Y先生からお借りして、藤尾秀昭さんが書かれた「心に響く小さな5つの物語 」致知出版社 (2010/1/20) という本を読みました。
藤尾秀昭さんは致知出版の社長さんです。
致知出版は「人間学」を追求して33年、定期購読だけの雑誌とのこと。自分も最近知りました。
読んでみると、この時代に迎合しない、とても実直で硬派な雑誌です。
そのストレートで朴訥とした姿勢は素直に好きです。
論語
『剛毅朴訥(ごうきぼくとつ)、仁に近し』
風の旅人も休刊となり、定期購読して読む雑誌がなくなり淋しかったのです。これをいい機会に、致知出版の本を定期購読しようと思っています。
(ちなみに、Y先生を御存じの方へ。2012年2月号『致知』に対談が出てますよ。見たい方は会った時でもお見せします。)
その藤尾秀昭さんが書かれた
●「心に響く小さな5つの物語 (小さな人生論シリーズ) 」致知出版社 (2010/1/20)
●「心に響く小さな5つの物語 2」致知出版社(2011/9/20)
の二つから心に響いた文章を抜粋します。(それぞれ70Pくらいの読みやすい本です)
中江藤樹
『順境にいても安んじ、
逆境にいても安んじ、
常に胆(タン)蕩々(トウトウ)として苦しめる処なし。
これを真楽(シンラク)というなり。
萬の苦を離れてこの真楽を得るを学問の目当てとす。』
大無量寿教
『我行精進、忍終不悔』(ガギョウショウジン ニンジュウフゲ)
わが行は精進して忍んで終に悔いがない。
禅僧:鈴木大拙
『人間は偉くならなくとも
一個の正直な人間となって信用できるものになれば、
それでけっこうだ。
真っ黒になって黙々として一日働き、
時期が来れば”さよなら”で消えていく。
このような人を偉い人と自分は言いたい』
作家:三浦綾子さん
『神様が何か思し召しがあって、私を病気にしたんだと思っています。
神さまにひいきになされていると思うこともあります。
特別に目をかけられ、特別に任務を与えられたと・・・。
いい気なもんですねぇ。笑』
『九つまで満ち足りていて、
十のうち一つだけしか不満がない時でさえ、
人間はまずその不満を真っ先に口から出し、
文句を言い続けるものなのだ。
自分を顧みてつくづくそう思う。
なぜわたしたちは不満を後まわしにし、
感謝すべきことを先に言わないのだろう。』
⇒⇒⇒
三浦さんは、24歳から13年間肺結核となり、自殺未遂もし、その後は脊椎カリエスで首しか動かせない寝たきりに。37歳の時に結婚を申し込まれ、それから徐々に病気は回復するが、紫斑病、喉頭がん、帯状疱疹、大腸癌、パーキンソン病・・などの病が襲い、その中で文章を書き続けていた方だったらしい。そんなすさまじい経緯を、恥ずかしながら初めて知りました・・・。
禅僧:小沢道雄
『比べるから苦しむのだ。
比べる元は27年前に生まれたことにある。
27年前に生まれたことを止めて、
今日生まれたことにしよう。
両足切断の姿で生まれてきたのだ。
そうだ、本日たった今誕生したのだ。
足がどんなに痛く、足がなく動けなくとも、
痛いまんま、足がないまんま、動けないまんま、
生まれてきたのだから、何も言うことなし。
本日ただいま誕生!』
『一.微笑みを絶やさない
一.人の話を素直に聞こう
一.親切にしよう
一.絶対に怒らない』
⇒⇒⇒
*小沢道雄禅僧は足なし禅僧とも呼ばれた。敗戦時にシベリアに抑留され、凍傷となり両足切断されて帰国。「足無し禅師 本日ただいま誕生」柏樹社(1976年)という本があります。
最後に、作者である藤尾秀昭さんの文章から。
『「主」という字の「’」はろうそくの炎。「王」は台のこと。
自分のいる環境を照らして生きる人のことを、主と言う。
命の炎を燃やして生きるとは、
