『潜水服は蝶の夢を見る』(2007年仏)を見た。
あまりの完成度の高さと内容の深さに、観終わった後呆然として動けなかった。
(監督:ジュリアン・シュナーベル、出演:マチュー・アマルリック、原作:ジャン=ドミニク・ボビー「潜水服は蝶の夢を見る」(講談社))
2007年のフランスの映画で、原題は「Le scaphandre et le papillon:潜水鐘と蝶」。英題は「The Diving Bell and the Butterfly」になっている。2008年アカデミー賞にもノミネートしたみたい。
なぜ潜水服なのか、なぜ蝶なのか、その比喩やイメージに関しては、実際に映像とストーリーを見て感じてほしい。
この映画の主人公は「locked-in syndrome」という病気に襲われる。
「locked-in syndrome(閉じ込め症候群)」は、脳の橋(キョウ:Pons)という部分の血管が詰まってしまうことで、周りが言っている事はわかるし、外のものも映像も文字も見えるし、知性も理性も正常に働いているのけれど、外へ向けて言葉や手ぶりで意思表示ができない状況になってしまう。
ただ、まばたきなどでなんとか意思疎通できる場合もある。だからこそ、こうした映画が存在する。
まるで自分の中に閉じ込められてしまったような状態のために「locked-in syndrome(閉じ込め症候群)」と呼ばれている。自分もこういう患者さんと接した事はある。そのときも、瞬きの回数で(YES(1回)/NO(2回)のように取り決めをする)で意思疎通をした。
そういう立場の人から、この世界はどういう風に見えるか。
その映画表現としての総合的な完成度の高さに驚いた。
イメージ表現もストーリー展開も、すべて完璧だった。
ただ、映画自体は素晴らしいのに、映画宣伝用の映像があまりよくないと思った。
というのも、宣伝用の映像は「常識的」で「現実的」な順番で再構成して並び変えているから。
・・・がこうなった、だからこうなった。・・というような論理的で因果関係の順番。
この映画は、そういう普段の現実とは「違う現実」での世界を描いているのだから、映画でも主人公の主観的な順番で相互に入れ替わりながら変容しながらイメージは現れてくる。そういう豊かなイメージ世界こそこの映画の真髄だと思った。
だから、是非映画そのものを見てほしい。
こういう病気を扱う映画は、どうしてもテーマそのものが重いために暗く重くなりがちだけど、この映画はユーモアや音楽やイメージが重層的に重なってくる。その表現の豊かさに舌を巻いた。そして、深く感動した。
人間が生きているという事はどういうことか、人間が存在しているとはどういうことか。
この震災でそのことを深く感じていたし、ブログにも書いた内容だった(⇒『いま考えていること』(2011-03-31))。
改めて、この映画をいまこのタイミングで見ることができてすごく良かった。
医療に携わる人間としても、病気の人から医療者がどういう風に見えるかでかなりギクリとする場面もあって、改めて襟を正される思いがした。
役割は、固定化すると相手の立場で考える事ができなくなる。
役割や立場は、つねに流動的で交代可能な状況になっていることが、お互いにとって大事なのだと思った。
医療を提供する側とされる側という一方通行の役割固定はよくない。
お互いがお互いを気づかい、お互いがお互いを大切に思う、そういう双方向の関係が、本来は基本にあるのだろう。
お互い「生きている」という意味であったり、「にんげんだ」という意味では、同じ立場なのだから。
いろんなことを宿題のように考えさせてくれる作品はいい作品だと思う。
お薦めです!
