだけが、下の世代とつながりをつくることではなくて、下の世代に連続させることで、ヒトという種の連続性を保って、その下の世代の記憶の中に生き続けていくこと。
歴史とかって、そういうために学ぶのだなぁと最近は感じます。
縄文も武士も、個体としては死んでいるかもしれないけれど、脳の記憶の場所で、別の形に変容しながら生き続けるわけですからね。
教師の中で熱い情熱を注ぎ込んでいる人って、その人の中に何か強烈な体験や啓示があったんでしょうね。それはひどく個別なものなのかもしれません。