自分が自分の人生の主人公となって生きることである。』
後書きより。
一沈一珠:海女がいったん海に潜ったら、どんなに息が苦しくなっても、一個の真珠貝を見つけだすまでは決して浮上しない、ということからできた言葉。
どんなことがあっても、「一沈一珠」の思いを忘れずに、日々生きていきたいです。
深く潜れば潜るほど、深く沈めば沈むほど、そこには人の手垢がつかず太古の古代から大切に保存されている豊饒なものが広がっている。
そんな光が届かない深い場所で、息ができないほど苦しみ、そこで懸命にもがく。ただ、息絶え絶えであっても、いづれは浮上してくるもの。そして、ふと見ると、その掌には掴んでいるものがある。
それは、自分だけではなく周りの人をも温めるような、熱源ともなり光源ともなり灯明ともなるもの。
その光り輝く珠こそが、「一沈一珠」の「珠」なのでしょう。
自分の掌の中にもそういう珠が入っていた経験があります。だからこそ、「一沈一珠」と、自分も心からそう思います。
藤尾秀昭さんは致知出版の社長さんです。
致知出版は「人間学」を追求して33年、定期購読だけの雑誌とのこと。自分も最近知りました。
読んでみると、この時代に迎合しない、とても実直で硬派な雑誌です。
そのストレートで朴訥とした姿勢は素直に好きです。
論語
『剛毅朴訥(ごうきぼくとつ)、仁に近し』
風の旅人も休刊となり、定期購読して読む雑誌がなくなり淋しかったのです。これをいい機会に、致知出版の本を定期購読しようと思っています。
(ちなみに、Y先生を御存じの方へ。2012年2月号『致知』に対談が出てますよ。見たい方は会った時でもお見せします。)
その藤尾秀昭さんが書かれた
●「心に響く小さな5つの物語 (小さな人生論シリーズ) 」致知出版社 (2010/1/20)
●「心に響く小さな5つの物語 2」致知出版社(2011/9/20)
の二つから心に響いた文章を抜粋します。(それぞれ70Pくらいの読みやすい本です)
中江藤樹
『順境にいても安んじ、
逆境にいても安んじ、
常に胆(タン)蕩々(トウトウ)として苦しめる処なし。
これを真楽(シンラク)というなり。
萬の苦を離れてこの真楽を得るを学問の目当てとす。』
大無量寿教
『我行精進、忍終不悔』(ガギョウショウジン ニンジュウフゲ)
わが行は精進して忍んで終に悔いがない。
禅僧:鈴木大拙
『人間は偉くならなくとも
一個の正直な人間となって信用できるものになれば、
それでけっこうだ。
真っ黒になって黙々として一日働き、
時期が来れば”さよなら”で消えていく。
このような人を偉い人と自分は言いたい』
作家:三浦綾子さん
『神様が何か思し召しがあって、私を病気にしたんだと思っています。
神さまにひいきになされていると思うこともあります。
特別に目をかけられ、特別に任務を与えられたと・・・。
いい気なもんですねぇ。笑』
『九つまで満ち足りていて、
十のうち一つだけしか不満がない時でさえ、
人間はまずその不満を真っ先に口から出し、
文句を言い続けるものなのだ。
自分を顧みてつくづくそう思う。
なぜわたしたちは不満を後まわしにし、
感謝すべきことを先に言わないのだろう。』
⇒⇒⇒
三浦さんは、24歳から13年間肺結核となり、自殺未遂もし、その後は脊椎カリエスで首しか動かせない寝たきりに。37歳の時に結婚を申し込まれ、それから徐々に病気は回復するが、紫斑病、喉頭がん、帯状疱疹、大腸癌、パーキンソン病・・などの病が襲い、その中で文章を書き続けていた方だったらしい。そんなすさまじい経緯を、恥ずかしながら初めて知りました・・・。
禅僧:小沢道雄
『比べるから苦しむのだ。
比べる元は27年前に生まれたことにある。
27年前に生まれたことを止めて、