あまりの完成度の高さと内容の深さに、観終わった後呆然として動けなかった。
(監督:ジュリアン・シュナーベル、出演:マチュー・アマルリック、原作:ジャン=ドミニク・ボビー「潜水服は蝶の夢を見る」(講談社))
2007年のフランスの映画で、原題は「Le scaphandre et le papillon:潜水鐘と蝶」。英題は「The Diving Bell and the Butterfly」になっている。2008年アカデミー賞にもノミネートしたみたい。
なぜ潜水服なのか、なぜ蝶なのか、その比喩やイメージに関しては、実際に映像とストーリーを見て感じてほしい。
この映画の主人公は「locked-in syndrome」という病気に襲われる。
「locked-in syndrome(閉じ込め症候群)」は、脳の橋(キョウ:Pons)という部分の血管が詰まってしまうことで、周りが言っている事はわかるし、外のものも映像も文字も見えるし、知性も理性も正常に働いているのけれど、外へ向けて言葉や手ぶりで意思表示ができない状況になってしまう。
ただ、まばたきなどでなんとか意思疎通できる場合もある。だからこそ、こうした映画が存在する。
まるで自分の中に閉じ込められてしまったような状態のために「locked-in syndrome(閉じ込め症候群)」と呼ばれている。自分もこういう患者さんと接した事はある。そのときも、瞬きの回数で(YES(1回)/NO(2回)のように取り決めをする)で意思疎通をした。
そういう立場の人から、この世界はどういう風に見えるか。
その映画表現としての総合的な完成度の高さに驚いた。
イメージ表現もストーリー展開も、すべて完璧だった。
ただ、映画自体は素晴らしいのに、映画宣伝用の映像があまりよくないと思った。
というのも、宣伝用の映像は「常識的」で「現実的」な順番で再構成して並び変えているから。
・・・がこうなった、だからこうなった。・・というような論理的で因果関係の順番。
この映画は、そういう普段の現実とは「違う現実」での世界を描いているのだから、映画でも主人公の主観的な順番で相互に入れ替わりながら変容しながらイメージは現れてくる。そういう豊かなイメージ世界こそこの映画の真髄だと思った。
だから、是非映画そのものを見てほしい。
こういう病気を扱う映画は、どうしてもテーマそのものが重いために暗く重くなりがちだけど、この映画はユーモアや音楽やイメージが重層的に重なってくる。その表現の豊かさに舌を巻いた。そして、深く感動した。
人間が生きているという事はどういうことか、人間が存在しているとはどういうことか。
この震災でそのことを深く感じていたし、ブログにも書いた内容だった(⇒『いま考えていること』(2011-03-31))。
改めて、この映画をいまこのタイミングで見ることができてすごく良かった。
医療に携わる人間としても、病気の人から医療者がどういう風に見えるかでかなりギクリとする場面もあって、改めて襟を正される思いがした。
役割は、固定化すると相手の立場で考える事ができなくなる。
役割や立場は、つねに流動的で交代可能な状況になっていることが、お互いにとって大事なのだと思った。
医療を提供する側とされる側という一方通行の役割固定はよくない。
お互いがお互いを気づかい、お互いがお互いを大切に思う、そういう双方向の関係が、本来は基本にあるのだろう。
お互い「生きている」という意味であったり、「にんげんだ」という意味では、同じ立場なのだから。
いろんなことを宿題のように考えさせてくれる作品はいい作品だと思う。
お薦めです!
時間を見つけて、見てみます。
紹介、ありがとう。
地震後、なんかこう、毎日、生きているっていうこと、自分が存在しているっていうことが、ぐっと迫ってきていて、毎日、今日は人生で最後の日だと感じながら(大袈裟かもしれないけれど、ある意味事実だし)、悔いがないように過ごしています。観たい映画も、読みたい本も、まだまだ沢山あるけれど、こういうときだからこそ、焦らずに、きちんと噛んで味わって吸収していきたいなと。
この映画、すごくいいですよ。
おフランス映画なので、すこしHなシーンもあるので、家族と観るときはややご注意ですが。笑 もちろん、そんな過激な描写があるとかそういう意味ではないですけど。
生きているっていうことや自分が存在しているということ、このことは、おそらく普段病気で苦しんで一日一日を精一杯生きている人は身に染みて感じていると思うんですよね。
だから、こうした珍しい病気の人から、この世界はどういう風に見えているのか、そのことをこの時期に共有するのはとても意義深いことだと思います。とてもいい映画でした。音楽も映像もすごくいい。自分の中のトップ5に入るかも。と思います。
同じ監督の『夜になるまえに』が、音楽・映像すべてが叙情的な素晴らしい映画で、こちらは僕の個人ベスト5に入ります笑
そうそう。
ジュリアンシュナーベル監督です。
『夜になるまえに』は、僕もこのDVDで予告編という形で見て、すごくおもしろそうだった!みたいなぁと思っていたところです。
きっと、『潜水服は蝶の夢を見る』も楽しんでくれると思うよー。
イメージの組み合わせとか、並べ方とか、そういうちょっとしたことにも監督のセンスをすごく感じましたよ。
当時、映画館で観ました。
映像が美しくて
今も思い出します。
「役割や立場は、つねに流動的で交代可能な状況になっていることが、お互いにとって大事なのだ」
「お互いがお互いを気づかい、お互いがお互いを大切に思う」
いなさんの言葉にまさにそうだなあと
思います。