日常

贈りもの

2010-12-28 07:31:39 | 考え
贈りもの。

モノを右手から左手へとうつすとき、右手が左手に「してあげた」という上下関係はないはずだし、「見返り」も期待しないはずだ。

親切とか愛情とか気配りとか優しさとか・・・そういう類のものも、本来は同じようなものだと思う。  
右手から左手へ何かを移すようなもの。
それが贈りものの基本的な姿勢だと思う。


「感謝」というのは確かに大事だ。
時にそのことを忘れ、時にそのことを思い出す。
ただ、感謝の気持ちも、それだけで終われば観念世界の中で閉じるだけだと思う。 

もし感謝しているのならば、自分の身丈に合わせて何か恩返しをすればいい。 
「感謝」と「恩返し」は、観念と行動の関係に似ている。



人と人との関係性は、そういう「贈与(贈りもの)」の関係が基本になるのだと思う。 
どんなに貨幣経済がメインになろうとも、お互いに見返りを求めない贈与の精神は基本なのだと思う。 



自然からの贈与。 
太陽の熱エネルギー。
月光や自然の美。

海には魚がいる。
空には鳥がいる。
地面には植物がいて、鉱物も石油も埋まってる。 
地面に撒いた種は、作物の実りとして何百倍にも何千倍もなって返ってくる。


すべてのものは、自然からの贈与。
その上で生きる生命も、自然からの贈与のおかげ。 


そして、人間も自然からの贈与だ。
自然からの贈り物には、何かしら贈り物を返す。
そうして、ものごとは循環して、めぐっていく。

自分と言う存在も贈与されたものだ。
それなら、自分と言う存在をめいっぱい生きて、そこで得たものをめいっぱい贈与すればいいんだと思う。


ことしも、いろんな人から、いろんな存在から、贈りものをもらったと思う。 
かたちあるもの、かたちないもの、感情、・・・そんな有形無形のいろんなもの。  

贈りものには贈りものを。 
いづれ、きっと誰かに巡っていく贈りものを。


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マルセル・モースの「贈与論」、読まなきゃ。
本はまだ読んでないけれど、上に書いたようなことを直感的に感じています。