今日生まれたことにしよう。
両足切断の姿で生まれてきたのだ。
そうだ、本日たった今誕生したのだ。
足がどんなに痛く、足がなく動けなくとも、
痛いまんま、足がないまんま、動けないまんま、
生まれてきたのだから、何も言うことなし。
本日ただいま誕生!』
『一.微笑みを絶やさない
一.人の話を素直に聞こう
一.親切にしよう
一.絶対に怒らない』
⇒⇒⇒
*小沢道雄禅僧は足なし禅僧とも呼ばれた。敗戦時にシベリアに抑留され、凍傷となり両足切断されて帰国。「足無し禅師 本日ただいま誕生」柏樹社(1976年)という本があります。
最後に、作者である藤尾秀昭さんの文章から。
『「主」という字の「’」はろうそくの炎。「王」は台のこと。
自分のいる環境を照らして生きる人のことを、主と言う。
命の炎を燃やして生きるとは、
自分が自分の人生の主人公となって生きることである。』
後書きより。
一沈一珠:海女がいったん海に潜ったら、どんなに息が苦しくなっても、一個の真珠貝を見つけだすまでは決して浮上しない、ということからできた言葉。
どんなことがあっても、「一沈一珠」の思いを忘れずに、日々生きていきたいです。
深く潜れば潜るほど、深く沈めば沈むほど、そこには人の手垢がつかず太古の古代から大切に保存されている豊饒なものが広がっている。
そんな光が届かない深い場所で、息ができないほど苦しみ、そこで懸命にもがく。ただ、息絶え絶えであっても、いづれは浮上してくるもの。そして、ふと見ると、その掌には掴んでいるものがある。
それは、自分だけではなく周りの人をも温めるような、熱源ともなり光源ともなり灯明ともなるもの。
その光り輝く珠こそが、「一沈一珠」の「珠」なのでしょう。
自分の掌の中にもそういう珠が入っていた経験があります。だからこそ、「一沈一珠」と、自分も心からそう思います。
涙が止めどなく溢れました。私が何度も読み返したのは第五話“縁を生かす”です。私も小学1、2年生時の担任の先生(女性)は今でも心の支えとなっているので、色々思い出しました。大量の涙を流したことで、私の心の中の汚い部分が浄化されたような気がします。この本は手の届くところに置いて、時々読み返そうと思います。素晴らしい本を紹介してくださって、ありがとうございました。
この本は文字が大きいし一気に読める本なのですが、逆にいえばこういう本こそちょっとしたときに何度も読めるっていうのはありますよね。
長編小説とかは、やはりそれなりの時間を取らないと、その全貌が分からないまま途中までで終わってしまう事が多々ありますが、こういう短い本は何度も読めます。
おっしゃるように、涙っていうのは特別な感情表現だと思いますね。頭ではなく、体が反応しているわけですし。
頭で作り込まれた作品は、頭で理解し、頭だけで感動していく作品です。
そうではなく。実際の虚飾ない、ドラマ性のない、ただその中に人間や人生の真実を含むような話は、頭では理解できなくとも体が感知して、体が涙を流してくれるのだと思います。手塚漫画は、そういう意味でもよく泣ける漫画です。
この本を出されている致知出版というのも、なかなか立派な雑誌ですよ。こんな本が売られているのは知りませんでしたし。
そうして喜んでいただけたら嬉しいです。自分も紹介した甲斐がありました。
仕事でかなり疲れた時も、この本で紹介されていたような大無量寿教『我行精進、忍終不悔』(ガギョウショウジン ニンジュウフゲ)(わが行は精進して忍んで終に悔いがない)という言葉や、
小沢道雄禅僧の
『一.微笑みを絶やさない
一.人の話を素直に聞こう
一.親切にしよう
一.絶対に怒らない』
を胸に頑張らないとな、と思います。なかなか難しくても、そう思うだけで、なんか頑張れるのが不思議なとこです。